ホームへ
もくじへ
 
都知事選挙は、投票直前の世論調査を見て、投票先を決めよう。

やまぐちじろう
1958年生まれ。81年東京大学法学部卒業。93年北海道大学法学部教授を経て現職。専門は行政学、政策分析、現代政治。著書『ブレア時代のイギリス』(岩波新書)『「強者の政治」に対抗する』(岩波新書)他、多数。

 
都知事選挙は、投票直前の世論調査を見て、投票先を決めよう。

  3月22日に告示、4月8日が投票日の東京都知事選をめぐって、さまざまな声が私のところにも届いています。反石原慎太郎でどうにか一致団結して選挙戦を戦えないかと、私も考えました。
 実際に札幌市長選挙では、事実上、民主党系の現職、上田文雄氏を共産党が独自候補を立てないことで応援をすることになりました。実に44年ぶりに候補者擁立を見送ったという経緯があります。札幌でできたんだから、他のところでもできるだろうと思うところはあります。
 ただいつも共産党に対して、独自の候補者を立てるな、協力してもらいたい、ということを言うつもりはありません。例えば東京都について言えば、石原都政に対して、議会では全面的に対決姿勢でのぞみ、知事の交際費の使い方など明るみに出して問題化させてきたのは共産党だった。そのことについてはやはりきちんと敬意を払わないといけないし、早くから候補者を出して準備をされてきた共産党推薦の候補者に、のっけから降りて欲しい、というのでは、話にもならないと思います。

 しかしあまりにも石原都政がひどいので、あと4年間これが続くと、日本の政治はどうなってしまうのか、という危機感がとても強くあるものだから、できるかぎり反石原の候補者を一本化してどうにか勝てる選挙戦をしていかないと・・・と私も言ってきました。まず、基本は石原知事を辞めさせる、という大原則をみんなで確認をすることです。なぜ石原知事がだめか、というところでは、人権無視、側近政治、都政の私物化など、これぐらいの問題認識は共有できるのではないでしょうか。石原氏を知事の椅子から降りさせた後、どういう都政をつくるか? については細かいことを言い出すと、分裂するので、ざっくりとした共通認識を持っていればいい。例えばきちんと情報公開をするとか、公私混同をやめる、学校現場の人権無視を止めるなど、政権構想は4つか5つでいい。そこを確認してより勝てそうな人に、候補者を1本化していくというのが、勝つための方法論だったと思います。
 が、今となっては、反石原陣営では、浅野史郎氏と吉田万三氏の分裂選挙になることはもう仕方がない。仕方がないとしたら、戦い方においてある種の紳士協定みたいなものを作り結ぶことが必要でしょう。
 主敵は石原氏なのです。そこを攻撃することに100%の労力を費やさなくてはならないのに、ここで内輪もめのようなものことをしていてはだめです。お互いの支援者が、罵詈雑言を言い合うようなことをやればやるほど、石原氏に有利になるだけです。
 これからは、石原氏を倒すためには、どうすればいいのか、そのことを個々の有権者がぎりぎりまで考えることです。
 もっと具体的に言えば、投票日の1週間前か、4,5日前に新聞に発表される世論調査を見て、その時点で一番石原を倒すことができる可能性の高い人に票を集める。そういうキャンペーンをやったらどうでしょうか。浅野氏か吉田氏、どちらかを応援するのではなく、直前の世論調査の結果を見て、反石原一番手に票をかためる運動、これしかないです。

 その候補者がどういう人で、どういう思想信条を持っているのかよくわからないのに、反石原というだけで、その人に投票していいんですか? ということを言う人も必ずいますが、それでいいんです。選挙というのは、「よりまし論」でいいんです。なぜなら、定数一を取らなくてはいけない首長型の選挙については、勝たないと意味がない。結果が全てなんです。得票総数では反自公を上回っていたなんてことを言っても、そんなものは自己満足でしかない。
 そこをみんなわかっていなくて、選挙運動も一生懸命やればいいみたいな、変なアマチュアリズムがある。それじゃだめなんです。「清く正しく」みたいなものは、選挙に負けたら何も意味を持たないんです。
 選挙権は、我々の持っている最大の武器です。逆に言うと選挙で結果を出さないと、いくら市民運動を一生懸命やっても、抵抗運動をやっても、今の政治は続くのです。今、市民のリアリズムが、ほんとうに必要です。

戦略的投票で立ち向かうべきだ

 民主政治は政党なしには、動きません。やはり職業的に政治という仕事に従事する人間がいないと民主政治は運営していけませんし、主義主張を同じくする人たちがグループを作っていく政党のない民主政治はありえない。日本の場合、自民も民主もあまりにもひどい体たらくだから、無党派が脚光を浴びているが、私は無党派というのは、あくまで過渡的なものだと考えています。無党派層が既成政党に対して批判をすることで、政党が一歩でも二歩でも脱皮するのが本来の姿です。無党派が権力を担うことはできないのです。

 私はみんなから民主党に甘いと言われますが、今の安倍政権を変えるには、現実的には民主党が権力を取るしかないのです。民主党員にはいろいろな人がいて、私が見る限り、「右・左・まんなか」それぞれ三分の一ずついます。今は、安倍政権との対抗上、かなり左に寄ってきてバランス良くなっているし、割合と正しい路線を示していると思います。だから市民派、護憲派には、ここでだだをこねたら、それ以上どういう選択肢があるの? と私は問いたい。

 民主党、自民党が大連立を組むこことは、ありえません。ただ、例えば、参院選で自公過半数割れしたら、政党再編はありうることです。自民党はどうしても過半数を取るために、同じような考えをする民主党議員に手を突っ込んでくるでしょう。それはそれでいい。自民党の中からも、飛び出してくる議員がいると思います。こんな右よりの自民党はもう耐えられないと言って。その時は「憲法改正を軸とした政党再編」はありうると思う。そうなったらちゃんと、総選挙で国民に問えばいいんだと思う。
 そうした時に、自分たちこそが「一番正しい護憲派だ」「あれはインチキな護憲だ」などという議論を絶対にしちゃいけない。それはあまりにもリアリズムの欠如です。いろんな護憲があっていいんです。守るべき最後の一線だけは共有しておけば。「憲法9条は変えない。」「集団的自衛権は認めない。」「自衛隊は海外で武力行使はしない。」それだけで十分でしょう。

 日本の市民派はどこか子どもっぽいところがあります。理想主義を掲げるのはいいですが、場面によって日本人はもう少しおとなにならなければと思います。イギリスには「タクティカル ボーティング (戦術的投票)」という言葉が、一般の市民の間に普通にありますが、日本でもそれをやらないとだめですよ。
 直近の都知事選挙、これからやってくる参議院選挙、衆議院選挙、それから場合によっては、憲法改正のための国民投票などは、大人になり“人民戦線”で立ち向かわないと、ほんとうにもう戦後民主主義はくずれてしまう。私は危機感をつのらせています。

 
 
支持率低下中の安倍内閣ですが、施政方針演説では、
今国会での国民投票法案の成立を強く訴えました。
問題点を残したまま、憲法を変える手続き法という最重要法律を
制定してしまうことへの、強い疑問と不安をおぼえます。
みなさんは、どう思いますか? 
とくにテレビ業界のみなさんのご意見、お待ちしております!
ご意見募集!

ぜひ、ご意見、ご感想をお寄せください。
このページのアタマへ