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2012-11-29up

おしどりマコ・ケンの「脱ってみる?」

第53回

「人様は変えられないから自分が変わる」
水俣病資料館の言葉を噛みしめる件。

 どうも、お久しぶりです! お久しぶりじゃないですよね、最近、マガジン9の原稿がめっきり間が空いてしまい、お優しい編集さまにも、とうとう、「いい加減書きなはれ…」と言われるしまつです、ごめんなさい。

 書くことがいっぱいたまっているのに、書く時間が無く、睡眠時間はとっくに削っているので、洗濯やお風呂の時間を削っています(全国のマコファンのみなさま、ごめんなさい!)。記者さんがたって、不潔な方多いなー、とは思っていたけれど、正直いって、あまり気にならなくなっちゃった☆ 

*********

 さて、10月20~22日は福島県飯舘村の方々と、水俣に行って参りました。

 事故後、わりと早い時期から、水俣病の訴訟団の方々が、「恐らく、水俣と福島は同じことになるだろうから」といろいろアドバイスをくださっていたのです。
 そのアドバイスというのは、「住民側に立ってくれる医者を、一人でも多く見つけること。できるだけ早く、できるだけたくさん」。

 そのアドバイスを伺ったときは、「え? 住民、患者側に立たないお医者さまっているの? じゃーどこに立つの?」と、ノンキに、患者側に立つお医者さまなんてけっこういらっしゃるでしょ、と話しておりました。
 しかーし! 甘かったね!!
 住民側、患者側以外にどこに立つか、と言えば、国側、行政側、企業側、と立つサイドがございました!!

 むぅ、それでも、水俣病の訴訟団のアドバイスを頂いてから、去年早くから、お医者さまの間を練り歩いていた私たちには、何人かの味方になってくれるお医者さまがいらっしゃいます。アドバイスを頂いていて本当に良かった!

 で、実際に熊本県の水俣に行き、水俣病の歴史を見てきた飯舘村の方が「すごく勉強になったよ、原発事故の構造は、水俣病とそっくりだった!」とおっしゃるので、「わ、私も一度ちゃんと勉強しなきゃ、と思ってたんです!」と言うと「じゃ、今度一緒に行かない? 日にち合わせるから!」。
 そんじゃ、ちょっと行ってきますか、というわけだったのです。

*********

 私はベラルーシのベルラド研究所のネステレンコ所長の会見を開いてから(あ、この件も詳しく書きたいものです!) 、ダッシュで水俣に行ったので、一日目の深夜に合流しました。
 そこで、ケンパルが着替えなどの荷物を網棚に置き忘れてさ…何も無い宿で茫然といたしましたよ…。

 服を着たまま寝るはめになり。
 「マコちゃん、地震のときもずっと服のまま寝たね、懐かしいねぇ!」
 「だまらっしゃい!」

*********

 二日目は、水俣のあちこちや資料館を案内して頂き、歴史を勉強しました。

 水俣病とは、チッソ工場が、有機水銀入りの排水を海に流し、それが魚や貝に蓄積され、それを食べることによっておきる中毒性の神経系の病気なんだよね。
 いろいろ学びましたが、一番驚いたこと。

 それは、私が考えていた「水俣病」とは、急性劇症のものだけだった、ということなのです。
 軽度で慢性の水俣病の方々がたくさんいらっしゃったのです。
 実際、車を運転してあちこち案内してくださった方も、途中で「そういえば、僕も水俣病なんですよ、汚染がおさまってから水俣に引っ越してきたけど、大丈夫だと思って魚をたくさん食べてたら、毎朝、手が痺れるようになっちゃって。でも、そんな人、けっこういるんですよ」。
 知らなかった! とても申し訳ないです。

 この、劇症には至らない軽度の水俣病の方々は、いろいろな程度でいらっしゃって、でも、特に、補償も何も受けておられない方が多い、とのこと。
 メチル水銀は「曝露」という言葉を使うそうです。このメチル水銀の「低濃度曝露」の問題、放射性物質の「低線量被ばく」ととても似ている、と思いました。被ばくも、癌や白血病など、致死性のあるものだけが取り上げられ、その他の健康影響はあまり研究もされず、切り捨てられることが多いからです。

 と、思っていたら、それだけでなく、水俣病と福島原発事故はたくさん類似点がありましたよ!

 汚染がわかったあと、メチル水銀のヘドロを除去して埋め立てる、「除去利権」というものが発生し、当初は住民のためのはずだったのに、段々住民の意向が聞き入られなくなり、「除去利権」のために除去が進められてしまった、ということ。

 「水俣病」と「水俣」と地名が入ったため、いろいろな差別が生まれたこと。そして「水俣」と地域を区切られたため、水俣市以外の汚染が見過ごされてしまったこと。

 水俣病ではなく、メチル水銀中毒だし、病をつけるなら「チッソ工場病」だよね。「福島原発事故」も、福島がイヤな意味で世界で有名になってしまって残念…という声もたくさん聞きました。東電原発事故だよねぇ。

 そして、現在、原発事故の汚染は福島だけではないのに、福島だけの問題と捉えられがちなのも似ている、と思いました。

  そして、まだまだ類似点があるのです!!

