敗戦から憲法制定、朝鮮戦争勃発までを、ジェームス三木氏が史実に基づいて書いた小説。同名の脚本は1996年にNHKでドラマ化された。
連合国軍総司令部(GHQ)による憲法草案の作成に関与した民政局行政部員は、米陸海軍の将校や民間人の学者ら20数人。最高司令官、マッカーサーは日本の占領政策の成功を踏み台にアメリカ大統領の座を狙っていたが、メンバーには、政治的思惑を超えた「世界で最高の憲法をつくる」という意志があった。
彼(女)らはアメリカ合衆国憲法をもっている。でも、それを「押し付けよう」とはしない。世界初の民主憲法といわれたドイツのワイマール憲法、あるいはフランス共和国やスカンジナビア諸国の憲法を比較検討し、第一次世界大戦後の不戦条約が守られなかった原因について思考を深め、日本人女性に真っ当な権利を保障する条文を練り上げる。メンバー就任時に若干22歳だったベアテ・シロタさんの情熱は、男女平等をうたう憲法24条に結実した。
民政局のメンバーは、無意識のうちに、自国(アメリカ)の憲法よりも上のレベルを目指していたのだと思う。こうしたアメリカ人の「楽天家ぶり」や「おせっかい」こそ、戦後の日本人が憧れていたものではなかったか。
GHQから自らの憲法草案を「保守的」と却下された松本烝治氏から、憲法担当国務大臣の職を引き継ぎ、憲法改正要綱を作り上げたのは金森徳次郎氏だった。氏の長男で、1960年代には経済企画庁で経済白書を執筆、その後、日本経済研究センターの理事長を歴任した金森久雄先生がこう言われたことがある。
「憲法は翻訳調で面白い。文学的にバタ臭い言葉がたくさん入っている」
俳句をたしなむ先生は、こうした面白さも理解できなければ、いい句は書けないと洒落っ気を交えて言う。戦後日本の経済成長を理論面で支えた先生の言葉を、ぼくは「日本国憲法はユニバーサルだ」と理解した。
憲法誕生にいたるエキサイティングなドラマを読んだ後、「戦後レジームからの脱却」というフレーズを頭のなかで反芻してみる。いかに善意に解釈しようとしても、その言葉からは俗っぽい政治的野心しか感じとれなかった。
(芳地隆之)
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