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マガ9スポーツコラム No.018

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  みんなが大好きなスポーツ!「マガ9」スタッフだってそうです。
だから時々、メディアで報じられているスポーツネタのあれこれに、
突っ込みを入れたくなったり、持論を展開したくなったり・・・。
ということで、「マガ9スポーツコラム」を不定期連載でお届けします。

バンクーバー・オリンピック雑感

 「世界選手権はスケートを好きな人が見るけど、五輪はフィギュアを知らない人も見ている」
 男子フィギュアスケートで銅メダルを獲得した高橋大輔選手は、試合前に五輪独特の雰囲気についてこう語っていた。
 単身で世界各国を移動し、一流のアスリートたちと競い合ってきた彼である。オリンピックは世界選手権の拡大版のようなものではないかと私は想像していたが、選手にとって、その2つの大会はまったく質の違うものらしい。

 オリンピックの重圧は、普段はその競技に関心を示さない人々の視線が生むものなのだろう。アスリートが長年の努力を通して培ってきた力と技術を知っているファンであれば、許せることも、オリンピックしか見ない観客には我慢できないことが起こる。
 国母和宏選手の服装騒動はひとつの例だ。
 腰パン姿を見て騒ぎ始めたマスコミを前に「ちっ、うるせーな」とつぶやいた国母選手には、「普段はスノーボード競技をきちんと取材せず、スノーボード選手たちの独特の文化も知らないくせに」との思いがあったのではないか。

 選手へのバッシングが強まるなか、マスコミのなかにも「魔女狩り」ではないかとの声も聞かれるようになった。ただ、冒頭の高橋選手の言葉を借りれば、「五輪はスノーボードを知らない人も見ている」のであるから、普段はスノーボードに関心を示さない日本人が「うるせー」ことを言い出す事態を、周囲の人々が予測しておくべきだったと私は思う。
 とりあえずテレビカメラの前ではいい子にしてろ(それこそ「反省してまーす」的なノリで)と助言するとか。
 そんなことを聞いたら、第一線で活躍してきた国母選手は当然、反発するだろう。しかし、周囲の雑音のために十分なパフォーマンスを示すことができなければ、元も子もない。そのことを21才の若者に誰かが説得し、腰パンを控えさせるべきだったのではないか。

 日本代表団の団長である橋本聖子の記者会見は真っ当だった。日本スキー協会が国母選手の出場辞退を申し出る事態にまで広がるなか、「五輪に出たいという熱い思いを(国母選手から)伝えてもらった。スタートラインに立たずに終わるのは、逆に無責任。責任を負わせるために出場させる。メダル候補だから出場させるわけじゃない」
 当然の判断である。そもそも日本スキー協会が辞退云々を言うなど、本末転倒だ。この事態で謝るとすれば、腰パンを許した日本スキー協会の方だろう。
 マスコミの騒ぎを見て、応援会を中止した国母選手の母校、東海大学の対応もひどい。世間でどんなことを言われても、自分たちだけは身内を擁護するのが「母校」というものではないか。世間は騒動をやがて忘れる。しかし、国母選手の大学への不信感は残るだろう。

 「日本の恥」みたいな言説も出てきた。一流アスリートに敬意をもたない、オリンピックに関心はあっても、スポーツ自体を愛しているわけではない人たちに限って、ナショナリズムに走るようにも思えた。スポーツが超高度な遊びということを理解していないからでは、ないだろうか。
 スポーツをすることを英語で「プレイ」という意味を、バンクーバー五輪で再び教えられた。たとえばカーリング。この原稿を書いている時点で、チーム青森(クリスタルジャパン?)は予選リーグを3勝3敗と健闘しているなか、日本が大接戦を演じた中国の王選手のショットには何度か唸らされた。対イギリス戦での目黒選手の最後のショットには歓声を挙げた。恥ずかしながら私は、この競技がこれほど緻密な頭脳と技とチームワークが求められる「ゲーム」とは知らなかったのである。
 オリンピックのとき以外はカーリングを見たこともない私のような人間が、興奮するのだから、やはりオリンピックはやはり特別な場なのだろう。ただし、スポーツを見る喜びと国の誇りとは、ぜんぜん関係ないのである。

(芳地隆之)

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