時代はボスニア・ヘルツェゴビナ内戦、ノー・マンズ・ランドとは、セルビア人武装勢力とムスリム主体のボスニア軍が対峙する中間地帯のことである。
そこにボスニア兵ツェラが仰向けで寝かされている。ツェラの背中には地雷が埋め込まれており、少しでも身体を動かすと、押さえられていたピンがはずれ、地雷は一メートルほど跳ね上がるのだ。そして、それは人間の身体の真ん中あたりで爆発し、中に含んだ数百発の散弾が周囲に飛び散る。半径三十メートルにいる人間であれば確実に殺せる高性能兵器は“メード・イン・EU”である。
その場に鉢合わせしたボスニア兵チキとセルビア兵ニノは、ツェラを間に挟んでにらみ合う。しかし、ノー・マンズ・ランドには、両軍の兵士が銃口を向けている。だからチキとニノは身動きがとれない――。
1990年代のユーゴスラビアで、なぜあのような凄惨な民族紛争が起こったのか? 多くのメディアや評論家は「6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国」といわれた多民族国家は畢竟、崩壊の運命にあったとの解釈でケリをつけようとした。
信仰や言葉の違いによる摩擦やトラブルは当然あっただろう。しかし、それによって生じる反感が殺意にいたるまでにはかなりの距離があるはずだ。殺意から実際の行動に移すとなれば、それはなおさら遠いと思う。
にもかかわらず、民族間の殺し合いへのハードルが飛び越えられてしまったのは、複雑な民族構成の問題を「○○人対○○人」という図式にはめ込んだメディアの存在が大きかったのではないか。彼らの報道は容易に勧善懲悪へと傾き、「民族独立を訴える方(スロヴェニア人やクロアチア人)が善で、それを抑えようとする側(セルビア人)が悪」という論調を固めていった。
こうした「白か黒か」的な思考が、スロヴェニアとクロアチア両共和国の独立宣言だけでなく、多民族、多宗教が混在するボスニアにも当てはめられたとき、紛争は泥沼化したのである。
映画では、地雷の人質になったツェラを救出すべく、ノー・マンズ・ランドに国連軍がやってくる。しかし、ブルーヘルメット(国連平和維持隊の象徴)の大佐の仕事ぶりはお役所的で、同行するジャーナリストの頭には、“絵”になる映像と、兵士たちの刺激的な“言葉”を収めることしかない。地雷の上のツェラは横たわったままだ。
ツェラはまさにボスニア紛争の象徴だが、同時に、世界に拡散する核兵器にがんじがらめにされた私たちの姿にも重なってくる。
いろいろな読み方が可能な、かつ戦争の本質をついた映画である。
(芳地隆之)
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