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マガ9レビュー

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本、DVD、展覧会、イベント、芝居、などなど。マガ9的視点で批評、紹介いたします。

vol.47
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「マルチチュード」
〜〈帝国〉時代の戦争と民主主義〜
(上・下巻)

アントニオ・ネグリ マイケル・ハート共著
(NHK BOOKS 日本放送出版協会刊、2005)

 本書は、2000年に出版された『<帝国>』で一躍脚光を浴びた政治哲学者アントニオ・ネグリと文学研究者マイケル・ハートによる共作の二作目。副題には「<帝国>時代の戦争と民主主義」とある。けれどローマ帝国やアテナイの民主制だとかを扱った歴史書ではない。内容はその反対で、世界の現状分析と新たな民主主義を担う主体「マルチチュード」について書かれたものだ。

 表紙の見返しにはこうある。「マルチチュードとは何か。グローバル化に伴い登場しつつある、国境を超えたネットワーク状の権力<帝国>。この新しい権力形成途上で生じる終わりなきグローバルな戦争状態への抗議運動は、それぞれの特異性を保ちながらも、共通のネットワークを創りあげる。権力と同型の、ネットワーク状の形態で闘う多種多様な運動の先に、グローバル民主主義を推進する主体=マルチチュードの登場を予見する」。

 本書によれば、911以後戦争は、国家と国家が衝突する総力戦のことではもはやなく、「テロとの戦い」という名目で行なわれる「低強度紛争」と、これまた「セキュリティ」という名目で行なわれる国内の警察活動が連動した惑星的規模の「世界内戦」となった。戦争という「例外状態」が全世界を包摂して、恒久化したのだ。

 ネグリ&ハートは、このような危機的状況が世界で同時的に起こっているのは、権力が国家を超出してグローバルな統合を推進しているためであると考える。この権力を彼らは「生権力(=Bio Power)」と名付け、この力を行使する超国家的なネットワークをカッコ付きで<帝国>と呼んだ。

 資本のグローバリゼーションは、むろんこの<帝国>と一体となって拡大する。それは、労働者を益々分裂させながら、支配-被支配という階層秩序の全世界的な再編制を通じて推進される経済システムのことにほかならない。労働の流動化、非正規雇用の増大や労働者の永続的な貧困化は、何もこの国だけのことではなく、世界同時的に進行していたのだった。

 だが他方で、労働の流動化は、人々にこれまでにない知識や情報、関係性、コミュニケーションのネットワーク、国境を越えた協同的な社会的生産といった「非物質的労働」に関わらせることにもなった。興味深いのは、マルチチュードが、こうしたつねに刷新される生産形態から生成変化する多種多様な主体のネットワークとして捉えられていることだ。

 しかし、社会変革の主体が先進的な労働現場、工場だけにしかないということではない。マルチチュードはプロレタリアートではない。例えば、メキシコ南東部チアパス州で農民主体の先住民運動として誕生したサパティスタの運動は、インターネットなど通信テクノロジーのネットワークなくしてはあり得なかった。農民主体の先住民運動がローカルなまま同時にグローバルな運動たりうることを証明したものだ。しかもこの運動がユニークなのは、国家転覆などを狙ったものではなかったという点だ。「国家を打破して主権を奪取することを目的に掲げることなく、権力をとらずに世界を変革することを目指すとしている」。

 ネグリたちは、グローバルな権力の再編制の下では、従来の近代国家はいずれにせよ、やがて衰退するとみる。しかし国家の衰退とは、すなわち国民主権の衰退を意味するのではないか。然り。国家の主権は国民にあるからだ。国家権力が、衰退どころか強化され暴走しているように見えるのだとすれば、それは、主権者たる国民の政治的力こそが衰退しているからにほかならない。暴力機関たる国家が、より暴力的になるのは利に適った話だ。だから、さらなる民主主義的な主権の強化によって、それに歯止めをかけなければならない。

 ネグリ&ハートが本書で力説するのも、衰退しつつあるこの主権の変革なのだ。主権は、君主制、貴族制、民主制へと移行してきた。しかし彼らによれば、代表制による議会制民主主義は戦争や貧困をくい止められず、世界的に瀕死の状態といってよい。議会制民主主義、国民主権による代表制というシステムが、<帝国>との関係において根本的な矛盾を抱え込み機能不全を引き起こしている。一刻も早く民主主義を、国民国家を超えるグローバルな民主主義という壮大なプロジェクトの方へと差し向けなければならない。

 但し、本書にそのための行動指針などは一言も書かれていない。というのもそれは、サパティスタのように、世界のローカルなあちこちで独自に創造される対抗的オルタナティヴの運動から内在的に創造されるものでなければならないからだ。肝心なのは、それぞれの特異性が差異を保ったままで連帯が可能となる、そんな世界は可能だということを本書から感じとることだ。あとはこの世界を、この国を生きづらいと感じている人たちが、マジに奮起するかどうかだ。

 ところでビッグニュース! アントニオ・ネグリがこの3月に来日する。
 東大や芸大などで講演会やシンポジウムが多数企画されている。(3月29日〜30日)シンポジウムでは、姜尚中と語り合い、松本哉(素人の乱)ともテーブルを囲むらしい。興味のある方は行ってみては。詳細は以下から。

http://www.negritokyo.org/todai/
http://www.negritokyo.org/geidai/
http://www.i-house.or.jp/jp/ProgramActivities/academy/index.htm

(北川裕二)

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