この日のイベントにて、「こわれ者の祭典」の
アイコちゃん、Kaccoさんと。<
6月15日、ロフトプラスワンにて「ストップ!硫化水素自殺 ストップ!無差別殺人 」というイベントが開催された。出演したのは心身障害者パフォーマンス集団「こわれ者の祭典」のメンバーと「絶望男」の著者、46歳ニート・障害者の白井勝美さん、そして私だ。イベントの様子はネットで動画配信された。
もともとこのイベント、硫化水素自殺が相次いでいることから企画されたものだった。しかし、秋葉原の事件を受け、「ストップ!無差別殺人」も追加された。「こわれ者の祭典」代表の月乃光司さんは、この「2つの問題の根本は同じ」と言う。恨み、憎しみ、孤独感、疎外感など心の膿みがたまりにたまってある日、爆発する。その純度の高い怒りは自分自身に向かって「自殺」「自傷」に至ることもあれば、通り魔となって見知らぬ人を殺傷する無差別殺人に向かうこともある。出演した5人は、私も含め全員が自分を殺すことを試みてきた自殺未遂者だ。その5人が、どうやって「死なず」に、しかも「殺さず」に今現在生きているのか、そんなことを語り合う、あまりにも貴重な場となったのだ。
月乃さんは、「死ぬな、殺すな、生きよう!」と詩を絶叫。10代の頃、第3次世界大戦や大地震が起きることばかりを願っていた日々についての詩を絶叫した。なぜそんなことばかりを望んでいたのか。それは「自分が死ぬから」だ。「手首を切っても死ねない僕は人を殺したかった。街を歩いているカップルに灯油をかけて燃やしたかった。両手に出刃包丁を握り、駅前で人を殺しまくりたかった」。月乃さんは自作の詩を絶叫する。そうして20代でアルコール依存症になり、薬物依存になり、自助グループに出会い、回復に向かっていく。現在40代になった彼は「生きるための共同体」である「こわれ者の祭典」で自分の表現をし、そして「ガス抜き」をしている。
46歳の白井勝美さんも自ら書いた詩を読んだ。アルコール依存症の父親、宗教にハマる母親、不登校とひきこもりの日々を振り返る詩だ。
「生きることも死ぬこともできない。人に危害をくわえることもできなかった。僕に残された道は生きていくしかない。死ねなかった僕は生きていくしかない」
私自身は10代の頃からリストカットを繰り返し、そのうち精神科の薬を大量に飲むオーバードーズも覚え、10代後半から20代前半にかけて、確実に「生きづらさ」をこじらせていった。誰も自分を必要としてくれないし誰も理解してくれないし、生きていても意味なんかないし、自分のような人間は生きていてはいけないと思っていた。中学時代のいじめ経験から対人恐怖が続き、バイト先でも人間関係が作れず、一生このまま、人に怯えて孤独に生きていくのだと思い、そう思っては絶望した。バイトをすればしょっちゅうクビになり、自分を責め、責めながらも自分を認めてくれない、必要としてくれない世の中への恨みを募らせていった。幸せそうな人を見るとそれだけで死にたくなった。楽しそうな人間はみんな死んでしまえと思っていた。なぜ自分だけがこんなに生きていくのが下手なのかと劣等感ばかりが募った。
そんな状態から抜けだせたのは、そんなふうに生きづらく、生きるのが下手な人は、実は自分が思っているより沢山いると知ったことだった。これは大きかった。そんなことを教えてくれたのは故・山田花子の漫画であり、「完全自殺マニュアル」鶴見済の著作の数々だった。そうして21歳の頃、生まれて初めて自分で「自殺未遂イベント」を開催し、自殺未遂者に参加を呼びかけた。まだネットの普及していない時代、自作のチラシを書店に置いたりして告知した。参加者は数人だった。だけど私は生まれて初めて、自分以外の「生きづらい」人に、そして自殺未遂者に会ったのだ。私たちは旧知の知り合いのように語り合った。生きづらい。その一点で同志になれた。
この日のイベントも、そんな場になったと思う。月乃さんも白井さんも死なずに、そして殺さずになんとか40代まで生きてきた。孤独で、「非モテ」だけど、なんとかガス抜きしながら。そう、ガス抜きが重要なのだ。そして自分は1人ではないと知ること。実は生きづらい人は多いと知れば、この世は確実に生きやすくなる。
秋葉原の犯人も、こんな場があると知っていれば生きられたかもしれない。駄目な自分をそれでも認めてくれる場さえあれば、人は意外と生きていけるということを、私は生きづらい人との関わりの中で知った。今の社会は、「ダメ」と切り捨てられると生きていけないようなことになっている。そこで絶望してしまう人も多い。しかし、切り捨てられた人々の居場所もまた、探せば確実にあるのだ。