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マガ9スポーツコラム No.019

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  みんなが大好きなスポーツ!「マガ9」スタッフだってそうです。
だから時々、メディアで報じられているスポーツネタのあれこれに、
突っ込みを入れたくなったり、持論を展開したくなったり・・・。
ということで、「マガ9スポーツコラム」を不定期連載でお届けします。

スポーツ予算の本当の仕分けとは

 バンクーバー冬季パラリンピックが終わった。とてもエキサイティングだった。
 たとえばスーパー大回転のチェアスキー。一枚のスキー板に乗り、時速100キロでポールを抜けながら疾駆する世界を想像してほしい。私は身震いした。また、準決勝で日本が強豪カナダを破ったアイススレッジホッケー。オリンピックのアイスホッケーが技やスピードよりも、まるで格闘技のように体力的部分が重視されるなか、アイススレッジホッケーには氷上でのプレーのもつ繊細さを教えられた。
 パラリンピックはオリンピックに準ずる大会ではない。小学校3年の私の娘は、世界的なスポーツイベントにはとんと興味を示さないのに、パラリンピックには熱心な視線を注ぐ。選手の補助器具の動きがとても面白いそうだ。用具の存在もクローズアップされるのがパラリンピックなのである。
 日本選手のメダル獲得数は、前回のトリノ大会を上回った。しかしながら日本政府が選手を支援する予算は、オリンピックの10分の1だという。
 その比重を大きくするには、パラリンピックの面白さや意義を強調することが大切だが、支援金の絶対額を云々する前に、これまでお金がどのように使われて、今後はいかに配分されるべきかを公に議論する必要があるのではないか。そう思ったのは、バンクーバーオリンピック期間中に長野とソルトレークシティでの五輪メダリスト、清水宏保氏が朝日新聞に寄せたコラム「@バンクーバー」を読んだからである。

「なぜ加藤条治はスピードスケート500メートルで銅メダルに終わったのか」「高木美帆にとってバンクーバー体験はどんな意味をもつのか」「キムヨナはいかして観客を魅了したのか」

 どれもアスリートでなければわからない視点から真摯に綴った素晴らしいコラムだが、彼の寄せた4つのうち、唯一、競技と直接関係のないテーマが「スポーツ後進国 日本」だった。
 このなかで、清水氏は、メダルの獲得数を気にする国やJOC(日本オリンピック委員会)が、はたしてオリンピックまでの4年間をフォローしてきたのかと疑問を投げかけ、事業仕分けによるスポーツ予算の削減と仕分けの仕方に関連して、次のように書いている。

「バンクーバー五輪では、JOCの役員、メンバーが大挙して現地入りしている。予算は限られている。そのため、選手を手塩にかけて育てたコーチや、トレーナーがはじき出され、選手に快適な環境を提供できていない。お金の使い方が逆だろう」

 この一節から私はJOCの役員たちが、国際便のファーストクラスにずらりと座っている姿を想像してしまった。コラムを寄せるに当たって、清水氏は相当の覚悟をしたはずだ。上の一節はJOC上層部への厳しい批判にほかならない。JOCから「出入り禁止」を受けかねない発言だと思うのである。

 もうすぐ政府の事業仕分けの第二弾が始まる。スポーツ予算については、前回、五輪のメダリストたちがスポーツの価値を訴えていたが、おそらく議論すべきは「スポーツの価値」それ自体ではなく、「スポーツのためのお金をいかに使うか」だと思う。
 昨年の衆議院選挙時、自民党は国のスポーツ振興に関するマニフェストで「トップアスリートの育成・強化」をうたっていた。一方、民主党は「公共スポーツ施設の芝生化」や「地域密着型の拠点づくり」などを強調した。自民党案を実行する場合、清水氏が指摘するような問題が解決されないと、「トップアスリートの育成・強化」に充てるべきお金が、間違ったところへ流れてしまう恐れがある。清水氏は日本におけるスポーツのあり方について、

「競技スポーツだけではない。『1人1ドル、スポーツの予算をつければ、医療費が3.21ドル安くなる』という統計を見たことがある。ヨーロッパではスポーツ省のある国が多い。スポーツを文化としてとらえる発想が根付いているからだ。生涯スポーツが、また競技スポーツのすそ野となる」とも書いている。

 清水氏のような人にこそ、日本のスポーツ振興を担ってもらいたい。枝野さんと蓮舫さん、よろしくお願いします。

(芳地隆之)

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