雨宮処凛がゆく!

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舞台挨拶で。プロデューサーの土屋豊氏(左)と、
監督・ぶっち。

 10月5日、この連載の第10回でも紹介させて頂いたドキュメンタリー映画「遭難フリーター」が山形国際ドキュメンタリー映画祭に正式招待され、上映されたので行ってきた。監督は24歳。現在も派遣でテレアポの仕事をするバリバリのフリーター。そんなフリーターがドキュメンタリー監督の登竜門とも言われる映画祭に正式招待されてしまうのだから人生ってわからない。
 が、とにかくこの作品、素晴らしいのだ。アドバイザーである私が言うのもなんだが、現代のフリーター問題のすべてが詰まっていると言っても過言ではないだろう。派遣会社の横暴さ、大企業の派遣社員に対する冷酷さ、そして現場で働く派遣の人々の生の声が痛々しく、切ない。彼らは何も多くのものを求めてなどいない。ただ、普通に働いたら食べられるだけのお金がほしい、できたら正社員になってボーナスが欲しい、たったそれだけだ。そして「格差社会」や「ワーキングプア」など「社会問題の当事者」として扱われることへの居心地の悪さ。自分たちはただ必死で生きているだけなのに、勝手に「負け犬」「奴隷」とレッテルをはられ、「なんとかしろ」と無意味な説教をされる。それらに対するイライラやモヤモヤを、監督であり主人公であるぶっちは、この作品で爆発させている。上映後、舞台挨拶でぶっちは言った。
「ただ、自分が生きる、生きてるってことを撮りました」

 若者にいくら「格差社会の犠牲者」と言っても、彼らはそれ以前の世界を知らない。終身雇用の世界も、経済成長の世界も、右肩上がりの世界も。だからこそ、一人一人が右往左往しながら必死で生き方そのものを模索している。そう、「生き方」こそが失われているのだから、自分で探すしかないのだ。「遭難フリーター」を見ながら、自分が最近書いた原稿を思い出した。発売されたばかりの『世界』11月号で、私は「ロストジェネレーションの仕組まれた生きづらさ〜『九五年ショック』と強要される『自分探し』」という原稿を書いた。「ロストジェネレーション」の「ロスト」が何を失ったことを指すのか、それを考えた果てに、失ったものは結局「生き方」そのものではないかと思ったのだ。「社会に出て働いて自活する」ということが多くの若者にとって「不可能」となった時(24歳以下の非正規雇用率は50%近く)、親世代が望む「安定した」人生のモデルは破綻した。そしてどうすれば最低限餓死せずに、過労死せずに、或いは少しでも「幸せ」に生きていけるのか、そんなことさえわからなくなってしまった。そんな地平に立たされた世代からの逆襲が「遭難フリーター」だ。

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世界 2007年 11月号 ¥ 780 (税込)
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 さて、遭難フリーターの翌日は山形から新潟へ。「正規雇用、非正規雇用って何? 〜若者の就労の現状を探るシンポジウム」で話してきた。私の話のあとに、障害者就業支援をしている人や「父ちゃん子育て協力の会」、そして商店主の方々も登場。そこで(途中参加で私の話を聞いていなかった)一部から「とにかく挨拶が大事」という精神論、「労働者の権利なんて言ったら自分は『さようなら』という気持ちになる」などという、私にとってはブチ切れキーワードも登場。多くの大人と言われる人たちが若者に、「働かせてもらうなら労働者の権利なんて言ってはいけないし考えてもいけない」という嘘をどれほどバラまいているだろう。その果てに過労死・過労自殺に追い込まれた人々の取材をしている身からすると、そういう発言はもはや暴力だと思うのだ。「そうですか、そう言い続けた果てにお宅のお子さんがひどい働かされ方をしてボロボロになった果てに死んでもそう言うわけですね?」と詰め寄りたくなる。

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ぶっちは映画祭期間中も「遭難」中。泊まるとこがなくて、
紙袋持参でネットカフェに泊まっていた。

 その翌日は新潟で「こわれ者の祭典」。「こわれ者の祭典」は心身障害者パフォーマンスイベントで、私は名誉会長をつとめているのだが、久々に見た「こわれ者」はものすごく「パワーアップ」していて驚いた。今回のテーマは「ストップ・ザ・自殺」。ネット心中などの「死に向かう共同体」ではなく、その力を生きる方に向けていこうという彼らの取り組みは多くのファンを得て成長し続けている。で、これがなんと「お笑いイベント」なのだ。脳性まひの若い二人組が「脳性まひブラザーズ」を結成してコントを披露する。筋ジストロフィーの人が登場すると、脳性まひブラザーズは「カッコいい!」と叫ぶ。「脳性まひ」という言葉より「筋ジストロフィー」の方が、病名がカタカナで「カッコいい」そうだ。で、筋ジストロフィーの19歳の少年は「お笑い」に生きる勇気をもらったことから自分も芸人になりたいと思い、この日、新潟のお笑い集団NAMARAから芸人認定され、正式デビュー。その後「落語」だかなんだかよくわからないけど、とにかく素晴らしい話術を披露してくれた。「ハエにもバカにされた」とか、金が欲しくて有名になりたくて年齢問わず女にモテたいとか、煩悩全開の彼の表現は素晴らしいオリジナリティに満ちている。

 その後に登場した同じく筋ジストロフィーの2人は推定50代。林業の経験がある畑山さんが車椅子で「あの杉のように」という自作の歌を歌うのだが、無茶苦茶感動的なのだ。病気によって衰えていく身体、差別、偏見などの苦しみ。そしてあの杉のように生きたいと朗々と美声で歌い上げる。そうして次は車椅子で行商をしている渡辺さんが自作の詩を披露。病気を受け入れられずに葛藤した日々を語り、そして、言う。「手足がきかないのは、大したことじゃない。寝返りできないのは、大したことじゃない」。そう思って、車椅子で行商を始める。「車椅子で物売りをしていると、自分は身体が悪くないみたいだ。社会の中で生きていると感じる」。朴訥とした語り方がたまらなく迫ってくる。

 遭難フリーターと、こわれ者の祭典。それぞれの「生きづらさ」を抱えながら、だけどみんな、「生きてるぞ! 」と全身で訴えている。そういうことにしか、私はこれからも感動しないと思う。

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「こわれ者の祭典」メンバーと。左から「筋ジストロフィー自慢」の
渡辺さん、私、「摂食障害・ひきこもり自慢」のKaccoさん、
「強迫行為自慢」のアイコちゃん、筋ジストロフィーで
この日デビューした「羽豆喜助」さん。

 

  

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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