原発震災後の半難民生活

1)


 すべてが、ずぶずぶと底なし沼に飲みこまれていく…… 

 当時の原発事故の状況を一言で表現するとすれば、こんなイメージに言い換えることができるかもしれません。そして一年が経過した今でも、私にはその状況が根本的に改善されたとは思えないのです。

 四月の下旬にさしかかった頃だったでしょうか。悪化の一路をたどる原発事故について、いわば「斜め」の目線から見つめなおす機会がやってきました。それは意外にも、学務に関わる場面で起きたことでした。

 私の勤務する大学は毎年、シリアのダマスカスに交換留学生を派遣しているのですが、ちょうどこの頃からシリア国内の治安が目に見えてきな臭くなりはじめていました。折しも、反政府デモと治安部隊とが何度も激しい衝突をくりかえし、とりわけ民間人の側にたくさんの死傷者が続出していました。

 この情勢を重く見た日本の外務省は、ホームページ上で、シリアへの不要不急の渡航は避けること、また、同国に滞在中の日本人はデモや集会の場に近づかないようにすることなどを「注意喚起」することになりました。私の大学もこの声明を重く受け止め、結果としてダマスカスに滞在していた留学生たちに帰国を「勧告」することになったのです。

 十分な情報が手元にない段階で現地情勢を「危険」と推定することのうちには、やや勇み足の側面もあったかもしれません。とはいえ、万が一、学生たちが暴力の渦中に巻きこまれてからでは、取り返しがつかなくなってしまうということも事実でした。彼らの身の安全を考えるなら、やはり一日も早い帰国を促すことが最善の選択だったと私は確信しています。ここのところ、ほかならぬダマスカス市内で無差別の爆弾テロが続いていますが、この事実も上のような私の考えにひとつの根拠を与えてくれるように思うのです。

 いずれにしろ、この出来事を通して、否応もなく痛感したことがありました。それは、本来「国民の安全の確保」という点では同じはずの二つの問題に対して、日本の統治者たちの態度に大きなぶれが見られるということでした。遠い異国の内乱の危機には迅速に対応する一方で、国内で生じた未曾有の放射能汚染のリスクをめぐる彼らの施策には、少しでも住民たちを危険から遠ざけるのだという覚悟が微塵も感じとれませんでした。

 そこには、国内で生じた危機だからこそ、容易には動けない事情も控えていたのかもしれません。とはいえ、こうした場面で統治者の内面を忖度したり代弁したりすることが最優先の課題だとはとても思えませんでしたし、いちど私の心を捉えてしまった彼らの資質や姿勢への疑念がやすやすと拭い去れるわけでもありませんでした。

 この頃の下野新聞を調べていくと、もやもやした私の感情を側面から裏づけるような記事がくりかえし登場していたことが分かります。例えば、海外からの留学生が、栃木県内からいなくなるのではないかという危惧を伝える記事。あるいはまた、日光や那須をはじめとする県内の目玉観光地で閑古鳥が鳴いていることを慨嘆する記事。そんな地方メディアの切迫感を後押しするかのように、観光業界の老舗とも言える「伴久ホテル」が倒産し、4月の終わりには県内のあちこちの企業で解雇ラッシュが始まりました。

 すでに、国外から日本を見つめる眼差しも、県外から栃木県を見つめる眼差しも、かなり厳しいものになっていたのではないでしょうか。

2)


 この頃の職場周辺で起きたことのなかで、ほかにもいくつか印象に残っている出来事があります。ここではそのなかからひとつだけ書いてみます。

 何人かの同僚と連れだって、キャンパスの近くにあるうどん屋に昼食を摂りに行った時のことでした。みんなでうどんをすすりながら雑談に興じるなか、いつしか大震災や原発事故のことが話題にのぼってきたのですが、ひとりの教員がこんなことを言いだしたのです。

 ――今後、われわれのような地方大学が生き残っていくためには、こういうタイムリーな事件をどのように研究や教育のプログラムのなかに取りこんでいけるかが勝負になる……

 耳にしたその瞬間から、違和感を抱かずにはいられない発言でした。念のために付け加えておくと、この同僚がとても真剣に話しているという事実は疑いようもありませんでした。それに、地方の大学がこれまでどんなに苦しい運営を強いられてきたかという問題に関しても、その現場に身を置くひとりとして、私なりに理解しているつもりでした。けれど、そんな事情を差し引いたとしても、彼の発言の内容には受け入れがたいものがあったのです。

