東ティモール、シェラレオネ、そしてアフガニスタン。世界各地で紛争処理にかかわり、自らを「紛争屋」とも称する伊勢崎賢治さん。その目に、日本の外交姿勢のあり方はどんなふうに映っているのか。9条と「国際貢献」との関係についてもお聞きしました。
1957年東京生まれ。大学卒業後、インド留学中にスラム住民の居住権獲得運動に携わる。国際NGOスタッフとしてアフリカ各地で活動後、東ティモール、シェラレオネ、アフガニスタンで紛争処理を指揮。現在、東京外国語大学教授。紛争予防・平和構築講座を担当。著書に『東チモール県知事日記』(藤原書店)『武装解除 紛争屋が見た世界』(講談社現代新書)などがある。
日本が行う「国際貢献」の
あるべき姿とは
編集部
伊勢崎さんは、インドネシアから独立した東ティモール暫定政府の「県知事」として文民警察やPKF(国連平和維持軍)を統括し、10年近く続いた内戦が終結したアフリカのシェラレオネでは国連職員として武装勢力の武装解除を担当、さらにタリバン政権崩壊後のアフガニスタンでも日本政府から派遣されて武装解除を指揮するなど、世界の紛争地の最前線で国際貢献活動に携わってきておられます。
日本は昨年、「国際貢献」活動の一環として、アメリカの要請に応える形でイラク南部のサマワに自衛隊を派遣しましたが、伊勢崎さんはそれをどう見ておられましたか。
伊勢崎
「国際貢献」としては駄目ですね。まったく駄目。
編集部
それはなぜですか。
伊勢崎
どう考えても、世界秩序への国威を示すべき経済大国のやり方じゃないからです。むしろ、発展途上国のようなやり方ですよね。
つまり、とにかく人数を多く出すことが重要だ、とする。実際のところ、途上国の多くには、他国の和平をどうするかなんていうことを考える余裕はありません。今、紛争が続くスーダン南部のダルフールに、国連がPKF(国連平和維持軍)を派遣しようとしていますが、たとえばパキスタンがこの問題について何か意見を持っているかといえば、そうではないでしょう。でも、PKFが派遣されれば参加はするはずです。
なぜかというと、PKFには「リインバースメント」という制度があって、人員を出した国にはその代価として国連から外貨が戻ってくる。途上国は、それが欲しいから人員を出すんです。でも、日本はそれが目的のはずじゃないでしょう。金のためではなく、その紛争への大局的な政治的意思を持って出す立場であるべきです。であれば、途上国ではできない部分を担うべきでしょう。
そもそも外交とは「いかに小さいインプットを大きく見せるか」。人員や金をなるべく少なく、そして勿体つけて、如何に政治的な効果を上げるかを考えるのが外交というものです。それなのに、日本は金も人も最初から数を積み上げて、長いものに巻かれるだけ。これは外交ではないですよ。本来は、自衛隊を出すなら出すでそれなりのやり方があるだろうし、これだけユニークな憲法を持った国なんだから、絶対違ったやり方があるはずなんです。
編集部
違ったやり方とは、たとえばどういうことなんでしょう?
