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2013-04-17up

立憲政治の道しるべ/南部義典

憲法によって国家を縛り、その憲法に基づいて政治を行う。
民主主義国家の基盤ともいえるその原則が、近年、大きく揺らぎつつあります。
憲法違反の発言を繰り返す政治家、憲法を無視して暴走する国会…。
「日本の立憲政治は、崩壊の危機にある!」
そう警鐘を鳴らす南部義典さんが、
現在進行形のさまざまな具体的事例を、「憲法」の観点から検証していきます。

第18回

ようやく始動した、衆議院原子力問題調査特別委員会―蜂須賀・元国会事故調委員の重く、厳しいメッセージ―

国会事故調報告書から、9か月も放置された「提言」

 4月8日、衆議院の原子力問題調査特別委員会が開かれました。国会事故調(東京電力福島原子力発電所事故調査委員会)の黒川清・元委員長ほか、元委員9名が参考人として招致され、6時間半にわたって質疑が行われています。
 ご承知のとおり、国会事故調は、福島第一原子力発電所事故の調査を行う目的で、2011年12月8日に発足しました。約半年間にわたる調査活動を経て、「今回の事故は自然災害ではなく、明らかに“人災”である」と結論付ける報告書を公表し(2012年7月5日)、現在は解散しています。
 8日は、国会事故調メンバーが久しぶりに集う、注目の参考人質疑でした。しかし、当日のニュース、翌日の朝刊各紙は、「事故はまだ収束していない」という黒川元委員長の発言がごくわずか、象徴的に紹介されただけでした。

 国会事故調の報告書は、福島第一原発事故調査の結果だけがまとめられているのではなく、最後に、事故調による7つの「提言」が盛り込まれています(*1)。
 そのうち「提言1.規制当局に対する国会の監視」及び「提言7.独立調査委員会の活用」は、福島第一原発事故の原因を継続的に究明すること等の目的のため、国会に独立した委員会を設置すべきというものです。報告書の公表を以て、「これでOK」と議論を終結させてしまうのではなく、どのような“人災”だったのか、立法府としてさらなる事実調査を行うとともに、与野党が党利党略を超えて国政調査権(憲法62条)を果断に行使し、原子力規制行政、復興行政を厳格に監視し、統制することが期待されていたのです。
 しかし国会は、この調査委員会をスムーズに設置すべきだったところ、報告書の提言を長くたな晒しにしてきました。与野党が、真摯な検討協議を進めた事実はみられません。報告書の公表は、混迷政局の真っ只中で、報告書に目を通す暇などないといった状況だったのです(*2)。
 結局、衆議院の解散・総選挙ののち、原子力問題調査特別委員会が設置されることが決まったのは、第183回国会、つまり、いま開会中の通常国会です。報告書の公表(2012年7月5日)から特別委員会の実質調査が始まるまで、実に9か月を要したのです(*3)。

 国会の停滞は常態化しています。当たり前の仕事をしない国会が、当たり前の姿になっていますが、この9か月間、国会事故調の報告書をステップに、さらなる事実調査と行政監視に踏み出す機会を逸した責任を見過ごすわけにはいきません。
 報告書が公表された後、政府に原子力規制委員会が設置されています(2012年9月19日)。先般、原発再稼働の前提となる新しい規制基準案が公表され、パブリックコメントが始まるなど、原発安全規制に関し、政府内でさまざまな動きがあります(その一つひとつが非常に重要な案件であることは言うまでもありません)。さらに、福島第一原発・原子炉の冷却システムに係る地下貯水槽からの汚染水漏れが発生し、現地では緊張の作業が連日続いています。いずれにせよ、国会は「我、関与せず」と、相変わらずアクションを起こしません。考え悩んでいるフリをして、「お茶の間の視聴者」に成り下がっているのが、国会議員の実態です。
 国会事故調の報告書は、国会議員だけの所有物ではありません。主権者である国民が将来にわたって共有すべき、貴重な財産です。
 この貴重な財産を決して蔑ろにするべきではないと、4月8日の参考人質疑では、重く、厳しいメッセージが投げかけられています。

