雨宮処凛がゆく!

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子猫だった頃のうちのぱぴちゃん

 最近、「生きる意味」という言葉を聞くことが多い。
 もともと「『生きる意味』系」のことで躓きまくり、そこにこだわりすぎることで随分と人生、損をしてきた気もするのだが、最近はそんなに躓くこともなくなってきた。だけどやっぱり多くの若者が「生きる意味」で悩んでいる。イベントなどで話してもそれは強く感じるし、飲み会などでも話題になる。
 そんなことを考えて、自分がいつから「生きる意味」にがんじがらめにならなくなったのかを、考えた。

 10代、そして20代の頃、私は猛烈に「生きる意味」に飢えていた。強烈にそれを欲望していた。そのことだけで命を絶ってもおかしくないんじゃないかっていうほどに。それは私自身が「意味のない生」を生きていると日々感じていたからだ。意味がない日々を送っていると、それは飢えや渇きのように切実なものとして襲ってくる。何をしても、何を思っても大して意味のないちっぽけな存在。なんだか尾崎豊が乗り移ったかのようだが、本気でそう思っていたのだから仕方ない。そして若いからこその根拠のない「万能感」がそれを下支えする。しかし、圧倒的に無力。どうしようもなく無力。学校では究極的に無意味な校則に従うことを余儀なくされるし、親に逆らったって所詮親の庇護のもとに生きているわけだし、そんな中でいくら自由なフリをしたって徹底的に不自由なことを再確認するだけだし、親の庇護から逃れたら逃れたで、「生活」を維持するだけでいっぱいいっぱいで無意味に思える単調作業に「単純労働力」として従事するだけで疲れ果ててしまうし。そんな、世界に対して何の力も影響力も行使できない、という絶望の味が、今の私の過剰な活動を支えている気がする。

 さて、そんな私がどうやって「生きる意味」病から逃れたのか。そのひとつは、「物を書く」とか、何かを表現して伝える、ということができるようになったからだろう。意味がないし無力だと思っていた自分でも、少しは伝えられることがあると知ること。それは私を救い、解放した。
 が、これは万人に効く解決策ではもちろんない。それを収入にしなければ話は別だが、そもそも「物を書いて食べていく」ということを望みながらなれなかった人を沢山知っているからだ。しかも、なったところで続けられるとも限らない。仕事として成り立たなくなった時に、場合によっては自殺する羽目になったりする。こういった事実から、私は「仕事で自己実現」系のキャリア教育が非常に危険だと感じている。「好きな上に意味のある仕事で自己実現」ばかりに価値を置きすぎると、上手くいっているうちはいいが、上手くいかなくなった時、「自殺」一直線の道を辿ることになってしまうからだ。また、それは「ニート」と呼ばれる層を量産する結果にもなっている。「好き」で「世の中の役に立って」、その上「自己実現」までできる仕事に巡り合えるまで、動き出せなくなってしまうからだ。考えすぎる人であればあるほど、それを真に受ければ受けるほど、適当に働いて、まぁそこから何かを見つけよう、なんて思えなくなってくる。
 そんなふうに「物を書く」手段を得たことで「生きる意味」病が少しは「治った」私だが、数年前、「生きる意味」的悩みを打ち砕く決定的な出来事があった。といっても人から見たら全然大した出来事じゃないのだが、それは「子猫を拾った」ということだ。

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子猫だった頃のうちのぱぴちゃんと私

 手の平に乗るくらいだった生後一ヵ月ほどの子猫の成長ぶりは、私に「生きる意味」にまつわるほとんどすべてのことを教えてくれた。一番大きなことは、子猫は「生きる意味」なんて一切問わず、当り前だけど考えもせず、ただ必死に生きようとしている、という圧倒的な事実だった。私が拾う前、その猫は真夏の炎天下の中、3日3晩、助けを求めて絶叫し続けた(捜索して3日目、やっと発見した)。見知らぬ私の家に入れられ、猫缶とミルクをあげるとすごい勢いでがっつき、その日から子猫はすごい量の猫缶を食べ、ぐんぐん成長していった。家に迎えてからは、安心したのか猫風邪をひき、結膜炎になり、お腹に虫がいることが判明し、すぐにでも死んでしまうんじゃないかと毎日病院通いの日々だった。だけど、子猫はものすごい生命力で生き続け、どんどん元気になり、人の食卓から魚を盗むという「家庭内泥棒猫」となり、家中のカーテンや壁紙を破りまくり、寝ている人の上に高所からわざと落ちてきて衝撃を与えたり、人の手に生傷をつけまくったり、お客さんの靴にわざとオシッコをかけたり、私のパソコンに乗ってきて原稿を全部消したり、ゲラを食いちぎったり、食べすぎてゲロを吐いたりと、ものすごく迷惑をかけながら、もちろん今も生きている。そして我が家に降臨してから4年。彼女は傍若無人な、非常に性格の悪いメス猫として、世の中の役にまったく立たず、何の生産性もなく、毎日食べて寝てウンコする日々の中、「ただ生きる」ことの凄さを見せつけてくれている。時々、どうして猫の場合はそれだけでこんなに愛され、「評価」されるのに、人間の、しかも子どもだったりしたらいろんな「条件」をクリアしないと「愛されない」んだろうと、つくづく思う。

 いまだに、「生きる意味」があるのかないのか、それはわからない。だけど、「生きる意味」など問わないうちのぱぴちゃんとつくしが生きる意味は私にはありすぎるほどあるし、そんな二頭の「奴隷」の役目を勤めるためにも、私にも生きる意味がある。それくらいのことでも充分人には生きる意味があって存在価値があるはずなのに、もし私が物を書いてなくて働いてなくて、ただ毎日猫の面倒を見ているだけだったら、なんとなく「犯罪者予備軍」みたいに見られてしまうんだろう。その辺の、隙間のなさが生きづらい。よく、ひきこもりの人が自らを「自宅警備員」と言うけれど、「留守番」とか「自宅警備員」とか「猫の世話係」とか「自宅の庭の花の水やり係」とかも、立派な「職種」としてカウントして欲しいものである。

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子猫だった頃のうちのつくしん坊。
こう見えてものすごいバカ。

 

  

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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