*********

 3日目は、「水俣病第二世代訴訟」の傍聴をいたしました。
 そのときに、いろいろな方にお話を伺ったり、国側の準備書面を読んだりして驚きました。
 まず、準備書面から。目次を読んで、類似点にビックリです。

「水俣病及び八代海の魚介類のメチル水銀値は昭和44年以降、一貫して暫定的規制値と同程度かそれを下回っていること。」
→暫定基準値て、現在、放射性物質にもありますわね!

「暫定的規制値は十分な安全率を見込んで算出されたものであること。」
→放射性物質の防護も十分保守的な考え、とよく聞きますね!

「一時期、ごく一部の魚介類のメチル水銀値が暫定的規制値をわずかに超えていたのみでメチル水銀中毒症が発症することはないこと。」
→一時期! ごく一部! わずかに超えていたのみ! 「僕悪くないもん」の典型的な表現で、笑いました(^^)

「発症閾値を超えなければ、メチル水銀症を発症するとは認められないこと」
→閾値を「しきいち」と簡単に読めるし書けるのも、原発事故以降です…

「長期低濃度曝露によって、メチル水銀中毒症は発症しないこと」
「長期にわたって微量のメチル水銀を摂取し続けても、発症閾値を超えないこと」
→低濃度曝露を低線量被ばくに、メチル水銀を放射性物質に置き換えれば、今、国や行政からよく聞く文章になりますね!?

「長期間の低濃度曝露によるメチル水銀症の発症はIPCSも否定していること」
→IPCS! 何、このICRPみたいな組織!! ICRPとはおなじみ、国際放射線防護委員会ですが、IPCSを調べたら、International Program on Chemical Safety、国際化学物質安全性計画というものでした。

*********

 傍聴のあと、裁判の弁護士さんに「言葉を置き換えたら、原発事故のあと、国側が全く同じことを主張しそうなんですけど…」と言うと、「そう、水俣は福島の数十年後だと思いますよ。同じような裁判がたくさん起こると、僕は思っています」。
 レベル7の原発事故は、日本で初めてのことだけれど、国や県が、企業を優先して、住民を踏みにじることは、日本では今までに何度もあったんだよね。

 「では、水俣病の裁判の勝ちパターンを教えてください!!」と、ちゃっかり聞いてきちゃいました、うふ。
 それを公開すると、被告が守りに入っちゃうので、クチコミでしかお伝えいたしません、悪しからず。

*********

 水俣から熊本地裁に向かうバスの中や、裁判所で、いろいろな方にお話を伺いました。

 別の裁判の原告の男性。
 「提訴してから何十年になるか。黙っていれば、国や県はいつも弱い者を踏みつけている。だから提訴ということに踏み切った」

 裁判を支援されている女性。
 「水俣病は、どういう被害が広がったのか。国・県・チッソは何も配慮せず、水俣病はもう終わったという。国・県・チッソに根本的なところが伝わっていない」
→『国・県・チッソ』という言い方をみなさんされるんですよね。と思っていたら。

 父親が裁判をしていた、という男性。
 「東電は敵だな。国や県はもともと敵」
とのこと。そうか、『国・県・東電』か…。

 「いや、住民の中にも足を引っ張ってくるやつはいるよ。お金をもらったとかもらわないとか、みんな分断されていくよ。水俣は、チッソが唯一の大きな企業だったからね、そこで働くことがとても大切だったしね」

 本当に、原発の立地自治体と、電力会社の構造に似ています…。

 今年の6月に、水俣病に生涯をかけて取り組まれた原田正純先生が亡くなったので、そのことをお話しされる方もたくさんいらっしゃいました。

 支援されてる女性。
 「原田先生の残した言葉、『水俣病患者を孤立させてはならない』。そのことを噛みしめて、ずっと裁判に足を運び続けます。私はそれしかできないから」

*********

 ここで、預かってきた、大切な言葉があります。

 「福島のみなさんに伝えて。国も県も、絶対守ってくれんから。絶対、企業を優先するから!!」

 こうおっしゃった女性は、40歳を過ぎた息子さんが、小学校のときから水俣病だった、ということが今年になってわかったとのこと。

 「よう転ける子やと思ってた、転けたから足が曲がったと思ってた、でも小さい時分から震えがあり、カラス曲がり(こむら返り)しとった。水俣病やとは思わんかった。親としてこんな情けないことはない。
 父親も水俣病で、何度泣き狂いしたか。父親は事務やったけど、水俣病になり、補償もらったら近所の人に陰口叩かれた。あんひとは、事務やのに水俣病やいうてお金ばとって、なんか賄賂でも渡したんとちがうかね? いうて。
 けど、そのあと、近所の人もみな水俣病なって補償ば申請して。あんときうちの父親に何言うた? て言うてやりたかったけど。水俣病だけでも苦しい、いがみおうても苦しい、それで、子が水俣病やって。
 何度泣き狂いしたか。もう誰もこんな思いせんでほしい。どうか国の言うことは信じんで、と伝えて」

