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マガ9レビュー

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本、DVD、展覧会、イベント、芝居、などなど。マガ9的視点で批評、紹介いたします。

vol.114

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叙情と闘争
―辻井喬・堤清二回顧録―

辻井喬/中央公論新社

 1982年秋に東京・池袋の西武百貨店で開催された「ロシアアヴァンギャルド・芸術と革命展」で受けた衝撃はいまも忘れられない。マーレヴィチの抽象絵画、タトリンの舞台芸術、ロドチェンコのフォトコラージュなど、ロシア革命とともに生まれた芸術作品の一群が放つ圧倒的な迫力に言葉を失った。

 西武セゾングループ代表の堤清二氏がこの膨大なコレクションを見たのは、レニングラード(現サンクトペテルブルグ)のエルミタージュ美術館の地下倉庫だったという。貴重な作品は薄暗い部屋で埃をかぶっていたそうで、そのエピソードは本書にも記されている(「ソビエトの『異邦人』」)。

 当時の私は、堤清二について「世界一の富豪ともいわれた西武鉄道グループの総帥、堤義明の異母兄弟に当たる人」という程度の知識しかもちあわせていなかった。流通業界のトップを走りながら、左翼前衛芸術を評価する目をもつ財界人など、イメージしがたい存在だったのである。いまから思えば、そこには「堤清二」ではなく、作家・詩人の「辻井喬」がいたのだが。

 かつて日本共産党の活動家であった著者は、ユートピア思想とみていた社会主義がどうして抑圧装置として機能してしまったのかを長年にわたって自問してきた。本書には、著者が同じ選挙区での出馬となってしまった社会党元代議士と同党の執行委員の間を取り持つくだり(「駅頭の誓い」)があるが、著者の交友関係は横断的であり、マッカーサーから始まり、池田勇人、三島由紀夫、安部公房など、次から次へと多彩な人物が登場する。彼、彼女たちとの交流を記す筆致は抑制され、「堤清二」である自分のことを書くときはやや突き放し、「辻井喬」の方は直裁な表現を使うところに、微妙な違いが感じられて面白い。

 50以上に分かれた各章はエッセーのようにどこからでも読める。そのときどきで「堤清二」「辻井喬」が顔を出し、この特異な経営者の回顧を通して、日本の戦後史の断片を知ることができるのである。

 「あとがき」にあたる最後の章(「もとの水にあらず」)で、著者はあらためて20世紀を振り返り、未来へ警鐘を鳴らす。その言葉は重く、後の世代として担うべき責任を感じさせるものであった。

(芳地隆之)

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