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2011-08-31up

柴田鉄治のメディア時評

第33回

その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、
ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

原発事故は「民弊」、官の責任をウヤムヤにするな

 東日本大震災と福島原発事故が起こってから、全国各地でさまざまな講演会、勉強会、シンポジウムなどが頻繁に開かれている。8月20~22日に神戸で開かれた「公共哲学京都フォーラム」もその一つ。私も参加して「科学報道を検証する」という表題で発表させてもらったが、このフォーラムで実に興味深い話を聞いた。
 主催者の公共哲学共働研究所の金泰昌所長が教えてくれたもので、「韓国にあって日本にない言葉がある、それは『民弊』という言葉だ」というのである。その意味は「お役人(官僚)が民衆を苦しめる」ことだそうだ。
 そんなことは昔から日本でもいやというほどあったことなのに、なぜ日本語にないのか。「強いて近い言葉を捜せば何か」と訊ねたら「公害だ」という答えに、私は思わず「えぇ?」と驚きの声をあげてしまった。
 日本で公害といえば、私企業の工場廃液やばい煙などによって民衆が苦しむケースだろうというと、「いや、そのかげには必ず官がいるでしょ」と反論されて、ハタと思い当たった。水俣病はまさにそうだった、と。
 1956年5月、水俣地方に奇病が大量発生し、熊本大学医学部が総力をあげて原因を追究した結果、59年、工場廃液の水銀が原因だと突き止めた。それを受けて厚生省の食品衛生調査会も「魚介類を媒介とした水銀中毒」との答申を出した。
 ところが、企業と一体となった当時の通産省(現・経済産業省)が、いわゆる御用学者に「水銀ではない」という論文を書いてもらい、それを論拠に「原因をめぐって学界が割れている」という状況をつくり出し、厚生省を押さえ込んで「原因はなお調査中」という宙ぶらりんの状態にしてしまったのである。
 政府が水俣病を「工場廃液による公害病」と認定したのは、68年9月。大量発生から実に12年、熊本大の原因究明からでも9年の歳月が経っていた。その間に、どれほど新たな患者を生み出してしまったか、その罪深さは計り知れないものがある。
 福島原発事故を水俣病と比較して論じる議論が、いま、さまざまに展開されている。周辺住民への甚大な被害という点で、「原発事故は巨大な公害ととらえるべきだ」という論評も少なくない。「原発事故は『民弊』だ」という話も、そういう議論のなかから出てきたものなのである。
 そういえば、原発事故も公害も、もともとの責任は企業(東電)にあるとはいっても、それを助長してきたのは官庁(官僚)や学者たちであり、むしろその責任のほうが大きいのかもしれない。
 たとえば、福島第一原発も、そもそもの安全対策が甘かったうえに、最初は30年としていた使用年数を40年に延ばし、さらに50年に延ばしたところで事故を起こした。その延長を審査する場などで、津波対策の不備などさまざまな問題点が指摘されていたのに、そのほとんどが一顧だにされずに切り捨てられてきたことが、いま次々と明るみに出はじめている。
 水俣病の場合、企業の刑事責任は大量発生から20年後にやっと問われたが、通産省や厚生省などの官僚やいわゆる御用学者たちの責任は一切、問われなかった。それどころか、企業の幹部に有罪の判決が出たとき、通産省はこんな談話を発表している。「会社側は、判決の重みをかみしめて、二度とこういう問題を起こさないよう心すべきだ。通産省としても十分に監視、指導する」。よく言うよ、とでも評するほかあるまい。
 福島原発事故についての責任追及は、すべてこれからだが、東電の責任だけでなく、原子力安全・保安院や原子力安全委員会など官庁や、それに学者たちの責任もウヤムヤにしてはならないだろう。とくに、推進役と監視役の両方を握ってきた経済産業省の責任はきわめて大きいのだ。
 いま原子力安全・保安院を経産省から切り離して環境省の外局にする案が出ているが、ただ所管を変えるだけでは、水俣病で厚生省が通産省に押さえ込まれたように、何も変わらないだろう。「原発事故は『民弊』だ」と社会全体がしっかり認識することから変えていかなければならない。

