ここ数年、日本で公開されたドイツ映画から、かの国の映画人が自分たちの現代史を見つめる視線に、冷静さと懐疑、そして愛情を感じていた。
たとえば『グッバイ、レーニン!』(2003年)。社会主義の理想に忠実だった母がベルリンの壁崩壊直前に昏倒し、意識が戻ったのは統一直前。そんな彼女にショックを与えぬよう、息子は家のなかだけでも東ドイツの生活スタイルとグッズでやっていこうと奮闘し、やがて自身も東ドイツ社会を見直していく。
あるいは『ベルリン、僕らの革命』(2004年)。貧富の差がますます広がる世の中で、将来に希望をもてず、異議申し立てする若者たちと、60年代に学生運動に明け暮れながら、いまではどっぷり企業社会に漬かった世代との確執が物語の軸になっている。
そこには「資本主義(西ドイツ)は正しかった、社会主義(東ドイツ)は間違っていた」という単純な構図はない。むしろ「冷戦に勝った資本主義だが、はたしてこのままでいいのだろうか」という自問が聞こえてくる。
そして本作品。盗聴やスパイ、脅迫などあらゆる手段を使って、反体制的な考え方と行動をする人間を骨抜きにしてしまう東ドイツの秘密警察(通称“シュタージ”)大尉が主人公だ。
東ドイツ時代のこうした題材を扱う場合、えてして弾圧する側の非道さと、される側(多くは東ドイツ民主化運動に関わる知識人だった)の苦難が対比されがちだが、無慈悲なシュタージの大尉が「国家の敵」として盗聴を始めた劇作家と女優にシンパシーを抱いてしまうところから、物語は見慣れたストーリー展開から逸脱していく。
登場人物の誰かに寄り添って見ればいいという鑑賞は許してくれない。秀逸なサスペンスに仕上がっているのは、現代史の暗部をえぐりながら、それを単純に告発するかたちにしていないからだろう。
脚本も手がけたドネルスマルク監督は1973年、ケルン生まれ。ベルリンの壁が崩壊したときは16歳だった。ちなみに『ベルリン、僕らの革命』のハンス・ヴァインガルトナー監督は1970年生まれ。オーストリア出身だが、ケルンでメディア芸術を学んだ。
こうしたドイツの若い映像作家のなかから、新しい社会観が生れてくるのではないか――そんな予感がしている。
(芳地隆之)
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