伊勢崎
たとえば、自衛隊がサマワに派遣されるという決定がされたとき、ちょうど僕はアフガニスタンで軍閥の武装解除に携わっていました。だから、「サマワよりもアフガンに自衛隊員を、武装解除の軍事監視員として送ってほしい」と言っていたんです。アフガンについてはイラクでの戦争とは違って、国連の決議という「大義」も一応はあったし、軍事監視員だから非武装でいい。アメリカにイラクでは協力しないけど、アフガンでは協力するという「バーター」ができると考えたんですね。軍事監視は、敵対する武装した軍閥の中に敢えて非武装で入って、停戦の信頼醸成を築くという危険な任務ですが、日本の中立的なイメージを最大限に生かせるものだと思う。アフガンの軍閥の武装解除は、アメリカの対テロ世界戦略にとって大変重要なものでしたから、アメリカとの関係も損なわれない。これは政府に要求もしたんですが、実現はしませんでした。
ちなみに後日、この話をあるシンポジウムでしたら、同席していたある自衛官幹部が「よく言ってくれた。実は私も防衛庁の中で同じことを主張していたんです」と後から言ってくれました。防衛省の中にも、そういう人もいるんですけどね。
編集部
先日、10年間に及ぶ内戦が昨年終結したネパールへも、国連安全保障理事会が停戦監視団の「国連ネパール支援団」設置を決めたことを受けて、自衛隊が派遣されることが正式に発表されました。
伊勢崎
あれはいいと思いますね。あのミッションは、PKFは参加しない政治ミッションで、非武装での軍事監視です。厳密に言えば、日本政府が派遣するというのは間違いで、国連が自衛隊員を雇用する、という形。いわゆる一般の多国籍軍兵士として行くのとは、そこが決定的に違います。1人1人が、国連の給与表にもきちんと載った、国連スタッフという扱いなんですね。
非武装の軍事監視というのは、いわば紙の上のものでしかない脆弱な停戦合意を、その仲介者自らが「非武装」という形で体現するものです。本来は武装して当たり前の現役の軍人が敢えてそれをしないでそこにいることによって、和平に反対する抵抗勢力に対しても停戦状態を体を張って示すわけですね。これが信頼醸成です。こういうことこそ日本が、自衛隊が本来やるべきことなんだと、僕はいろんなところで今までも言い続けてきたので、それが実現するのは嬉しいですね。お金もかからず、日本というひとつの「ブランド」をつくるという意味で国益に叶っていると思います。
9条護憲派には、自衛隊に関するものは何でもだめだ、みたいな固定観念もあるようだけれど、それは間違っていると思う。むしろ、こういった非武装の軍事監視は、平和憲法の精神を体現するものだと僕は考えます。
「9条のせいで国際貢献できない」という嘘
編集部
では、伊勢崎さんが「外交ではない」とおっしゃる状態で進められてきた、これまでの自衛隊派遣による国際貢献活動は、欧米諸国などからはどんなふうに見られているのでしょうか。「銃も使えないから、隊だから、国際社会から一人前扱いされない、バカにされている」とも言われますが。
伊勢崎
バカにはされてないでしょうが、日本の自衛隊ほど使いにくい「軍」はないでしょうね。憲法9条の縛りがあるから、国連の交戦規則にも準拠できないし。使いにくい、それが国連PKF司令部の本音でしょう。それは、現場に行った自衛隊員が一番わかっていると思いますよ。
編集部
だからそうならないように、きちんと「国際貢献」できるように9条を変えて自衛隊を軍にすべきだという意見がありますね。
伊勢崎
僕は、そうやって「国際貢献できない」のを9条のせいにするのはフェアじゃないと思います。
日本がまず回復しなければならないのは、軍事力ではなくて外交力。「普通の国」が持ってる外交力です。それなのに、外交力がないのを棚に上げて9条を変えてしまうと、意味のある「国際貢献」ができないのは実は外交力のなさが問題なんだということがわからなくなってしまう。それは国民に対してのまやかしです。すでに実際に、国民に対して数多くの嘘がつかれていますよね。
編集部
嘘とは?
伊勢崎
たとえば、以前僕があるシンポジウムに出たときのことです。僕が「日本には外交力がない、そもそも在外公館に情報収集力がない」という話をしたら、出演者のひとり――元外務官僚でしたが――がかみついてきた。「それは自衛隊が在外公館を守れないからだ。危なくて情報収集などの活動ができないんだ」と。つまり、外交力が持てないのは9条のせいだ、だから改憲が必要だというんですね。
編集部
やはり「9条のせい」だと。
伊勢崎
でも、そんなことで9条が責められるのは、まったくのお門違いとしか言いようがありません。軍が在外公館を守っている国なんて、治安の悪いあのアフガンでもアメリカ以外にはないですよ。それだって、本当に非常時だからというだけのことです。
治安の悪い、危険な国で在外公館を守っているのは、武装した民間の警備会社です。仮に民衆が暴動を起こしたとして、それに外国の国軍が発砲するのと、民間の警備会社が発砲するのとでは政治的影響が全然違いますから。たとえば、在京アメリカ大使館で、もしアメリカの海兵隊が外で銃を構えて守ってたらどうなるか、と考えたらわかりますよね。
それなのに「9条があるから自衛隊が在外公館を守れない」。その元外交官が、本気でそう言ってるんだったら本当にバカだし、会場の人を納得させようと思って言ってるんだったら、いかにも日本政府らしいやり方ですよね。僕がその間違いを指摘したら、さすがに黙ってしまいましたけど。
編集部
じゃあ、日本の在外公館は今、警備をどうしているんですか?
