1971(昭和46)年12月に日米間で行われた沖縄返還交渉で、日本政府は、米国政府が自発的に支払う米軍用地の復元補償費、400万ドルの肩代わりを密かに約束した。
それが明らかになったのは、外務省の蓮見喜久子事務官から毎日新聞の西山太吉記者に渡った外務省機密電報のコピーによってである。蓮見さんは国家秘密の漏示、西山さんは蓮見さんとの親密な関係を利用して文書を入手した「そそのかし」の罪に問われた。
ぼくがこの事件を知ったのは、いまから二十数年前、高校の政治経済の授業だった。事件の概要を聞いて、真っ先に浮かんだ疑問は、国民に黙ってアメリカに金を払う約束をした日本政府の責任はどうなるのか? 蓮見さんは懲役6カ月、執行猶予1年。西山さんは結果的に無罪になったとはいえ、密約を交わした当の政府は無傷なのである。
その疑問に答えてくれたのが本書(1978年発行の中央公論社版)だった。父の書棚で見つけて、早速手に取りページを繰ると、外交上の重要問題が男と女の関係へと巧みに矮小化される過程が丹念に描かれている。事件発覚後、蓮見さんは終始「西山氏に騙され利用された哀れな女」を演じ、マスコミは既婚の2人の「情交」を興味本位に報じたのだった。
2006年8月に文庫化された本書を再読して思ったのは、当時追及を免れた密約が、その後の在沖縄米軍基地問題を巡る日本政府の迷走、そしてねじれた対米関係へ与えた影響である。
2002年に米国公文書館は秘密資料を解禁し、密約を裏づける文書が発見された。西山さんは2005年、不当な起訴で名誉を傷つけられたとして、国に損害賠償と謝罪を求めて提訴。しかし、先週の3月27日、東京地裁は西山さんの請求を棄却した。
地裁が密約の有無に関して判断を下さなかったのは、外務省がいまも「密約はなかった」との立場を変えていないからである。2006年2月に当時のアメリカ局長だった吉野文六氏が密約のあったことを容認しているにもかかわらず。
外交の現場には、すぐに公開できない情報があることは理解できる。しかし、あれからすでに30年以上が経った。密約が日本の国益にかなうというのが当時の判断だったならば、そう説明すべきであり、その場しのぎの虚偽が組織にとって致命傷となりうることは、賞味期限切れの商品を売ったお菓子メーカーや裏金問題が発覚してからもそれを渡し続けていたプロ野球の親会社の例を出すまでもない。
米国公文書館が一定の年月を経た後に秘密文書を公にするのは、歴史に対する不誠実な態度が未来の教訓になりえず、ひいては国益を損なうことになると考えるからだろう。私たちはそう心得るべきだ。
(芳地隆之)
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