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2012-10-31up

柴田鉄治のメディア時評

第47回

その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、
ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

他社の「誤報」をどう扱うか――「iPS誤報」がもたらした難題

 10月はノーベル賞の季節である。日本人の受賞者が増えて、メディアの「ノーベル賞騒ぎ」が年々華やかになってきた感があったが、今年は有力候補が多いとあって、事前の予想報道がひときわにぎやかだった。
 その有力候補のひとり、文学賞の村上春樹氏は残念ながら入らなかったが、最有力候補といわれていたiPS細胞の山中伸弥・京大教授が予想通り医学・生理学賞を受賞して、日本中が喜びに湧いた。
 近年、ノーベル賞の選考が慎重になって、業績の確認や成果の定着を待って、相当な年数を経てからの受賞が多くなっていただけに、論文発表からわずか7年での山中教授の受賞は、異例のスピード受賞だといわれており、それだけに、iPS細胞を創り出した業績の素晴らしさと、再生医療などその応用への期待の大きさが際立っていたことがよく分かった。
 ところが、このノーベル賞受賞に便乗したかのような「大誤報騒ぎ」が起こり、日本のメディア界を震撼させたことには驚いた。恐らく、山中教授のノーベル賞受賞とともに、今年の大ニュースの一つとして、後世まで歴史に残る「誤報事件」となるに違いない。
 発端は、山中教授の受賞発表からわずか3日後の10月11日の読売新聞の1面トップに載った「大スクープ」だった。「iPS心筋を移植 初の臨床応用 ハーバード大・日本人研究者 心不全患者に」と大見出しが躍り、3面には「iPS実用化に加速 国内来年にも臨床」と大展開である。
 記事によると、ハーバード大の森口尚史客員講師らのチームが、今年2月に米国人の男性患者(34)にiPS細胞から作成した心筋細胞を注入して、患者は回復、現在は平常の生活を送っている。この臨床応用にはハーバード大の倫理委員会から「暫定承認」を得ていたというのだ。
 この記事を読んだときの私は、もちろん誤報とは思わず、「ずいぶん早い臨床応用だな。一番乗りの栄誉を求める暴走でなければよいが…」との思いから、1968年の札幌医大、和田寿郎教授による日本初の心臓移植のことがチラッと頭に浮かんだ。
 和田心臓移植は、一番乗りを目指した大変な暴走で、そのため日本の心臓移植は30年間もストップしてしまったのである。
 読売新聞は、その続報として同日夕刊にも1面トップで、ニューヨーク特派員による森口氏のインタビュー記事が載り、「死の間際iPSしかなかった 日本なら無理だった」と大きく報じている。
 ところが、翌12日の朝刊に「iPS移植 発表中止」の記事が載り、森口氏が発表を予定していたニューヨークの国際会議の会場に現れなかったことや、ハーバード大が森口氏と協力関係になかったと発表したことなどを報じて、雲行きが怪しくなり、13日の朝刊で「iPS移植は虚偽」と「おわび」を載せて、1ページ全面をつぶす検証記事を報じたのである。

誤報の原因は、記者とデスクの間に「会話」がなかったこと!

 学者の暴走ではなく、捏造だったのだ。学者の捏造といえば、2004年から05年にかけて、韓国の著名な生命科学者がES細胞(万能細胞)の研究で次々と「世界初の成果」を発表して「ノーベル賞、間違いなし」と国中の期待を集めていたのが、一転、捏造と分かって国中を落胆させた事件を思い出す。また、分野は違うが、米国の著名なベル研究所の科学者が、審査の厳しい一流科学誌につぎつぎと「新発見」を発表していたのが、捏造と分かった事件など、歴史的にはいろいろとある。
 こうした過去の事件と比べてみると、森口氏の事件はなんともたわいないというか、お粗末極まりないものだ。読売新聞が森口氏の「売り込み」に簡単に乗ってしまった背景には、一般にスクープ記事は一刻も早く報じたいものだが、そのうえに、山中教授のノーベル賞受賞が決まってニュース価値が一段と高まったから、いっそう急ぎたかったのだろう。
 その点では読売新聞に同情はするが、捏造と分かってみれば、「もうちょっと確認作業をしていれば分かったはずなのに」という部分が次々と浮かび上がってくるのだ。森口氏は医師の資格もなく、身分も「自称」で、論文の共同執筆者の名前も勝手に使っていたようなのである。
 それだけではない。読売新聞の検証記事によると、森口氏から論文草稿や自らおこなったという細胞移植手術の動画などが9月に電子メールで送られてきて、記者が東大病院の会議室で6時間にわたって森口氏から話を聞いたのは10月4日だったという。
 それから記事が掲載されるまでに6日間もあったのだ。所属先や論文の共同執筆者などを確認するのに十分な時間はあったというべきだろう。それに、本人と6時間も話していたのに、おかしなところに気づかなかったのであろうか。
 いや、記者は本人と話す前からいくつかの疑問点に気づき、本社のデスクにメールで伝えていたのだという。一方、デスクのほうは、記者がそうした疑問点を指摘してきた以上、その確認作業をやっているものと思い込んでしまい、また記者のほうはデスクからの指示がないことで、取材内容は十分だと受けとめてしまったというのである。
 この検証結果を見て、私が最も驚いたことは、記者とデスクの間にメールのやり取りだけで「会話」がないことだ。最近、新聞社の本社や支局を訪ねると、みんなコンピューターに向かっていて、シーンと静まり返っているのに驚くが、メディアにとって最も大事なことは、自由な社内言論であり、いつもワイワイがやがや激しく議論を闘わせていることが、目に見えないところでとても重要なのである。
 このことは、すべてのメディアに共通することであり、今回の誤報事件の最大の教訓として、しっかりと肝に銘じてもらいたいと思う。
 今回の誤報事件そのものは、このようにお粗末極まりないものだったが、誤報と分かってからの読売新聞社の対応は、実に丁寧で、なかなかのものだったといえよう。その後もさまざまな続報記事を載せ、10月26日には責任者の処分と同時に、またまた1ページ全紙面をつぶして森口氏に関する過去の報道までさかのぼって検証記事を報じている。
 誤報の後始末は、実につらい作業である。しかし、後始末は極めて重要なのだ。メディアの評価は、誤報の後始末によって決まるといっても過言でないほどである。
 読売新聞の「大スクープ」をあわてて追いかけ、11日夕刊用に記事を配信した共同通信は、なんとも気の毒だったとでもいうほかない。共同通信は、読売新聞を信用して森口氏本人に当たるだけで記事を配信してしまったようだが、地方紙などにそのまま掲載されたところが多く、波紋が大きく広がった。
 共同通信は12日夜、「事実無根だった」という記事と編集局長名のおわびを配信している。

