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こども医者毛利子来の『狸穴から』:バックナンバーへ

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「マガジン9条」の発起人の1人でもある小児科医、「たぬき先生」こと毛利子来先生。
お仕事や暮らしの中で感じた諸々、文化のあり方や人間の生き方について、
ちょっぴり辛口に綴るエッセイです。

こども医者毛利子来の『狸穴から』

もうり・たねき(小児科医) 1929年生まれ.岡山医科大学卒業。東京の原宿で小児科医院開業。子どもと親の立場からの社会的な発言・活動も多い。「ワクチントーク全国」元代表、「ダイオキシン環境ホルモン対策国民会議」元副代表などを経て、現在は雑誌「ちいさい・おおきい・よわい・つよい」編集代表、『マガジン9条』発起人などを務める。著書に『ひとりひとりのお産と育児の本』(1987,毎日出版文化賞)、『赤ちゃんのいる暮らし』、『幼い子のいる暮らし』などがある。最近は、友人でもある小児科医・山田真氏との共著である『育育児典』(岩波書店)が、評判を読んでいる。HP「たぬき先生のお部屋」

「まあ、まあ」のツケ

 「まあ、まあ」という物言いが、よく使われている。
 およそ、争いが起きたときに、そういいだすお人がでてくる。
 そういいながら、身を乗り出し、両手を前にだして、下に押さえる仕草をくり返す。

 すると、たいていの争いが鎮まるから、不思議。まるで呪術のようだ。

 あれは、たぶん、「まあ、まあ」で、いきり立っている人に、水が差されるからだろう。
 争うのは「はしたない」と思わされて、ホコを収めざるをえなくなるのだ。
 特に目上の人からいわれたときには、無理にでも、争いをやめるほかはなさそうだ。

 そういえば、日本では、聖徳太子このかた、「和をもって貴しとなす」という倫理が尊ばれてきた。
 天皇を頂点として、上から下まで、仲良くすることが美徳とされてきたわけだ。
 だから、争いは、その原因いかんにかかわらず、全てよくないこと。まして、上に逆らうなど、とんでもないことになる。
 そんな倫理が、いまだに日本人の心の奥に居座っているのではないか。

 だとすれば、「まあ、まあ」は、ややもすれば、民主主義の根幹を危うくしかねない。気の利いた仲裁法だと、持ち上げていたら、いつの間にか、全体主義に陥ってしまうかもしれない。

 たとえ、そこまで大げさに考えなくても、「まあ、まあ」は、ひとつも、争いの解決には役立たない。
 せいぜい、「その場しのぎ」になるだけ。問題を先送りするか、曖昧(あいまい)にさせるだけだろう。
 その結果、不利な立場にある者のほうが、よけいに損をするのは目に見えている。いきおい、争いを鎮めたお人まで、意に反して、恨まれかねない。

 どうやら、「まあ、まあ」は、なかなかの癖玉。ストレートなようでいて、予想のつかないツケがまわってくる危険がある。

 そんなことどもを考えると、たとえ善意からでも、この物言いは避けたほうがよさそうだ。
 争いは、曖昧に収めてしまうよりも、徹底してやったほうが、根本からの解決に近づく。ただ、短期決戦ばかりではなく、事と次第によっては、時間をかける必要もあるだろうが。

「まあ、まあ」でその場を収める方が、
手間もかからなければ気分もいい。
それでも、きっちりと相手と向き合って、
納得いくまで「争う」ことが必要な場合もあるはず。
皆さんの体験やご意見もお聞かせください。
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