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マガ9レビュー

081029up

本、DVD、展覧会、イベント、芝居、などなど。マガ9的視点で批評、紹介いたします。

vol.77
悪童日記 ふたりの証拠 第三の嘘

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悪童日記3部作
─「悪童日記」「ふたりの証拠」「第三の嘘」─

アゴタ・クリストフ/ハヤカワepi文庫

 これらの小説を読むと、「夢と現実の境界がなくなる」といったありふれたフレーズが新鮮味を帯びてくる。

 『悪童日記』は、母方の祖母で、地元では「魔女」と呼ばれている「おばあちゃん」の家に預けられた双子の少年が綴る文章だ。

 おばあちゃんの家は町外れにある。子供のつける日記から、その国や時代はわからない。しかし、読者には、そこが著者の母国ハンガリー(クリストフは1950年代にスイスへ亡命した)で、時は第二次世界大戦末期だろうことがみえてくる。

 つねに冷静で、ときに残酷な行動に出る双子の「ぼくら」。そして彼らと町の人間たち――孫を労働力としか見ない祖母、動物まがいの生活をする少女、幼児性愛癖のある司祭など――の関係に、読者は眉をひそめるかもしれない。だが、戦時中は枢軸国の一員としてドイツ軍のユダヤ人連行に手を貸し、戦後には新たな占領軍としてソ連軍を迎えざるをえなかったハンガリーにあって、どうしたら、まっとうな生活を送れるのだろうか。異常な世界に生きることこそ、「ぼくら」が生き抜くための術だったのである。

 だから、一心同体であるはずの一人が国境を越え、西側世界へ去っていくラストは衝撃だった。

 しかし、驚きは続く。第二部『ふたりの証拠』で語り手は「リュカ」「クラウス」という三人称になる。前作の「ぼくら」が離れ離れになったためだが、語り手が代わることで、前作の双子の存在は日記の書き手による想像の産物だったのではないか? 本当は一人の人物のなかに二つ人格が生まれたのではないか? という疑問がわいてくる。

 第三部『第三の嘘』に入ると、さらに読者は混乱する。そこではリュカとクラウスが、それぞれ「私」として過去を語るのだが、それが戦時中に「ぼくら」が綴った「悪童日記」とはまったく異なるのである。

 いったい何が真実なのか?

 いや、こうした問いにあまり意味はないだろう。むしろ問うべきは、

 なぜ、嘘が必要だったのか?

 著者はスイスで、当初は出版の意識もなく、母国を舞台にした「悪童日記」を書き始めたという。「自分はなぜ書くのか」を自問しながら物語を紡いでいく著者の姿を想像してみると、私には、戦時中のナチスドイツ、戦後のソ連邦という(イデオロギーは違えども)2つの全体主義下にあって、書くことこそが「悪童」のサバイバルの手段だったのではないかと思えてきた。

 この3部作。一気に読み通すことをお勧めする。

(芳地隆之)

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