他社の誤報に、朝日新聞が異例の詳報

 大スクープが一転して大誤報事件となったiPS移植報道は、13日に森口氏がニューヨークで記者会見に応じたこともあって、日本のすべてのメディアが大々的に取り上げる騒ぎに発展した。森口氏は会見で「6例のうち5例はうそだったが、1例は事実」とあくまで頑張っていたが、もはや信じる人はひとりもいなかったようだ。
 一般に、他社の誤報をどう報じるかは、なかなか難しい問題なのだが、今回は本人の会見もあって新しい事件として報じることができたため、どこの社もそれほど悩んだ様子はなかった。それぞれ独自に報道を展開したようである。
 そのなかで、私が「おや?」と思ったのは、朝日新聞の報道だった。読売新聞が1面のおわび記事と1ページ全面を使って検証記事を載せた、まさにその同じ13日の朝刊で、1面から社会面まで大々的に報じたのである。
 まず1面に躍った見出しが「iPS移植報道、読売新聞、検証掲載へ」「共同、誤報認め『おわび』」というものだった。他社の誤報を1面の大見出しで名指しして報じたケースは、私の記憶にはない。
 さらに社会面を半分以上埋めるほどの大展開をして「『iPS初臨床』暗転、報道判断分かれる」と報じているのだ。「報道判断分かれる」とあれば、二つの正反対の報道がなされたのかと思ったらそうではなく、森口氏の初移植を読売新聞や共同通信は報道したが、朝日、毎日、日経新聞は報道しなかったというのである。
 しかも、朝日新聞には森口氏から同じように「売り込み」があり、読売新聞より1日早い10月3日に3時間にわたって取材したが、信用できないと判断して掲載しなかったと書いているのだ。
 私がこの記事に強い違和感を覚えたのは、他社の誤報を名指しで喧伝したうえ、自社は踏みとどまったと自慢しているように感じたからだ。私がそう感じたくらいだから、一般の読者はもっと強くそう思ったのではあるまいか。読者にそう思わせるような記事の扱いは、決していいものだとは言えないだろう。
 朝日新聞はさらに、翌14日の朝刊でも「iPS騒動なぜ」という社会面をつぶすような報道を続け、新聞各社がどう報じたかを一覧表にまでして載せており、26日には2社面のトップで「読売新聞、局長ら処分」と報じているのだ。どうみても、やりすぎではなかろうか。

『週刊朝日』の過激記事に、今度は読売新聞が…

 ところが、誤報騒ぎはこれだけで終わらず、今度は『週刊朝日』が橋下徹・大阪市長の出自を過激に暴き、人権侵害にもあたる「ハシシタ 奴の本性」という連載記事を載せたことに橋下氏から強い抗議があって、『週刊朝日』が謝罪したうえ、連載を中止するという事件がつづいたのだ。
 その経緯のなかで、朝日新聞社が「週刊朝日は別会社だから」と責任回避のような態度を見せたことは論外としても、部落差別の問題には最も厳しい姿勢を貫いてきた朝日新聞社の関連会社でなぜこんな記事が出てしまったのか、不思議でならない不祥事である。
 この事態に対して、今度は読売新聞が2社面トップで大きく報じたのである。もちろん、報復という意味ではないだろうが、この報道の仕方にも、何か違和感を覚えたことは確かである。
 それでなくとも読者の新聞離れが加速されつつあるなかで、しかも新聞週間のある10月の間に、こんなことを繰り返していて新聞はいいのだろうか。新聞への信頼感を高めるような真の大スクープと、人権への配慮を磨いてもらいたいと、新聞記者OBとして心から願っている。

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いったい何だったの? の後味悪い思いが残った「誤報」騒動。
その最たる原因が「デスクと記者の会話のなさ」とは、なんとも象徴的です。
「信頼感を高めるような真の大スクープを」。
新聞を愛するがゆえのOB・柴田さんの願いは、果たして届くのか?
10月15日から1週間の「新聞週間」にあたっては、
各紙が「原点に立ち戻る」「信頼に応える」といった言葉を紙面に躍らせていましたが…。

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柴田鉄治さんプロフィール

しばた・てつじ1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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