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マガ9レビュー

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本、DVD、展覧会、イベント、芝居、などなど。マガ9的視点で批評、紹介いたします。

vol.74

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愚か者、中国をゆく

星野博美/光文社新書

 『謝々!チャイニーズ』や『転がる香港に苔は生えない』で、中国と香港を独自の視点で切り取ってみせた著者の新作である。

 といっても、世界の工場として外国投資を引き込む現在の新興国の姿ではない。時代は改革開放路線へ舵をきり始めた1980年代後半。著者は留学先の香港から、アメリカからの留学生、マイケルとともに大陸への旅に出る。香港から国境を越えて、まずは深圳、それから西安、蘭州などを通って新疆ウイグル自治区のトルファンまで。広大な国土を南西から北東へ横断する旅だ。

 何千キロメートルにも及ぶバックパッカーの貧乏旅行から、観光名所について語られることは少ない。旅人にとって大事なことは、いったん駅を降りたら、次に乗る列車の寝台指定席を確保しておくこと。切符、切符、切符である。

 しかし、群集に溢れた切符売り場。列があるのかないのか分からないような人ごみで、集中力を切らさず、数時間後にようやく窓口にたどり着いたとしても、担当者の「没有(ない)」の一言で終わるのはざらだ。

 読者も巨大な駅の構内で待っているつもりでへとへと。そして、「今度こそは切符を」と心で願う。すっかり著者と一緒に旅をしている気分である。

 著者の文章は押しと引きの間合いが実に巧みだ。たとえば、中国が、お金をたくさん積めばモノ(切符)が手に入るような社会ではないことから、

 「正当な努力が報われない可能性が高いと知った時、人間はどのような欲望を持つのか、私はその時の自分の行動を通じて知った。それは特権を手に入れたいという欲望だった」

 対象から少し距離を置いて、ノーメンクラツーラ(社会主義国の共産党幹部=特権階級)が生れた理由を端的に表現するかと思えば、コンパートメントを共にした中国人の子供たちにはぐっと近づき、ウイグル自治区で体験した漢民族との違いには素直な驚きと喜びを隠さない。日中の比較では、かゆいところまで手が届くような、私たちの社会の温室ぶりに疑問符をつける。

 ただ、どうしていま20年前の中国への旅なのか? 夢中になってページを繰りながらもそんな疑問が拭いきれなかった。タイトルにある「愚か者」にしても、旅の途中のエピソードから取っただけなのかと思うと、不満が残る。

 ところが終盤に向かって、そんな疑問や不満が徐々に溶けてゆき、最後に、本書は旅行記でも、異文化論でもなく、実は著者のラブレターだったのではないかと思ったとき、私は「してやられた!」と舌打ちするとともに、深い感動を覚えたのだった。

(芳地隆之)

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