(*1)国会事故調「7つの提言」(2012/07/05)
 提言1. 規制当局に対する国会の監視(国会に常設委員会等を設置)
 提言2. 政府の危機管理体制の見直し(政府と事業者の責任と役割分担の明確化)
 提言3. 被災住民に対する政府の対応(住民の健康調査、除染活動等)
 提言4. 電気事業者の監視(国会による監視も実施)
 提言5. 新しい規制組織の要件(独立性、透明性、専門性、責任感、一元化、自律性等)
 提言6. 原子力法規制の見直し(国民の健康と安全を第一とし、原則、既存炉にも遡及適用)
 提言7. 独立調査委員会の活用(未解明部分の事故原因の究明ほか、今回の調査対象外の課題、例えば使用済核燃料問題を調査する独立委員会を国会に設置)

(*2)報告書公表の一週間ほど前、2012年6月26日の衆議院本会議では、社会保障と税の一体改革に係る関連法案(消費税増税法案)の採決が行われ、民主党内から57名が造反し、7月2日にはそのうち50名が離党届を提出するなど、政局騒動が極まったタイミングでした。このときの第180回通常国会は、9月8日まで会期が延長されたものの、上記採決の翌日(6月27日)から7月5日まで、国会では委員会、本会議がまったく開かれない不正常な状態でした。報告書の公表(7月4日)は、まさにこの政治空白期間に当たってしまったのです。

(*3)原子力問題調査特別委員会は、参議院には設置されていません。参議院議員の半数改選(夏の通常選挙)を間近に控えた国会に当たるため、余計な仕事(活動)を増やしたくないというのが参議院サイドの本音です。

蜂須賀参考人の発言

 4月8日、衆議院原子力問題調査特別委員会では、国会事故調の黒川・元委員長をはじめ、元委員9名に対する参考人質疑が行われました。
 私がもっとも注目したのは、蜂須賀禮子参考人の発言です。蜂須賀参考人は(福島県双葉郡)大熊町商工会会長という立場で、地元の被災者として唯一、国会事故調のメンバーに加わった方です。
 蜂須賀参考人の発言録(下記)を、ぜひご一読ください。発言録【1】は基調発言として述べられた内容、発言録【2】は塩崎恭久議員(自由民主党)(*4)による質疑と、参考人答弁です。

発言録【1】基調発言

 元委員の蜂須賀です。いま避難している会津は、今年は大雪の冬でした。毎日のように、どこかの仮設に救急車が来ます。狭い狭い、仮設住宅での生活です。
 その会津にも、桜が咲こうとしています。三回目の桜です。一回目は、涙で桜を見ることができませんでした。二回目は、薄色の会津の桜を見ることができました。三回目は・・・私たちは自分のふるさとの桜を見ることができません。季節が変わるたびに、ふるさとを思い浮かべる毎日です。
 昨年は、委員として事故の事実を知ることにより、避難者、被災者の皆さんより多くの情報を知ることに、苦しい思いをしました。しかし、この事故の事実がこれからの原子力に役に立つことだと信じ、現実に向き合い、事故調査委員会は国会に対して提言を提出いたしました。
 しかし、国会の対応は、大変申し訳ございませんが、私、被災者にとっても歯がゆいことでした。

 本日、この場に立たせていただいたことに感謝をし、事故調査委員、また、自分に与えられた被災者の代表として、この二年間の不安、悲しみなどを伝えられたらと思います。
 一つの光が見えたと思えば、その光が手に取る前に、また一つの黒い雲が掛かってしまいます。そして私たちはまた、闇の外に落とされてしまいます。
 毎日報道される、原子力発電所のトラブル。事故原因があやふやにされた中でのトラブル。何一つ、私たちの「こころの安心」がありません。
 電力会社においては、トラブルが起きると、ただ謝るばかり。二年経っても、すべて仮設設備。なぜに、本格的な設備、整備が出来ないのでしょうか。なぜ、政府、国会はそれに命令が出来ないのでしょうか。
 私たち避難者は、国の命令で避難させられました。国民の命を守るための避難命令ならば、いまの電気事業者の危機管理の意識の甘さに対しても、強い命令を出すべきだと、私は思います。「提言3.被災住民に対する政府の対応」、「提言4.電気事業者の監視」これを、私は強く望みます。

