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こども医者毛利子来の『狸穴から』:バックナンバーへ

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「マガジン9条」の発起人の1人でもある小児科医、「たぬき先生」こと毛利子来先生。
お仕事や暮らしの中で感じた諸々、文化のあり方や人間の生き方について、
ちょっぴり辛口に綴るエッセイです。

こども医者毛利子来の『狸穴から』

もうり・たねき(小児科医) 1929年生まれ.岡山医科大学卒業。東京の原宿で小児科医院開業。子どもと親の立場からの社会的な発言・活動も多い。「ワクチントーク全国」元代表、「ダイオキシン環境ホルモン対策国民会議」元副代表などを経て、現在は雑誌「ちいさい・おおきい・よわい・つよい」編集代表、『マガジン9条』発起人などを務める。著書に『ひとりひとりのお産と育児の本』(1987,毎日出版文化賞)、『赤ちゃんのいる暮らし』、『幼い子のいる暮らし』などがある。最近は、友人でもある小児科医・山田真氏との共著である『育育児典』(岩波書店)が、評判を読んでいる。HP「たぬき先生のお部屋」

科学への信仰

 科学が大手を振ってまかりとおっている。 なにごとでも、「科学で証明されている」となれば、文句なしに信用される。
 それどころか、科学の専門家がいうことは、「確かにちがいない」と思われがちだ。
 その最も身近な例が、健康についての情報だろう。
 テレビのワイドショーなんかで、「最新の研究の成果」が紹介されれば、人々は、それに飛びつく。毎朝バナナを食べるだけでメタボは防げるというので、たちまちバナナが売り切れになったなど、話題に事欠かない。

 メタボといえば、腹囲が男で85センチ以上あれば、その疑いを持たれる。まして、血圧やコレステロールが基準値より高ければ、もう立派なメタボにされてしまう。

 食べるものでは、カテキンとかセサミンとかコンドロイチンとかをたくさん摂れば、それだけで不老長寿が約束されるといった話も、よく聞かれる。

 どうも、そんなことが、多すぎる。
 もちろん、科学は大いに尊重されてしかるべきではある。
 しかし、科学の成果というだけで、信用してしまうのは、どんなものか。

 現代の科学は、分析を主な方法にしている。そのかぎりでは、確かに精密を極める。 けれど、それだけに、分析できない事象に科学はなすすべがない。
 また、分析できる事象に対しても、その全体像となると、かならずしも把握できるとはかぎらない。分析した断片を寄せ集めれば、全体になるわけではないからだ。

 なのに、何でも分析をし、たった一つか二つの断片で全体を語ることが多いのは、科学の奢りでしかないだろう。
 或る栄養素を摂っていれば健康になるなどはその典型だし、腹囲や血圧やコレステロールだけでメタボと決めつけるのにも飛躍がある。検査は科学的と思われがちだが、そもそも、その基準値なるものが怪しい。研究者によって、異なっているのだ。

 そういえば、食物アレルギーの検査も、けっこう怪しい。血を採って調べるので科学的と思われているが、食物なら、食べてみるのが最も科学的な検査法ではないか。

 そんなことどもを考えると、専門家の説く科学よりも、日常の生活と、その中での自分の感じを重視するほうが気が利いているのではないかと思われてくる。

 たとえ太っていても、体を重く感じなければ、まず、異常ではないだろう。どんな食習慣でも、体調さえ良ければ、それでいいではないか。
 現に、或る大衆誌が元気な年配者に「長寿食」の秘訣を求めたら、寄稿した人の大半が「特別のものはない。好きなだけ食べている」と回答してきたという。

 そんなところに残されている大衆の英知は、もっともっと見直されてよい。
 そこにこそ、科学の奢りを克服するカギが潜んでいるはずだ。

自分で自分の体の調子を「感じる」力が、
昔よりも弱くなってしまっているとも言われる現代人。
科学の手助けも借りつつ、それだけには頼りすぎない、
そんな姿勢を少しでも取り戻したいもの。
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