なぜ日本という国は、自画像を描けないのか? その大きな原因が、政治家の演説や新聞、テレビの報道で安易に使われる「政治言語」の混乱にあることを本書は教えてくれる。
小泉政権になってから一気に押し進められた新自由主義的経済政策は「小さな政府」を目指したものだった(らしい)。ところが「官から民へ」と声高に叫ぶ政府が、国と地方を合わせて2兆円以上の実質増税(所得税および個人住民税の定率減税の全廃、企業向け法人減税措置の大幅縮小など)を行った。
ヨーロッパで保守といえば、国民に対して「減税するから、生活は自己責任でやれ」という政治的立場(=イデオロギー)のことだ。「質の高い公共サービスを維持するため、増税は我慢しろ」というのは左派のそれ。
ならば、高負担・低福祉を進める自由民主党はどういう政党なのだろう?(そういう与党があるから「低負担・高福祉」を公約する野党も出てくるのか?)
本書は日本とフランスを比較しながら、こうした「珍妙な」言説を正していく。読み進めていくうち、現首相が自著「美しい国へ」に書く「私にとって保守というのはイデオロギーではなく……」というくだりが、職務放棄の宣言のように思えてきた。
フランスでは、国民が「フランスは自分たちの国」と考えているから、トリコロール(フランスの3色旗)を振って反政府デモをすることも珍しくない。日本ではそうした民主主義の立脚点が無視されがちだ。政界にあまたいる世襲議員の一部は「日本の国は俺(と一族)のもの」と思っているふしもある。
こんな不幸を終わらせるため、まずは各自、選挙に行こう。
(芳地隆之)
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