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マガ9レビュー

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vol.25
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『沈黙のファイル―「瀬島龍三」とは何だったのか』

共同通信社社会部/新潮文庫

 去る9月4日、瀬島龍三氏が亡くなった。享年95才。戦中は満洲の関東軍および大本営陸軍の参謀として作戦を立案する立場にあり、戦後、ソ連軍によるシベリア抑留を経て、伊藤忠商事取締役会長や中曽根内閣の政策ブレーンなどを務めた人物である。

 常に時の権力と密接な関係にありながら、瀬島氏は歴史の核心となる部分について語ろうとはしなかった。

 中国では国民党と八路軍の2つの勢力を敵とし、満洲国ではソ連と対峙するという厳しい状況にありながら、なぜ日本は太平洋戦争にまで突入してしまったのか?

 瀬島氏は若くしてガダルカナル島の対米戦の作戦主任に抜擢されている。ガ島では本国からの補給が途絶えたため、多くの日本兵が戦闘ではなく、飢えで命を落とした。多くの兵士を死にいたらしめた責任の所在はどこにあるのか?

 瀬島氏の沈黙の意味に迫ったのが本書である。彼だけでなく、戦後の日本によみがえった戦時の参謀たちを追った作品といってもよい。

 関東軍の作戦中枢でコンビを組んでいた服部卓四郎と辻政信は、ノモンハンでのソ連軍との衝突で敗北を喫した責任者であるにもかかわらず、本国の陸軍参謀本部に転任し、太平洋戦争へ自国を導いていった。戦後、彼らは戦犯容疑を免れ、日本の再軍備のために暗躍することになる。

 満洲国ハルビンで石井四郎は731部隊を率いて、ペスト爆弾の研究・開発を行っていた。同部隊は中国人やロシア人に生体実験を施していたが、敗戦間際、そうした証拠を隠滅するため、施設を爆破し、中国人捕虜ら四百人余りを殺した上、ペスト菌を周囲にばら撒いて姿を消した。

 ソ連参戦後、日本へ逃げ帰った石井部隊長は研究データを米軍に提供する。それが戦犯容疑を免責される条件だった。731部隊関係者は戦後、日本ブラッドバンクという会社を設立し、後に「ミドリ十字」と改称。この名は薬害エイズ問題を起こした企業として、私たちの記憶に刻み込まれている。

 瀬島氏自身はシベリアから帰国後、伊藤忠商事社員としてアジア諸国との賠償ビジネスに食い込んでいった。

 ソ連との対立が深刻化し、中国で毛沢東政権の誕生が近くなったことに危機感を抱いたアメリカは、日本の経済復興と再軍備路線を優先するため、日本に対する賠償放棄の方針を打ち出した。しかし、これに東南アジア諸国が反発したため、賠償問題は被害国と日本との個別交渉によって解決されることになり、結果として、日本企業の海外進出を後押ししたのである。賠償金は日本と相手国の政財界を潤しただけで、本当に傷ついた人々のもとには届かなかった。

 瀬島氏は生前「大東亜戦争は自衛の戦争だった」との持論を述べていた。と同時に、戦争責任にかかわる肝心な証言は避けた。

 本書は戦中・戦後の闇に様々な角度から光を当てる。そして読者は、この国があの戦争をいまだ清算できていないことを痛感する。
ずしりと重い本だ。


(芳地隆之)

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