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マガ9レビュー

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本、DVD、展覧会、イベント、芝居、などなど。マガ9的視点で批評、紹介いたします。

vol.57
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黄色い大地

1984年中国製作/陳凱歌監督

 乾いた褐色の大地、雨乞いの儀式に使われる張子の竜神の極彩色、そして自然と人間を独特のフレームで切り取るカメラ……。日本での公開時、その斬新な映像に圧倒されたことをよく覚えている。

 それから20年以上を経た今、改めて『黄色い大地』を観ると、作品は色褪せるどころか、各シーンが現代の中国とリンクしてくる。

 時代は1930年代末、舞台は中国・中央部に位置する陝西省の僻村だ。電気も水道も通らぬ、土塀でできた家で暮らす主人公の少女の仕事は、5キロも離れた黄河まで水を汲みにいくことである。村の娘たちは親が決めた嫁ぎ先へ有無をいわさず行かされる。村人は、中国と日本が戦争していることさえ知らない。

 そんな土地へ同じ陝西省の延安から八路軍(後の中国人民解放軍)の若き兵士がやってくる。彼の任務は、中国各地で歌われる民謡を収集することだった。その封建的な歌詞を民主的なもの変えて人々に歌わせるのが目的である。いわば党の啓蒙であるが、「八路軍には女性もいて、ぼくらと一緒に戦う」という兵士の言葉に少女は目を輝かせ、「都会では結婚相手は自分で決める。結納なんてない。みんなが自由な新しい社会が始まろうとしている」と聞いて、自分も八路軍に同行させてほしいと頼むのであった。

 当時、八路軍を率いる毛沢東は三つの規律を兵士に決議させていた。第1は命令には絶対服従すること、第2は農民から針1本、糸1本といえども奪わぬこと、第3は没収したものはすべて提出すること。

 なぜ八路軍は劣勢にもかかわらず、日本軍、そして国民党軍を倒し、中国を解放することができたのか。八路軍兵士と少女の会話から、その理由を垣間見る思いだが、同時に八路軍兵士の古い因習に縛られた村人に対する哀れみは、その後の中国共産党のチベットやウイグル、あるいは内蒙古の少数民族に対する支配者然とした振る舞いをも連想させる。

 八路軍兵士は村を去る際、必ず少女を仲間として迎えにくると約束した。しかし、彼は間に合わなかった。自力で村を出るため船で黄河を渡ろうとした少女は河に落ちてしまう。船を漕ぎながら彼女が歌う、共産党を称える「民謡」が唐突に途切れることで、観客は彼女の運命を知る。

 ラストは村での雨乞い儀式のシーンだ。兵士の姿を見つけた少女の弟は懸命に手を振り、声をかけるが、群集と儀式でかき消されて、兵士に届かない。

 多種多様な文化をもつ何億もの民が住む巨大な国。それをひとつの党が統治できるのか。そんな問題を提起するかのような結末に、私は考え込まざるをえなかったが、同時に、『黄色い大地』が、その後の中国映画の躍進を予見させる記念碑的作品だったことを確信した。

(芳地隆之)

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