 まだまだ、事故は続いています。福島第一原子力発電所事故の処理に当たっているのは、事故によって避難させられた人々です。自分の命を削って、将来の子どもたちの故郷を取り戻すために、懸命に原発の現場に行っています。
 原発で働くことが「雇用」と言えるでしょうか。国民の安全、被災者の苦しみ。私は、思います。この場所、国会においては、先生方は分からないです。話し合いだけではだめです。
 委員に選ばれたとき、黒川委員長が私に尋ねてくれました。「蜂須賀さん、私たちは一番先に何をする?」そのとき、「現場、福島第一原子力発電所を見てください」と、そう答えました。すると、「そうだね」と。第一回目は、福島でした。第一原子力発電所を見ることから、スタートしてくれました。このときです。大変失礼だと思いましたが、「この九名の先生方を信じよう、絶対に、私たちを救ってくれる」と思ったときでした。
 被災者のいまの生活。家族六人、その六人がバラバラの生活。慣れない場所で留まっている老人。口に入れる一つひとつの食べ物に不安を感じながら食べ、食べ物への不安。どれもがすべて、ストレスとなっています。私たち避難者は、精神的にも、もう一杯いっぱいの毎日です。
 “人災”という報告書を出させていただきました。危険、危ないと言われ、やらなければならなかったことをやらなかったことが、この事故を大変なものにしたのだと思っています。
 いまの第一原発もそうです。きちっとやらなければならないことをやらないから、いろんなトラブルが起きているのです。トラブルならまだいいです。まだ、大熊町に原子力発電所があった頃、小さなトラブルが一杯ありました。電力会社は「トラブルです。事故ではありません」と私たちに説明していました。
 いまもトラブルです。しかし、これが事故になったら、いまの福島第一発電所のような事故になったら、日本はどうなるでしょうか。
 私たちには、いま何を信じればいいのか分かりません。国会は、政府は、私たちに信じて生きられる、不安のない将来に対して、生きることを考えることができる「こころの安心」を下さい。
 以上です。

発言録【2】質疑

塩崎恭久委員(自由民主党)
――今回の報告書を大熊町の皆さん方や被災地、あるいは立地市町村、あるいは福島県の皆さま方がどのように受け止められて、事故原因について、あるいは東電のあり方や、あるいは規制当局がこれまでやってきたこと、さぼってきたこと、間違ってきたこと、隠してきたこと、いろんなことがあったと思いますが、そういうことが洗いざらい書いてある報告書を、地元の皆さまはどのように受け止められたのかということについて、少しお話をいただければと思います。

蜂須賀参考人
 この報告書、最初に申し上げましたとおり、「人災」という言葉でまとめさせていただきましたけれども、本当にそうだなという意見が大半でした。黒川委員長とこの報告書を一件一件、12市町村を回らせていただいたときにも、“ありがとう”という言葉もいただきました。被災者、そこの立地町である私たちが思っていたこと、思っていても口に出せなかったことが明確に、この報告書に記載されたことによって、私たちが声を上げることができたんですね。我慢していたこと、なぜかというと、私たち大熊町に限らず立地町は当然というか、電力会社でみんな働いています。関連事業者、会社でも働いています。それが故に、言いたくても言えないことがいっぱいありました。でも、こういうふうに活字になったことで、本当にそうだと。これは、僕たち、私たち、俺たちが思っていたことだよというふうに、よくぞやってくれたというふうに。責められるのかなと正直思ったのですけれども、帰ったときに「ありがとうね」という言葉をいただきました。ゆえに、国会の先生方には、私たちの提言を一刻も早くやっていただきたかったなというのが正直な思いです。

塩崎委員
――午前中お述べになった「何しろ、こころの安心をください」というのが、まとめのお言葉でありました。いま、この国会事故調の提言にあるように、ちゃんとやってくれというのが被災地、立地町村の声だということだと思うんですけれども。もう少しですね、具体的に何を、大まかな順番で以て、何を優先順位として真っ先にやってもらいたいのか、そしてこれだけは絶対やってほしい、ということをもう少し具体的にお話しいただけるとありがたいと思いますが。

