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2012-02-15up
17世紀のイタリアで、ガリレオ・ガリレイは地動説を説いた。天体は地球を覆う殻ではない。なぜなら太陽が地球の周りを回っているのではなく、地球が太陽の周りを回っているのだから。
当時は一大スキャンダルだった。そんな学説を認めれば、神が万物を創造したとする神学の根拠が揺らいでしまう。絶対的な権力であった教会は、その天才的な科学者に学説の撤回を迫った。弾圧するわけではない。あなたの新説は危険ですよと囁きながら、真綿で首を絞めるようにプレッシャーをかけるのである。
ガリレイは自説を撤回した。その代わりに学究生活は保障された。彼の弟子であるアンドレアら若き学者の卵たちは、圧力に屈した科学者に失望し、ガリレイの元を去る。しかし、ガリレイはその後、地動説を立証する「新科学対話」を密かに書き続け、自由な学説を発表できるオランダへ向かうアンドレアに託すのであった。
ガリレイが教会と対峙し続けていたら、真理は闇に葬り去られていたかもしれない。彼は権力に対する面従腹背によって、地動説を世に知らしめることができたのである――物語はそう読むことができる。ベルトルト・ブレヒトが初稿を書き上げたときは、そうした解釈に近かったという。1938年11月、ナチスドイツから逃れた彼はデンマークにいた。上演の目途は立たず、ヒトラーの勢いが増していくなか、欧州を転々としたブレヒトはアメリカを目指した。
そこでブレヒトは原子力爆弾がヒロシマ、ナガサキに落とされたことを知る。そして作品の改定を試みる。ガリレオの転向は、科学が世の中の動きと関係なく、ただ進歩すればいいと人々に思わせてしまった。それは大きな罪ではないかと考えたからだ。
ブレヒトはテキストを世の中の動きに合わせて書き直すことに躊躇しない作家だった。作品が時代に制約されるのは当然であり、劇場は観客が考える場でなければならないというのが彼の変わらぬ演劇観だったのである。
『ガリレイの生涯』がアメリカで上演されたころ、同国では赤狩り旋風が吹き荒れた。非米活動調査委員会にマルクス主義者とみなされ、審問を受けたブレヒトは、その後、建国間もない東ドイツへ向かう。
『ガリレイの生涯』のテーマはいまもアクチュアルだ。ガリレイの生きたイタリアにおける教会と科学の関係は、戦後日本において原子力の導入を進めた政界と、その意向に従って研究に勤しんできた学界との関係に重ねて読むこともできる。
また、ブレヒトの戯曲には、箴言といえるような台詞に出会えることが多い。たとえばこの戯曲では、地動説を撤回したガリレイに対して、「英雄のいない国は不幸だ」と捨て台詞を吐くアンドレアに、ガリレイがこう答える。「英雄を必要とする国が不幸なのだ」と。
私はときどきブレヒトの戯曲を読み返したくなる。
(芳地隆之)
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