伊勢崎
僕が武装解除でアフガンにいた時は、完全に丸裸の状態-こんな大使館は日本だけでしたけど-でしたが、今では欧米の警備会社を雇っています。だから自衛隊はまったく必要ない。彼らはそういう警備に関しては自衛隊より能力があるしね。
「9条を改定して武装国家になることに反対」だからといって、そうした民間の武装についてまでは反対すべきじゃないと僕は思います。NGOだって、治安の悪い国で活動する場合はちゃんと武装してますよ。たとえば日本の警備会社が海外進出して、邦人の保護のために武装警護というサービスを提供する、大使館を守る、そういうこともあってしかるべきじゃないか。それにまで反対していたら、「憲法9条を守ろう」という声が、逆に自らの首を絞める方向に行ってしまうと思いますね。
編集部
でも、いずれにしても「自衛隊が9条のために在外公館を守れないから外交ができない」というのは、明らかな嘘ですね。
伊勢崎
そうですよ。だけど、現地を知らないで東京にいて聞いていると、それが説得力を持って聞こえてしまうんだから恐ろしい。
千人、一万人単位で
人が殺されるという現実
伊勢崎
それからこのシンポジウムではもう一つ、印象的だったことがありました。
僕のほかのふたりの出演者――さっき話した外務官僚と、もう1人の出演者はやはり著名な財界人で、彼らはどちらも「9条を変えるべきだ」という意見でした。そして、そのふたりが口をそろえて言ったのが、「イラク開戦は間違っていた。しかし、小泉首相がサマワに自衛隊を送ってブッシュ大統領をサポートしたのは、国益に叶っている」ということだったんですね。
編集部
国益?
伊勢崎
それが何かというと、「北朝鮮だ」というんです。そのおかげで、北朝鮮に対する国連決議もうまくまとまったから、と。
思わず「ちょっと待ってくれ」と言いましたね。イラクでは、ボディ・カウンティング(数えられた死体)だけで6万人が死んだと言われています。実際の犠牲者はそれをはるかに上回る数でしょう。犠牲となったイラク国民には、日本にとっての北朝鮮問題なんて何の関係もない。それを秤にかけること自体が不謹慎で非道です。
ショックだったのは、僕がそう言うまで、会場にいたほとんどの人が彼らの意見にうなずいていたこと。言ってしまえば、それはある意味事実なのかもしれません。例えばアフリカ人の命の「値段」なんて確かに軽いのが現実ですから-悲しいけど。だけど、そうじゃないんだと言い続けるのが人間の良識じゃないですか。ああいうセリフを公共の場で責任のある立場の人間が堂々と言うのは、国家の品位の問題です。それに対してうなずく国民も怖い。この国に対して、かなり危機感を持った出来事でした。
編集部
それは、実際に虐殺も起こった紛争地での活動をされてきた伊勢崎さんの実感なのでしょうね。
伊勢崎
たとえば南京大虐殺についても、「(殺されたのは)10万人じゃない、3万人だ」みたいなことを言う人がいるでしょう。でも、仮に3万人だったとしても、それは明らかに虐殺です。人が千人単位、1万人単位で殺されるという現実を、どんなに勇ましいことを言っている人も実感できていないんだと思いますね。
その2へつづきます