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週間つぶやき日記

第二十四回

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11月21日(金)

自らの歪みは見えぬ恐ろしさ

 いいニュースがないなあ。新聞を開いても、テレビニュースを覗いても、心が萎えていくような暗い出来事ばかり。

 急に幕引きされてしまった感のある「田母神発言問題」など、中でもそうとうに危ない出来事である。
 よく考えると、日本でただひとつの実力軍事組織が、ある一方に偏った思想を植えつけようとする人物によって壟断されていた、という恐るべき事態だ。ある意味で、国家の行く末を左右しかねない重大な問題なのだ。

 田母神俊雄前航空幕僚長が、統合幕僚学校長時代に新設した講座「歴史観・国家観」の講師たち4人のうち3人が「新しい歴史教科書をつくる会」の関係者(もうひとりは評論家の桜井よしこ氏)だったという。
 むろん、いろんな考え方の人間がいていい。ある特定の考えを持つ人の話を聞くこともかまわない。しかし、“別の考え方をする人間”の話も聞かなければ、組織が歪んでしまう。一方的な歴史観のみを教え込まれたときに、いったい何が起きるのか。
 軍事組織の考え方が歪んだときの怖さを、歴史は教えているではないか。その歴史を学ばない。
 歪んでしまった者には、自らの歪みは見えない。自分こそが、まっすぐで正しいと思い込む。そのような個人の集合体が組織だとすれば、そしてそれが我が国唯一の実力軍事組織だとすれば、これはほんとうに由々しき事態なのである。

 たった1度だけの田母神氏の国会参考人召致で、この問題を簡単に片付けないで欲しい。
 自衛隊内の幹部学校で行われていたという“歴史教育”の内容を徹底的に明らかにして、それが自衛隊という組織にとって妥当なものであったかどうかを、それこそ徹底的に検証しなければならない。それこそが、政治家たちの義務である“シビリアン・コントロール(文民統制)”なのだ。

 そんなことを、いまの政治家たちに望むことは、やはり無理なのだろうか。実際、自民党内では「田母神氏の意見のどこが間違っているのか。あの程度のことを言えなくてなにが言論の自由か」などと、田母神氏の意見を擁護する発言が相次いでいるという。
 これでは政治への信頼感は、ますます薄らぐ。かといって、官僚制がうまく機能しているかといえば、これも疑問だ。

 そして今回の厚労省元幹部を狙ったと思える殺傷事件である。これが思想的背景を持った“テロ事件”なのかどうかは、今の時点ではまだ分からない。
 かつての5.15事件、2.26事件などが起きた戦前の状況に、現代日本が酷似しているとの指摘は数多い。経済恐慌、政治腐敗、行政組織の歪み、所得格差の拡大、貧困層の増大…。確かに似ている。それら閉塞状況への不満を背景に、かつてテロ事件は頻発したのだ。危険な歴史を繰り返してはならない。
 だからこそ、そんな時代を肯定するがごとき「田母神発言」と、自衛隊における歴史観・国家観教育については、もっと徹底的に検証されなければならないのだ。

11月22日(土)

非人道兵器廃棄に希望の芽

 ところで、自衛隊をめぐるニュースで、少しだけホッとするような記事が載っていた。

 見出し
<日本、クラスター全廃へ
 最新型も保持せず>
 記事(リード)
<不発弾が市民に被害を与えているクラスター爆弾について、政府は、現有爆弾を全廃したうえで、欧州各国が維持する「最新型」のクラスター爆弾も今後、導入しない方針を固めた。これで日本はあらゆるクラスター爆弾を保持しないことになる。人道面を重視したためで、代わりに子爆弾をまき散らさない単頭弾の爆弾を整備するため、約73億円を09年度予算に計上する。(本文略)>
(毎日新聞11月21日夕刊)

 後段の“単頭弾”整備は行う、という部分に少しガッカリするけれど、それでもヨーロッパ各国に先駆けてクラスター爆弾全廃に踏み切ったことは、大いに評価していい。
 そもそもこのクラスター(ぶどうなどの房の意味)爆弾とは、1発の爆弾が数百個の子爆弾を抱えており、その子爆弾を数百メートルの範囲にまき散らし、それらの多くが不発弾となって戦闘が終結したあとまで地中に残り、対人地雷のような役割を果たして、その地で生活する人々(特に子どもたち)を痛めつける、というまことに非人道的な“悪魔の兵器”なのである。(ヘリクツを言えば、“非人道的でない兵器”なんていうのは語義矛盾だ。兵器とは、人を殺す道具である以上、どんな種類であれ非人道的なのだ)。
 この不発弾の爆発によって、手足を失ったり失明したりした子どもたちの写真を、あなたもどこかで見たことがあるに違いない。
 アメリカは、イラクやアフガンで、大量にクラスター爆弾を使用した。どれほどの不発弾がいまも眠っているのか分からない。その被害者数すら、いまだに判明していない。

 「クラスター爆弾禁止条約」に欧州各国は署名したが、実は英独仏は、子爆弾が少なく不発率の低い“最新型クラスター爆弾”は、これからも保持し続けるらしい。どんなことにおいても逃げ道を考え出すのが、政治であり軍事であり、そして“死の商人”たちなのだ。むろん、アメリカは(ロシア、中国なども)この条約には未署名である。
 そんな悪魔の兵器を、日本が世界の先進諸国の中で、いちばん初めに全廃するという。これは誇ってもいい。これで私たちの国は胸を張って、世界中の国々へ「非人道兵器の全廃を」と呼びかけることができる。
 戦後、「武器輸出3原則」を堅持して武器の海外輸出を封印し、また曲がりなりにも「非核3原則」を標榜してきた日本である。その呼びかけの役割を果たす資格は十分にあるし、それを行ってこそ真の「平和外交」ではないか。

