試写で観たこの作品を、このコーナーでひとりでも多くの人に伝えたい、という強い思いに駆られてパソコンに向かった。それなのにどうしてもことばが出てこず、すでに数時間が経過している。
このドキュメンタリー映画を思い出すたび、涙があふれてしょうがない。悔しくて情けなくてしかたがないのだ。この、あまりにも重い真実の声を聞かずに生きてきた自分と、ほとんど耳を傾けてこなかったこの国が。
今なぜ「ひめゆり」なのか…。
パンフレットの冒頭に書かれていたことばだ。
もちろん私自身も、「ひめゆり学徒隊」の存在自体は知っていた。それだけに、映画のタイトルを見たとき、正直この冒頭のことばと同じ気持ちを持ったことはたしかだ。
柴田昌平監督は、今年の3月20日付の琉球新報でこう語っている。
「ひめゆりの物語は1950年代に入ると小説や映画となって日本全国で大ヒットしたが、それらは他者がひめゆりを語ったものだった。殉国の乙女として祭り上げられていった一方で、当事者たちは口を閉ざした。“ひめゆりばかりが取り上げられて”という周囲の視線から逃れるため、ひめゆり学徒隊の生存者であることをひた隠しにしてきた人もいる。」
どんなにリアルに作られた小説や映画も、少女たち一人ひとりの体験や思いは、とても描ききれるものではない。
“ああ、ひめゆりね。知ってるよ”。作り上げられたイメージで、私たちはこれまで理解していたつもりになってはいなかっただろうか。
映画ではナレーションや音楽は一切排除され、22人の生存者の証言と、わずかな当時の記録映像だけがつなげられていく。
証言の合間には、ときおり木漏れ日の差し込むガマ(自然に出来た洞窟やくぼみ)の静寂が映し出される。
外科壕として使われ、大勢の命が無惨に失われていったそのガマの前で、静かに語る生存者たちの証言。そのなにげないことばのひとつひとつに、私たちは打ちのめされる。
彼女たちは語る。
「ある日、切断されたばかりの手をチリ箱に捨ててこいと言われた。
両手で持って外に出ようとしたら、通りがかった軍曹が驚いて
“すごい女だな”と。最初に壕に来たときはあんなに涙が出てしょうがなかったのに、
1か月のあいだに血も涙もない人間になっていた」「切断され、皮膚がめくり上げられて銀色のハサミで放射状にたくさん止められているのを見て、まるで銀色の花のようだと
思ったのを覚えている」
「亡くなった人を、はじめは泣きながら埋葬していた。それが10日も経つと、平気で毛布にくるんで穴も掘らずに弾痕に捨てるようになった。とにかく壕の中から出さないと腐敗するし、外で待っている人を入れないと、という一心だったと思う。わずかな間で人間の心が変わったというのが今考えると恐ろしい」……
戦争はどんな人間の感情も麻痺させる。
慟哭をもってではなく、ただ淡々と語られるその語り口からこそ、私たちは戦争の圧倒的なリアリティをつきつけられるのだ。
この映画の終わりに証言者のひとりが、亡くなった同級生の遺影の前で語ったのは次のようなことばだった。
「彼女は現在も16歳の顔で微笑んでいる。私もいつの日かあの世にいくときは、平和な時代を味わえなかったともだちに、平和な時代のお土産話をいっぱい持っていきたい。」
今なぜ「ひめゆり」なのか…。
いや、今だからこそ「ひめゆり」を知ってほしいと、私は今、強く思う。
残念なことにドキュメンタリー映画の多くは、きわめて小規模な公開しかされない。この「ひめゆり」も単館上映である。
今後は8月に大阪、9月からは広島で上映予定だが、自分の住む地域で自主上映をおこなうこともできる。ぜひとも多くの人に、多くの場所でこの映画を観ていただきたい。詳細は公式サイト(リンク)へ。
(吉田タカコ)
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