蜂須賀参考人
 すみません、まとまらなかったら申し訳ないんですけれど。私たちいま、二年経って、「どうしよう」という気持ちが多くあるんですね。その「どうしよう」は、一年目の「どうしよう」、方言で「どうすっぺ」という言葉なんですけれども、「避難してどうしよう」、「原子力発電所事故が起きてしまってどうしよう」というのが、一年目の「どうしよう」でした。いま二年目経って、自分の将来、大熊町に帰れるのか、双葉に帰れるのか、それともまだ会津にいなければならないのか、知らないいわきに住まなければならないのかという、その方向性が、国が示してくれないんですね。私たちはもう、帰還困難区域という所に入っています。私のところは4.2キロしか離れていません。除染しようが何しようが、もしかしたら帰れないかもしれません。この「帰れない」という被災者の気持ちがあるにもかかわらず、方針を出してもらえないもどかしさですね。きちっとした方針を出してほしいと思います。
 まず、復興住宅もそうです。いま私の住んでいる仮設は、四畳半と六畳、縦に一列になっているだけで、カーテンを閉めて玄関を閉めると窓がありません。もう、ホコリは凄いし、電気は一日付けていなければならないというような所で二年間生活しています。
 いまやっと、畳が入りました。去年の暮れには、お風呂に追焚きが入りました。そうなると、「もっとこの仮設に居なければならないの?」というふうな思いがあるんですね。そして、復興住宅、災害住宅を建てると。いま私は会津にいますので会津のことを言わせていただくと、会津には500戸建てると。でも、大熊町民だけがその復興住宅に入れるわけじゃない。被災している人たち、津波の人も、地震の人もみんなその復興住宅に入らなければならない。でも、入るのならば、もっと早く作ってほしい。できれば、私たちはそれぞれ、アパートの生活なんてしたことありません。隣の声が聞こえてくるような生活も、生まれてこの方したことありません。一戸一戸の住宅に住んでおりますので。ですので、一戸建ての家が欲しい。隣の音が聞こえないような家が欲しい。
 でも、その家に住むのにも、「家賃を払え」と言われました。なぜ、避難命令で避難している私たちが家賃を出してその場所に住まなければならないのか。「だったら、後で電力会社に請求すればいいでしょ」と言われました。なぜ、私たちが請求書を書いて、事業者に請求しなければならないんですか。それは、国が、国会の先生方が、私たちの代わりに電力会社に請求を出して、私たちが安心して、そんな一々、どんなふうに書いていいのかわからない。請求書一つもそうです、70、80の老人はどう書いていいのかわからないような請求書です。その請求書を出さなければ、補償金も賠償金も出さない。ましてや、住む家を奪っておいて「家賃を出しなさい」。そんなバカげた話はないでしょう。ですから私たちは、住む家も与えてほしいです。一刻も早い、一軒一軒の家を。家財補償の話もありますけれども、でも全然進んでおりません。私、独り暮らしを例にさせていただきますと、一人には精神的慰謝料、5年で600万です。5年です。私は一人ですので、600万です。私にもし旦那がいれば、1,200万でしょう。子どもがいたら、1,800万です。何とか5年は生活できるかもしれません。でも一人でも、使う電気、ガス、一緒なんですね。6年目の補償が未だ、私たちにはされていないんですよ。それもやはり、心が痛んでいる一つの原因です(*1)。
 ですから、大熊町に帰れない、帰りたいという思いもあります。でも半分以上は、本当に帰れないのかなって、いう気持ちがいま二年、三年目に入って、ひしひしと感じてきているんですね。それに対して政府は、何も道しるべを出してくれないです。私たちは、もう覚悟は決まっていますので、きちっとした、私たちが安定して、あと何年…私も61になりました、あと何年、心休まる生活を、避難者でありながらも、心休まる生活をいただきたいと思っておりますので。

 電力会社を監視することも大事なことかもしれません。あんな、みなさん現場に行って見て分かるとおり、仮設のホースで、根っこが入ってきて、あのホースに穴が開いた(*2)。当たり前じゃないかというふうに思いますね。あの現場の中に、私たちがもう一度帰って行けるかといったら、行けないと思います。ですから、私たちが生活する上で、高速道路も、陳情するまでは無料化してくれない、お願いしなければ何にもしてくれないというんじゃなくて(*3)、私たちがいま苦しんでいること、苦しんでいることを先取りをして、私たちが苦しまないような対応を先手、先手で打っていただきたい。それが私たちのこころの安心なのかなと。これは私個人の考えです。私が二年間、仮設の中で生活している中での、本当の思いですね。
 ときどき、「自分がいま、どこで寝ているんだろうな」と夜中に目が醒めて、思います。いま大半の人たちが安定剤、睡眠薬を飲んで眠っております。でなければ、夜眠れないんです。一年目は疲れ切って、もうぐっすり寝ました。でも二年、三年目に入って、もう将来のことを考えると眠れなくなってくるんですね。ですから、もっともっと早い道しるべというか、光を、私たちに見せていただきたいと思います。ごめんなさい。取りとめのない話で。

