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マガ9スポーツコラム No.012

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  みんなが大好きなスポーツ!「マガ9」スタッフだってそうです。
だから時々、メディアで報じられているスポーツネタのあれこれに、
突っ込みを入れたくなったり、持論を展開したくなったり・・・。
ということで、「マガ9スポーツコラム」がスタートです。不定期連載でお届けします。

五輪開催地のもつ説得力

 10月2日、2016年のオリンピック開催都市が決まる。最終候補地に残ったのは東京、シカゴ、リオデジャネイロ、マドリード。鳩山首相がコペンハーゲンで開かれるIOC(国際オリンピック委員会)総会に出席し、東京招致の最後のアピールをするという。

 しかし、日本国内における五輪招致の気運は盛り上がりを欠いたままだ。東京で五輪を開催し、世界の人々を迎え入れることへのモチベーションを国民がもてないからだろう。

 政治とスポーツは切り離されるべきという言葉が空しくなるくらい、オリンピックは国際社会の力学が働く場である。戦後のオリンピックで、それが最も露骨に表れたのは1980年のモスクワ五輪だ。

 ソ連はその前年、アフガニスタンの武装勢力鎮圧を理由に同国に侵攻。それに対する抗議の意味で五輪ボイコットを決めたアメリカに、西側諸国の多くが同調した。

 いわゆる「片肺」五輪は、次の1984年ロサンゼルス大会でも繰り返された。前回の意趣返しで、ソ連・東欧諸国ほか社会主義国が参加を拒否したのである(中国が同大会で初めて五輪参加を果たし、米国民に熱狂的な歓迎を受けたが)。

 ロサンゼルス五輪は、民間資本を導入し、莫大な利益を上げることに成功した大会として、その後のIOCの商業路線の道筋をつけた。しかし、ソ連や東ドイツといったスポーツ強豪国が参加しないオリンピックは、米国が圧倒的な強さを見せつけ、やたらと星条旗がたなびいていたという印象が強い。金メダリストが国旗を背負ってウイニングランをするようになったのは、同大会の100メートル走勝者、カール・ルイスからではないだろうか。

 一方で、オリンピックは、本来の理念である諸国民の平和を象徴する。

 たとえば、1988年のソウル五輪。その前年、韓国では学生たちによる民主化デモが高校生や勤労者にまで広まり、長らく軍事政権を維持していた韓国政府が民主化宣言を行った。ソウル五輪はカナダのモントリオール五輪以来、12年ぶりに東西両陣営の国々が参加する大会にもなった。北朝鮮は参加せず、平壌で世界青年祭を開いて対抗したが、ソウル五輪の翌年、ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦構造が消滅したのは周知の通りである。

 ソウル五輪開催の決定は、民主化運動の始まる前の1981年に遡るが、もし世界の耳目を集めるオリンピックがソウルで開催されることがなければ、韓国の民主化運動はあれほど急速に進まなかっただろう。

 ソウルの次はバルセロナである。バルセロナは1936年の開催候補都市として立候補したことがある。しかし、開催地はベルリンになった。ヒトラー率いるナチス・ドイツがヨーロッパで台頭していく時代。レニ・リーフェンシュタール監督のベルリン五輪を描いたドキュメンタリー映画『民族の祭典』をご覧になった方も多いと思う。

 その年、スペインでは共和国の転覆をはかるフランコ将軍派によるクーデタが発生。共和国政府と反乱軍が軍事衝突し、さらにドイツ・イタリア、ソ連が各派に影響力を行使するなど、複雑な内戦に突入していった。共和国派の牙城であるバルセロナは、あからさまにユダヤ人排斥を叫ぶドイツでの五輪開催に対抗し、「人民オリンピック」の開催を準備する。しかし、それは果たせず、翌年にはフランコに肩入れするナチス・ドイツが無防備都市ゲルニカに猛爆撃を行い、最終的にフランコがスペイン全土を制圧した。

 フランコによる独裁政権は、彼が死ぬ1975年まで続いた。1992年のバルセロナ・オリンピックは、まさにスペイン内戦以来の悲願といえるのである。

 前回の五輪は北京で開催された。21世紀以降の中国経済の発展を考えれば、北京開催にそれなりの説得力はあった。次回の開催候補都市のなかでは、新興国BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)の一角を占めるブラジルのリオデジャネイロが時代の趨勢を最も反映していると思う。

 だが、時代は、大国の威信=五輪の開催ではなくなってきているのではないか。北京五輪直前に世界のメディアの注目を集めたチベット問題、五輪後の新疆ウイグル自治区における大規模な民族衝突がいい例だ。大国では五輪の開催に合わせて、国内の矛盾が噴出することが多々ある。

 東京都の招致委員会は、東京五輪はなるべく既存の施設を利用し、環境への負荷を抑えた大会の運営を実現すると訴えている。しかし、エコ五輪を開催するならば、コンパクトな都市の方がいい。

 私にとって最も印象的なオリンピック開催都市は、1994年の冬の五輪、ノルウェーのリレハンメルだった。人口2万4000人の都市。派手さはないが、地元の市民はホスピタリティに溢れ、大会は手作り感に満ちていた。食事用のお皿やフォークなどはジャガイモでつくられた。食器も最後には食べてしまえる。プラスチック容器のゴミを出さないためのアイデアである。

 日本の立候補地が大都市・東京ではなく、玄界灘を臨む地方都市・福岡であったら――より時代の後押しを受けていたかも、といまさらながら思う。

(芳地隆之)

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