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マガ9レビュー

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vol.48
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「美しい夏」

チェーザレ・パヴェーゼ/岩波文庫

 どうしてパヴェーゼは、この小説を書き上げた1940年に発表を控えたのか――20年ほど前、初めてこの作品を読んだときに抱いた疑問だった。

 当時、イタリアはベニート・ムッソリーニ独裁の下、日本、ドイツとともに枢軸国の側にいた。パヴェーゼはトリノ大学文学部を卒業した後、地元の出版社に勤めていたが、そこに集った知識人が反ファシズムの嫌疑をかけられ、一斉に逮捕・弾圧。パヴェーゼ自身も同罪として、1935年5月から1936年3月にかけて、イタリア半島南端の寒村へ流刑されている。

 その経験を基に彼は最初の長編小説『流刑』を書いた。このテーマがファシスト政権を刺激するだろうことは想像がつくが、どうして『美しい夏』まで自ら封印してしまったのか。

 主人公である16~17才の少女、ジーニアの揺れ動く感情を描いた小説に、政治に関する描写は出てこない。ジーニアと20才くらいの女友だち、アメーリアとの関係、そしてグイードという画家へのジーニアの恋心が軸となって展開する青春小説は、政治的には無害なはずだ。

 少女から大人になるその危うくも多感な時期にいるジーニアと、それをすでに経験してしまったアメーリア。ティーンエイジャー同士でも、3~4才の年齢の差がいかに大きいかは、誰でも経験で知っているだろう。そんな二人の間に一瞬芽生える同性愛的な感情は、読む者をゾクッとさせる。

 人間の感情は複雑で、厄介で、豊かなものだ。それを感じさせるリアリズムは、しかし、強く、たくましく、従順であれとするファシズムとは相容れない。ファシズムの根本にある人間性を蔑む体質は、この作品のなかに危険なものを感知するだろう。パヴェーゼはそう思い、書き上げた原稿を机の引き出しの奥にしまったのではないか。

 もしそうであるならば、パヴェーゼは発表するつもりがないまま、この物語を書いていたことになる。小説を書き上げた当時、ムッソリーニに落日の影は感じられなかった。イタリアの独裁者が自国のパルチザンによって処刑され、戦争が終わるまであと5年などと誰が予測できただろう。

 『美しい夏』は1950年6月、ストレーガ賞を受賞した。そして、その2カ月後、パヴェーゼはトリノ駅前のホテルで自殺する。

 ファシズム政権下で発表を自粛した作品が、戦後イタリア最高の文学賞に輝いたことを、彼はどう受け止めていたのか。死の決意にいたるまでのパヴェーゼの思いを推し量ると、私は物語の深みにはまり、その後も、ときどきこの小説を手に取ってしまう。

(芳地隆之)

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