塩崎委員
――ありがとうございました。大変、重たい話でありますし、国会事故調が扱った事故の重さ、これを存分に、原因を含めて示していただいたわけですから、いまの蜂須賀さんのような被災地での被災者の皆さんのお気持ちをきちっと踏まえながら、我々この委員会を含めて対応しなければいけないということを、改めて感じさせていただきました。

(*1)原子力損害賠償紛争審査会「東京電力株式会社福島第一、第二原子力発電所事故による原子力損害の範囲の判定等に関する中間指針第二次追補(政府による避難区域等の見直し等に係る損害について)」(2012年3月16日)
(*2)朝日新聞「原発ホース、雑草が貫通 東電「水漏れの原因」」(2012年2月10日配信)
(*3)国土交通省「原発事故による避難者に対する高速道路の無料措置 4月以降の取扱いについて」(2013年3月5日発表)

** 発言録は、暫定的な使用のため筆者が起こしたもので、後日、正規のものと差し替える予定です。

 被災者が苦しむことがないよう、国は「先手、先手を打て」と、切実に訴求する蜂須賀参考人。事故から2年、被災者の置かれている状況を、リアルに、力強く伝えておられます。その一方、この先5年間は生活補償が受けられるものの、6年後のことを考えると心休まらず、夜眠れないと、悲痛な心持ちを語っておられます。
 衆議院の審議中継をご覧いただければ分かりますが、発せられる言葉の一つひとつが重く、圧し掛かります。国会が政局に熱くなっていた間、連日連夜、被災者にどれほどの不安とストレスを蓄積させてきたのか、痛烈に身に沁みてきます。
 ようやく始動した、原子力問題調査特別委員会。蜂須賀参考人の重く、厳しいメッセージは、議会の原点(行政の監視、統制)を再認識させ、議員の役割意識を覚醒させるものです。2013年度政府予算案の審議が終わると、国会日程は内閣が提出する法律案の審査に集中するわけですが、被災者(被害者)の意見を日常的に聴取する機会に乏しい国会において、とくに今回、実施のタイミングを相当程度逸したとはいえ、他の参考人も有益な示唆を与え、貴重な質疑の機会となったと思います。

 原子力問題調査特別委員会は今後、国会の各会期で少なくとも一回、国会事故調元委員に対する参考人質疑を慣例化してはどうでしょうか。元委員との一定の緊張関係を保ちつつも、事故調査等を共働して進めていくことが望ましいと考えます。その都度、有意な成果が得られるはずです(*5)。
 千年に一度といわれる災害が起きた以上、国会の運営が通常モードないしそれ以下では、立憲政治が成り立つはずがありません。事故調査を一方的に、なし崩し的にthe Endにしようとする一部政党の思惑にうっかり流されてはいけません。読者のみなさんも、蜂須賀参考人のメッセージをしっかりと受け止めていただければ幸いです。

(*4)現在、衆議院原子力問題調査特別委員会の与党筆頭理事を務めています。2011年、国会事故調設置法の制定に尽力しました。
(*5)特別委員会は、定例日を設けることなく、与野党の合意さえあれば、曜日を選ばず任意に開くことが可能です。内容・テーマを深化させるため、国会版事業仕分け(2011年11月16日・17日の衆議院決算行政監視委員会・行政監視に関する小委員会)のように、議員、政府、参考人の三極構造で討議を進めることも一案です。

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あまりに重く厳しい、被災地からの声。
蜂須賀元委員がいう「こころの安心」を、どうしたらもたらせるのか。
「当たり前の仕事をしない国会が、当たり前の姿になっている」。
そんなことが、許され続けていいはずはありません。
この原子力問題調査特別委員会の様子は、衆議院TVで見ることができます。

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南部義典さんプロフィール

なんぶ よしのり慶應義塾大学大学院法学研究科講師。1971年岐阜県生まれ。1995年京都大学卒業、国会議員政策担当秘書資格試験合格。2005年から国民投票法案(民主党案)の起草に携わり、2007年衆参両院の公聴会で公述人を務めた。近時は、原発稼働をめぐる各地の住民投票条例の起草、国会・自治体議会におけるオンブズマン制度の創設に取り組む。著書に『Q&A解説・憲法改正国民投票法』(現代人文社、2007年)がある。ツイッター(@nambu2116)フェイスブック

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