■民主党代表選、二転三転のメディア

 ところで、話は変わるが、民主党の新しい代表を選ぶ代表選挙、すなわち2年前に政権交代が実現して民主党政権が誕生してから3人目の首相を選ぶ民主党国会議員による選挙を、メディアはどう報じてきたか。
 5人が立候補する乱戦模様となったうえ、最終的には真っ先に名乗りを上げた野田佳彦・財務相が、第1回投票で2位に食い込み、決選投票で大逆転して勝利を収めた。ひと言でそう表現すれば、それほどの波乱もなく、すんなり決まったようにも見えるが、決してそうではない。メディアの代表選報道は、大揺れに揺れ動き、二転三転、激しくジグザグの道をたどったのである。
 菅首相の退陣条件にメドがついた8月中旬、自民党との大連立を掲げて真っ先に手をあげたのは野田氏であり、そのときのメディアの報道は「野田氏でほぼ決まり」といったムードだった。
 野田氏は地味な存在ながら、比較的「敵」も少なく、「ねじれ国会」のもと、震災復興、原発事故、円高、デフレなどの難問に立ち向かうには、野党にも受けのよい野田氏が適任だ、みんな勝ち馬に乗ろうとするに違いない、とメディアは見たようである。
 「野田首相に蓮舫官房長官」といち早く人事の予想まで報じるメディアまであったほどである。
 ところが、「今回は出ない」といっていた前原誠司氏が、「野田氏でいいのなら自分のほうが…」と思ったのかどうか、支持者たちの要請で出馬を検討すると言い出したことで状況は一変した。まだ、正式に出馬を決めていない段階からメディアは「前原氏が出るなら前原氏で決まりだ」と報じはじめたのである。例によって「世論調査の結果は、前原氏の人気が抜群」だとして、気の早いメディアは「野田氏の目はなくなった」と報じたところさえあったほどだ。
 ところが、またまた「ところが」である。菅首相をはじめ現執行部から阻害されていた小沢一郎氏や鳩山由紀夫氏らが動き出したことで、またも状況は一変した。今度はいつもながらの「親小沢」か「反小沢」かの争いである。そして、小沢・鳩山氏が海江田万里氏の支持を決めたことで、海江田氏が一気に先頭ランナーに躍り出た。
 海江田氏が、小沢・鳩山ラインに同調して野党との三党合意の見直しを言い出したのはまだ分かるとしても、菅首相の「脱原発」意見と真っ向から対立してきたはずの海江田氏が「やがては原発をゼロに」言い出したのには仰天した。
 届出から投票までわずか3日間という選挙戦は、結局、政策の争いにという掛け声とは裏腹に、どろどろした多数派工作に終始してしまったようで、いま日本にとって最も重要な「原発をどうするか」といった政策論争もほとんど何も行われなかった。
 それはともかく、野田首相がこれからどんなリーダーシップを発揮するか、それをメディアがどう報じていくか、注意深く見守っていきたい。

■気になる野田氏の歴史観、メディアはなぜ追及しない?

 ところで、野田氏が首相になって心配なところは何か。いち早く増税論を打ち出すなど、財務省の言いなりではないか、という批判の声は最初から渦巻いていたが、私が最も気になるのは、野田氏の歴史観である。
 野田氏は小泉政権時代、靖国神社に合祀されているA級戦犯について、戦争犯罪人ではないという見解を示したことがあった。そのことを覚えていた記者がいて、代表選に手をあげたあとの記者会見の際、野田氏の見解をただしたところ、野田氏は「当時と基本的には変わっていない」と答えたのである。
 この記者のジャーナリスト精神はなかなかのもので、これぞメディアの役割だと思うが、せっかくそういう答えを引き出しておきながら、その後のメディアの追及は、なんとも中途半端なものだった。むしろ、この発言を受けて直ちに反応したのは韓国である。韓国外交通商省は「侵略の歴史を否定しようとする言動だ」と批判する談話を出している。
 この野田氏の歴史観を朝日新聞はすかさず社説に取り上げた。「さすがは朝日だ」と褒めたいところだが、その内容があまりにも及び腰なので、ちょっとがっかりした。見出しからして「野田氏の発言 言葉を選ぶ器量を待つ」というのである。これで何が言いたいのか分かるだろうか。せめて「野田氏の歴史観 首相になるにはふさわしくない」くらい言ったらどうだろうか。
 野田氏は松下政経塾の第1期生である。私のみるところ、どうも松下政経塾出身者には戦前の日本が韓国や中国に対してやってきたことをそれほど悪くなかったと考えている人が多いようにみえるが、どうなのだろうか。
 5人の立候補者が決まってからでも、記者会見は何度も繰り返されたのに、歴史観を訊くような質問はまったく出なかった。これからの日本にとって、いくら日米同盟が機軸だといっても、中国や韓国とどう付き合っていくかは大事なテーマである。しかも、尖閣諸島や竹島のようなやっかいな問題も抱えているのだ。
 たとえ当人がいやがっても「嫌な質問」を訊くのがメディアの仕事なのである。首相が代わるこの機会に、メディアのいっそうの奮起を期待したい。

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かつて毎日新聞のアンケートで、
憲法9条の改正に対しても「賛成」を明言し、
集団的自衛権行使の禁止についても「見直すべき」と応えていた野田新首相。
自民、公明との「大連立」の可能性も指摘される中、
この国はどうなっちゃうの? と不安が強まります。
そんなときこそ、メディアの果たす役割は大きい、はずなのですが…。

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柴田鉄治さんプロフィール

しばた・てつじ1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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