 ――いったい自分は何に引っかかっているのだろう?…… 

 彼らの会話が進みゆくのを聞き流しながら、私はぼんやりと自問していました。その答えが見つかるまでに、さして時間はかかりませんでした。

 彼が言う「われわれ」のなかに、常勤教員以外のひとたち、つまり学生をはじめとして、事務員や非常勤の教員たちのことは含まれていないのではないか、と私は思い当たりました。少なくとも無意識のうちに彼らのことが排除されていはしないだろうか?……

 そこから私の考えは次のようにふらふらと進んでいきました。

 ――常勤の大学教員というごく限られた人員の身辺事情などよりも、もっと問題にすべき大切なことはたくさんあるのではないか? 例えば、放射能の影響を受けやすい若い学生たちが、今やなんの警戒もせずに学生生活を再開しているけれども、本当にこんなことでいいのだろうか?……

 大学で学問を教える「われわれ」のような人間は、こうした危機に際して、そのリスクのありかを精確に指摘し、それを避けるための手立てを提言するという責任を負っているはずなのです。現にこの当時は日本各地の汚染実態が見えないなか、早くも「夏の電力不足」を騒ぎたてる報道ばかりが目立っていましたが、そんなメディアの偏向ぶりに物申すことすらできないようでは、いったい学問の存在意義などどこにあるというのでしょう!

 こういったわけで、私はうどんを箸でつつきながら、ひとりで腹をたてていました。その間にも、会話はあちこちへと飛び火していきました。ひとりが急に思いついたように切りだしました。

 「せっかくだから、3.11関連のシンポジウムでも開いてみたらどうですかね?」

 「しかし、タイトルはどうするんだ?」

 「『日本復興』なんてのはいかがですか?」

 「そんなのインパクトがないよ。『持続可能』とかはどうだろう?」

 「それだって使い古された言葉じゃないですか?」

 その時、私のなかで何かがぷつりと切れてしまいました。ふと気がつくと、私は声を荒げてまくしたてていました。それまで押し黙っていた私がとつぜん割りこんできたので、彼らはびっくりして私の顔を見つめました。

 うろ覚えですが、私が主張しようとしたのはおおむね以下のようなことでした。

 ――「復興」だの、「持続可能」だの、耳障りのいいスローガンばかり並べているけれども、いまだに津波災害の復旧すらままならない地域が無数にあるという事実を、いったい皆さんはどう受け止めているのか? そもそも、この宇都宮市がどれくらい放射能に汚染されているのかということも、まともな情報が入ってこない有様だというのに! いま何よりも必要なことは、そういう基本的な情報を住民たち全員で共有することであって、そのためには、「われわれ」大学教員こそ、先頭に立ってその必要性を訴えていくべきではないのだろうか?……

 「まあまあ、岩真くん!」と年輩の教授が私をなだめにかかりました。「誰もそういうことをやらないとは言ってないじゃないか。いまはただ、3.11関連で何かを企画するとしたら、何ができるかってことを話し合ってるだけなんだから……」

 「それはそうですけど」と憤懣やるかたない気分のまま、私はドンブリのなかの残り汁を一息に飲み干しました。

 別のひとりがさらに取り成すように言葉を継ぎました。「岩真くんの心配はもっともだけどさ、たとえばY先生を見てみなよ。さんざん核実験があった太平洋諸島でフィールドワークしてきたのに、まだピンシャンしてるじゃないですか」

 どっと笑いが巻き起こりました。これがきっかけとなって、会話はまったく別の話題へと横滑りしていきました。そういえば、Y先生の肉体は酒の飲みすぎでぼろぼろだよねとか、なんでもドクター・ストップがかかったらしいですねとか、いや案外酒じゃなくて被曝が原因かもしれないですよとか、そんな他愛もない雑談が続くことになりました。

 私はどことなくその内容におかしさを感じながらも、自分の腹立ちを処理する機会を逸した格好で、むすりと黙りこんでいました。

 ふと、S先生とW先生の顔が脳裏に浮かんできました。3月15日当日、私と同じようにそれぞれの家族を連れて、関東から思い思いの場所へと落ち延びたS先生とW先生……

 ――こんなとき、あの二人だったら何と言うだろう?

 後に、両先生はこの問いへの答えを身をもって示すことになるのですが、その時の私にはまだ知る由もありませんでした。

 

  

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3章:ひとり暮らしの始まり(ゴールデン・ウィークまで) その3「職場とその周辺」
」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    第2章のその3に登場する「二人の先生」。
    特にW先生は、著者が宇都宮を離れることを決意する、
    大きなきっかけとなった人でもあります(第1章参照)。
    ともに著者と同じ「避難」の道を選んだ2人は、
    そこからどうしていたのか--。次回以降に続きます。

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