 クラスター爆弾の全廃→他の大量殺傷兵器の廃止→非核地帯の拡大→核拡散防止→核兵器全廃→小火器を含む軍縮→憲法9条の精神を世界へ…。

 こうして「9条の精神」を世界中に広めていけるなら、日本はほんとうの意味で世界に誇れる国になれる。
 「憲法9条など世迷いごと。そんな理想論が国際社会で通用するはずがない。もっと現実をみろ」
 そう言われ続けてきたけれど、クラスター爆弾でできたことが核兵器でできない理由はない。それができれば、「憲法9条の理想」に、1歩近づくことになる。
 それもまた「理想論」と言われるか?

 ここまで書いたとき、ニュース速報が流れた。
 例の「厚生省元事務次官襲撃事件はオレがやった」という男が、警視庁へ出頭したというのだ。いわゆる政治テロではないらしいが、その動機がどうにも判然としない。
 この事件、どんな展開を見せるのか?

11月24日(月)

休日の陽だまりのような訪問者

 昨日、嬉しい訪問者がありました。

 すてきなブログを発信し続けている「お玉おばさんでもわかる政治のお話」のお玉さん、「明日も晴れ」の大木晴子さん、そして「超左翼おじさんの挑戦」の編集者・松竹さんの3人が、マガジン9条の事務所(某デザイン会社の片隅を間借りしています)を訪ねてきてくれたのです。

 大木さんと松竹さんには以前にもお会いしたことがあるのですが、お玉さんは初対面。でも、「お玉おばさん」というのは真っ赤な偽りでしたよ。とても“おばさん”なんかには見えない、若さ溢れる女性でした。
 「一部では男性じゃないか、なんて噂もされているお玉です」と自己紹介なさいましたが、彼女がすてきな女性であったことは、私が保証します(笑)。
 近所の喫茶店で、しばらく雑談。編集部の水島さつきを交えて女性3人。松竹さんと私とは、圧倒されっぱなし。
 「最近は、男どもより女性たちのほうが元気である」という説は真実であることが、あっさりと実証されたのでした。

 日曜日の午後、天気は上々だし、とても楽しいひと時でした。

11月25日(火)

面白うてやがて虚しき政治談

 先日、久しぶりに旧い友人と渋谷で飲みました。居酒屋です。
 隣の席の中年サラリーマングループが、政治の(というより政治家の、というより麻生首相個人の)話題で、大いに盛り上がっていました。

 「最近、麻生さんがこの辺の居酒屋で飲んでたんだってね」
 「んなもん、パフォーマンスに決まってんじゃない」
 「にしても、ひでえのが首相になったもんだなあ」
 「誰があんなの首相にしたんだよ」
 「ほんと、“みぞうゆう”だよな、ぎゃはははは!」

 というような具合で、地元渋谷でも麻生支持率急落中。
 それにしても、ここまで笑いものにされる首相も珍しい。ほとんどいま流行のお笑い芸人のネタを、酒の肴にしている感じの会話なのです。
 それはそれで、切ない話。

 で、私たちもつい、麻生話。
 友人の結論はこうです。

 「麻生さんは、もうもたないね。彼はもうじき自民党内で引きずり下ろされるよ。あんだけ失言、朝令暮改を繰り返しちゃ、もう誰もついていけない」

 ま、この感想、妥当なところだと思います。政治などには、まったく素人の友人ですが、そんな一般人の感想、けっこう当たるのです。隣席の中年グループも、ほとんど同じようなことを話していました。
 そして、その中年グループの話のオチには、つい小耳に挟んだ私たちも、大笑いしてしまったのです。こうです。

「麻生さん、引きずり下ろされて辞任するとき、きっとこう言うと思うな。『これは、くじるの決断であります』って」
「えっ、何だそれ?」
「苦汁だよ、くじゅう」
「あははは。でもさ、麻生さん、渋谷の豪邸にお住まいだから、くしぶ(苦渋)、のほうがいいんじゃないの」

 大笑いはしたのですが、なんだか虚しい気分になりました。

  【付け足し日記】

 麻生首相の物言いには、首を傾げたくなることが多いけれど、もうひとつ、もの凄く違和感を覚えた言葉があった。
 22日、ペルーでのAPEC会議の際、ブッシュ米大統領と会談したあとの麻生首相の記者会見でのコメントが、テレビニュースで流れた。

「(拉致問題に関しては)オバマという人にも、その話をきちんと伝える、とブッシュ大統領が言ってくれた」

<オバマという人>とは、何という言い草だろうか。実際にブッシュ大統領がどういう言葉を使ったかは分からない。しかし、どう考えても<オバマという人>という言い回しはしないだろう。麻生首相の“意訳” だと思う。
 ほとんど名も知らないような人ならともかく、これほど重要な人物に対して<~という人>とは…。そこにはリスペクトの欠片も感じられない。
 やはり麻生さんの言語感覚は、どこかおかしい。

(鈴木 耕)
目覚めたら、戦争。

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