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マガ9レビュー

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本、DVD、展覧会、イベント、芝居、などなど。マガ9的視点で批評、紹介いたします。

vol.97
スラム化する日本経済‐4分極化する労働者たち

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怯えの時代

内山節/新潮選書

 内山節氏の著作を当サイトで紹介するのは「『里』という思想」「戦争という仕事」に続いて3冊目になる。群馬県上野村の山里を生活の拠点とし、村の人々が積み上げてきた暮らしの知恵を学び、身につけた著者がいまという時代をどうとらえているのか。本書を読むと、時代が彼の哲学をますます必要としていると感じる。

 本書のタイトルに使われる「怯え」。私たちがそんな気分に覆われているのは、昨日は「善」といわれていたものが、明日には「悪」とみなされるなど、近視眼的にしか物事をみられない時代に生きているためではないか。

 たとえば世界各国の大企業では、数十年間かけて、株主の利益を最大限にすることを考え、時価総額を左右する四半期毎の業績を重視する経営が主流になっていった。しかし、短期の利益ばかりを追求したあげくが、現在の世界恐慌だということを私たちは知っている。にもかかわらず、激変する世界を前に立ち尽くすことしかできない。私たちの労働が分断されてしまっているからである。

 サブプライムローンはその象徴だろう。永遠に住宅が値上がりするのを前提に、低所得者に高金利のローンを組ませるこの仕組みは、企業に融資し、それによって生産を支えるという金融本来の仕事とはあまりにかけ離れている。

 製造現場にしてもそうだ。大手メーカーは、3次系列→2次系列→1次系列と上がってくる部品を組み立てる作業しか行わない。いや、それさえもアウトソーシングして、自分たちは流通管理とコストダウンに集中する。そうした労働現場ではモノづくりの誇りが生まれようもなく、働く人々は、右から左へ、下から上へ運ばれる部品のような扱いを受けることになってしまう。

 問題の本質は金融資本主義にのみあるのではない。「流通と生産の関係が断絶し、あるいは金融と生産の関係が断絶し、流通や金融の発達が生産の劣化を促すようになってしまったこと」にある。

 私たちの怯えの出所がわかれば、その逆を行けばいい。つまり断絶した関係をもう一度結ぶ。そのヒントとして著者は、江戸時代の「頼母子講」を例に挙げる。困った仲間を支援する庶民の相互融資の仕組みだ。農村での助け合いならば、農作物や畑仕事への労力の提供ができるが、都市ではお金の面での助け合いが必要である。そんな「温かいお金」が現代資本主義に生きる私たちの連帯を可能にしてくれる。

 身近でローカルなところから生活を立て直す――そんな時代に私たちはいるのだと思う。

(芳地隆之)

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