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2012-07-25up

下北半島プロジェクト
映画『ミツバチの羽音と地球の回転』を下北半島で上映したい!

第18回

祝島に行って下北半島のこれからを考えました!

昨年、青森県むつ市での上映会を開催した映画『ミツバチの羽音と地球の回転』。その主な舞台となっているのが、瀬戸内海に浮かぶ山口県上関町祝島です。対岸で進む上関原発建設計画に島ぐるみで「ノー」を突きつけ、豊かな自然とともに生きる人たちの姿は、美しい島の風景とともに強く印象に残りました。今月はじめ、念願かなってその祝島を初めて訪れたA子ちゃん。故郷・青森県の姿とも対比させながら見た旅の光景は--。

 海といえば、津軽海峡。波は灰色で荒っぽくて、ちょっと怖いけど頼もしい。それが当り前だと思っていた私にとって、祝島の海の「凪」は衝撃的でした。港に立っていても、海底の石や魚がハッキリ見えるほど透明で、ひたすら広くて静かな海。どこか母性的な印象を受けました。
 昨年10月に下北半島で『ミツバチの羽音と地球の回転』を上映して以来、「夏になったら祝島へ行こう」と思い続けていた私にとって、念願の景色でした。

 初日は、「長島の自然を守る会」の高島美登里さんのガイドのもと、チャーターした船で、祝島とは長島をはさんで対岸にある室津港を出発。上関大橋、中国電力PR館「海来館(みらいかん)」、上関原発建設予定地の田ノ浦、原発の取水口・放水口予定地などを眺めながら、長島の自然や反原発運動の歴史を教わりました。
 高島さんによると、瀬戸内海は波が穏やかなだけに、すべての水が入れ替わるまでに1年半〜2年もかかるそうです。もし原発ができれば大量の温排水が瀬戸内海に留まり、海の生態系は大きなダメージを受けることでしょう。
 この日は雨が降ったりやんだりの天気にもかかわらず、スナメリ(小型のイルカ)が姿を現しました。今、ここにいるスナメリも、原発ができたらいなくなるのかと想像すると、心がざわつきます。

 高島さんは、上関原発の構造についても説明してくれました。ほかの原発に比べて取水口と放水口の間が遠いのが特徴的で、それは建設予定地内に30ヵ所近くも点在する反対派の所有地を避けたからでは、とも言われているそうです。
 思わず脳裏に浮かんだのが、下北半島の大間町にある「あさこはうす」でした。「あさこはうす」は、建設計画が進行中の(現在工事はストップしています)大間原発の炉心予定地から300mのところにあるログハウス。故・熊谷あさ子さんが土地の売却を拒否して30年以上も住み続けたことで、炉心の位置が計画変更になっています。今は娘の小笠原厚子さんが意志を継いでいて、去年、私は下プロスタッフとご挨拶に行ったのでした。
 大間原発と上関原発、どちらも体を張って反対してきた人たちがいる。私たちの世代はちゃんと引き継がなきゃな、と再認識しました。

 途中、船を田ノ浦付近で停留させてお弁当を食べていたら、中電のプレハブから「立ち入り禁止です。出て行きなさい」という主旨の放送が流れました。
 2009年、中電は田ノ浦で反原発運動を行う人に対して「工事妨害禁止処分」を求める裁判を起こしています。2010年には1日あたり500万円の制裁金請求を認める判決が確定していますが、実際に請求されたケースはないそうです。単に地元の人を“脅す”ための裁判。原発建設の暴力性を肌で感じました。

 祝島に上陸してからは、まず『ミツバチ〜』の主人公の山戸孝さんの父親である貞夫さんのお宅に伺いました。
 憧れの祝島。島を守ってきた山戸さんにお会いできたのが嬉しくて、「映画を見て、祝島が羨ましいと思っていました。どうして祝島では原発反対を貫き通せて、下北半島はできなかったのか知りたくてここに来ました」とはしゃぐ私に、貞夫さんは静かに言いました。「2、3日では島のいい面しか見えない。10日いたら、矛盾もわかるよ」。

 正直、意外な言葉でした。同じ原発反対派として歓迎され、祝島の素晴らしさをたっぷり語ってもらえることを期待していた私は、出はなをくじかれました。山戸さんの言葉はずっと頭を離れず、「島の矛盾ってなんだろう?」と問い続けながら、祝島を散策することになりました。

 祝島にUターンして養豚を始めた「氏本農園」の氏本長一さんは、『ミツバチ〜』の登場人物の1人。仕事に同行させてもらうと、行った先は海のすぐ側でした。もともとは粗大ゴミ置き場だったという養豚場に、この日はブタが一頭。名前はブーちゃん(氏本農園のブタはみんなブーらしいです)。氏本さんが「ブー!」と呼びかけるとすぐに近寄ってきました。驚いたのは、ブタなのにまったく無臭であること。
 「『ブタなのに』なんて言ったら、この子たちに怒られるよ」と氏本さんは笑いながら教えてくれました。
 潮風に吹かれ、整地されていない土地に、十分に歩き回れる数だけブタを飼う。ブタはここを歩くことで運動になるし、土を掘ればストレス解消になる。泥に身体をこすりつけて感染症の予防にもなっている。中身が健康だから、臭わないし、肉になったときの味も美味しい。エサは島民の残飯とふすま(小麦の糠)のブレンドで、島のなかで食物連鎖が成り立っている。フードマイレージ(運搬距離)が短いから、流通に必要なエネルギーを削減できる、とのことでした。

 一貫している、と思いました。
 祝島では食べ物もエネルギーも、島のなかで完結できるようになっていて、島の人たちもその営みにちゃんと協力してました。
 私が今住んでいる東京は、もっと食べたい、楽したいという欲求を追求した結果の便利な暮らしですが、祝島では自分たちの足で立つ生き方が優先されています。島を挙げての反原発運動も、島の生き方を貫くための一つのプロセスなのかもしれません。『ミツバチ〜』のポスターに書かれていた「ここで生きていく決意が世界を動かす」という鎌仲ひとみ監督のコメントを思い出します。

 一方で、祝島の生き方は、厳しい面もあるようにも見えました。祝島では、あちらこちらで、立ち話に花を咲かせるおばちゃんたちの姿が見え、とても和気あいあいとしていて楽しそうです。旅行者が地図を持ってキョロキョロしていると、必ず「どこに行きたいの?」と声をかけてくれる人がいます。

 私たちが島に来て2日目の朝は、ちょうど年に一度の海の大掃除でした。島民たちが港に集まり、役割分担をしてゴミを拾ったり、藻を取ったりしています。1~2時間でだいたい掃除は終わり、最後はみんなでジュースを飲んでおしゃべりしていました。ハッとするほど透明な海は、島民が力を合わせて維持していて、みんなが協力できる背景には密なコミュニティが存在していました。

 でも、自分が青森に帰って同じことをできるか? と問うと、あまり自信がありません。うすうす気づいてはいましたが、映画を見て「祝島をお手本にすれば下北半島は変わるかも」と思っていたことの安直さを、祝島に来て目の当りにしました。

 島では、複数の人たちから「祝島がいいって移住してきた人もいるけど、1~2年で帰っていく人もいるよ」と聞きました。目の前の海は確かに美しいのですが、本州に渡る船は1日に3便。ずっと海を眺めていたら、「すぐには外に出られないんだよなあ……」とムズムズしてきます。自分でも予想外なことに、たった2泊で閉塞感のようなものを感じたのです。
 あまり人のいないところに行こうと、レンタサイクルで島のはずれを目指しました。海岸沿いの一本道で勢いよく自転車を走らせました。道路には海から出てきたフナムシがいっぱいでしたが、おかまい無しです。黙々と自転車を漕いで、ちょっと疲れてきた頃、ブタにエサをあげる氏本さんの姿が見えてきました。
 「島の人たちは晴耕雨読。機械的に決まった休日はないし、養豚の仕事はその時々によって内容が違う。半農半漁で時期によって全く仕事をしている人もいるよ」。そう話しながらブタをなでる氏本さんを見ていたら、祝島の人たちの自律性の高さを感じました。
 どんな生き方をしたいかが明確で、そのために人々が協力する意義を共有できていて、実践できる。反原発運動はそのベースの上に成り立っていて、表面だけ真似しようにも絶対にできない。あくまでも「ここで生きる」という自律心があっての反原発なのだなあ、と。

 結局、山戸さんがいっていた“島の矛盾”にたどり着けないまま、私は東京に帰りました。唯一わかったことは、祝島の美しさと反原発運動は、絶対的なお手本ではないということでした。きっと、祝島には祝島の下北半島には下北半島にふさわしいやり方があって、私たちはそれを自分で探さなければならないのだと思います。
 さあ、どうしよう? あれこれ旅の思い出を整理するなかで、1つのヒントが浮かんできました。祝島に2軒だけある飲食店の1軒、「こいわい食堂」に行った時のことです。
 店主の芳川太佳子さんは広島県出身で、祝島には2年前にIターンしました。食堂で使う食材は、ほとんどが島の人たちがお裾分けしてくれる野菜や魚です。お金を払うといっても「いいよいいよ」となるので、太佳子さんは食べ物をもらったことをノートに書き留めて、後日「お食事券」でお返しをするそうです。また、太佳子さんは数カ月に1回は広島に帰り、島の外のコミュニティにも触れているとも言っていました。
 こいわい食堂で食事している途中、島で唯一の女性漁師・竹林民子さんが太佳子さんを訪ねてきました。二人はとても仲良しで、最初は何気ない話をしているなあと聞いていたら、いつしか話題は消費税増税やギリシャの財政破たん問題に発展。お互いに、時々、激しい口調で意見を述べ合っています。私が18歳まで過ごした弘前では、当たり障りのない話をしてコミュニティが保たれているような気がしていたので、太佳子さんと民子さんが議論する様子にはちょっと驚きました。

 昔ながらのコミュニティに手ぶらで回帰するのではなく、仲良くしながら、お互いの意見を言い合える。ほどよく力を抜いて、大事なところはしっかり話す。とても先進的で、楽しそうなコミュニティです。こういう方法もあるんだと考えたら、少し希望が見えてきました。 

 今回の祝島ツアーは、行く前のイメージとはだいぶ違いましたが、それ以上の気づきを与えてもらえました。最初に山戸さんに「2、3日では島のいい面しか見えない」と言われたおかげで、単に「素敵な島でした」で終わらない旅になりました。
 でも、2泊3日は確かに短過ぎました。今回をきっかけに、また祝島に行って「ここで生きる」ヒントをもっと探さなければなりません。祝島で30年も続いた原発反対運動と謙虚に向き合い、繰り返し島の人たちに話を聞きたいです。その経験を重ねることから、下北半島に合った脱原発が見つかるような気がしています。

(A子)

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「意外な言葉」にショックを受けつつも、
小さなヒントを見出すことにもなったA子ちゃんの旅。
言葉にするだけなら簡単な「原発のない未来」を、「地域の自立」を、
どうすれば現実のものにしていけるのか。
そこに、明確な答えはおそらくないのでしょう。
だからこそ、今後も「下プロ」を通じて、
皆さんと一緒に考え続けたいと思います。

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