 そのマダムと、また絶対に会いましょう、と抱き合って別れました。
 マダムは、福島に絶対に行き、現場を見る、そして、伝えたい、ともおっしゃっておられました。

*********

 さて、私は水俣に勉強に行き、抱いていた疑問を少し解決できました。

 裁判についてはねー、簡単に言うと「メチル水銀の濃度が○ppmでは水俣病は発生しない、原告らは被害を過大評価している、反論するに足りない」ということを国・県・チッソ側が、繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し…言うので、そこをどう戦っていくか、というのがポイントなのです。

 ここに「住民側に立つお医者さま」が生きてくるわけですね!
 詳しくはゴニョゴニョ…

 そして、もう一つの抱えていた疑問。
 水俣病の資料館には、いろいろな水俣病の患者団体、裁判の団体、支援団体の組織図が書かれたものが展示してあったのです。それが家系図のようで、いや、家系図より枝分かれのスピードと数がハンパなくって、わー、水俣病関連の団体て、たくさんあるんですね…と驚きました。
 すると「ここに載ってないのもまだまだありますよ」。
 わおー。

 これが聞きたいことの1つだったのです。
 今、原発事故後、たくさんの団体、支援団体、住民の団体が立ち上がって、そして、その各団体の仲があまりよろしくないことが多くって、揉めたり分断していったり、を目にするのです。考え方の違い、お金の問題、保証金の問題、行政との関係、まだまだいろいろ原因はあります。

 2日目に、水俣病に取り組んでおられるお医者さまや支援者の方、胎児性水俣病の母子さまとお会いしたとき、「なんでも聞いて!」とおっしゃるので、ぶつけてみました。

――水俣病関連の団体がとても多いことに驚いたんですけど、その団体同士で揉めたりはしないんですか? 原発事故後、いっぱい団体ができて、本当は1つにまとまったほうがいいのかもしれないんですけど…。

支援されてる方「1つにまとまる必要はないと思うし、それはムリだ。だって、みんな細かいところまで同じ考えというわけにはいかないもの。裁判のたびに、分かれるしね。裁判起こす人、和解する人、控訴する人… そのたびに団体できるし」

お医者さま「僕も、彼も今は一緒にいるけど、考え方が違っていたときもあった。仲が悪いわけじゃないよ、仲がいいわけでもない。それぞれで活動しているだけ」

支援されてる方「水俣の裁判している団体が、一度、全部落ち着いちゃって、もうあきらめた、みたいな時期もあったんだ。けどね、水俣病の関西訴訟団だけが、訴訟をして、それで勝ったんだ! それで、もう一度、水俣でも、頑張って訴訟をしよう、ということになって。これは、1つにまとまっていたら、起こらなかったことだよね。関西訴訟団を『まだしつこく裁判して』みたいに鬼っ子呼ばわりする人もいたけど、でも、勝訴したことによって、また水俣でも巻き返して裁判をしよう、という動きにつながったんだ。本当にありがたかった」

お医者さま「それに1つにまとまっていたら、トップが崩れたら総崩れになるから、団体はいろいろあったほうがいいと思うよ。」

――わ、いいことを聞きました! 団体や活動している人は、1つにまとまらなくていいんですね、そのほうがいいんですね! お互いそれぞれが頑張って動いて、お互いの足を引っ張らずに、ちゃんと目的に向かって動いとけばいいんですよね!

支援されてる方&お医者さま
「それが理想だけれど、まー難しいけどね…。絶対、お互いの足を引っ張り合うようになっちゃうんだけど…」

 えーー、ダメじゃん! でも必ずしも1つにまとまる必要がなく、いろいろ分かれていたほうがメリットもある、ということを伺い、ちょっと嬉しかったです。

 いろいろお話ししていたら、胎児性水俣病の娘さんのお母さまが突然、お話ししてくださいました。

 「あのね、私はね、初めは周りに誰もおらんかった。どうしていいかわからんかった。でも、なんとかせな、と動いているうちに、いつのまにか、周りに人がいてくれとった。動いているうちに、周りの人が段々増えよった。
 あのね、言いたいことはね、被害者が、一番大きい声を出さないかんの。被害者が、声を出さなんかったら、誰が、何をしてくれる? 誰かが気をきかして、助けてくれるのを待つの?
 あのね、被害者が、一番大きい声を出して、助けてほしいちゅて言わんかったら、周りもどうしていいかわからん。何をしてほしい、て被害者が言わんと。そうせんと、何も動かん。
 私が言いたいことは、被害者が一番大きい声を出す、ちゅうことです。福島のみなさんにも、そう伝えてほしい」

 これは、私はショックでした。
 私は弱っている方々の小さい声を、耳を澄まして聞き取りたいものだ! と常々思っていて、虐げられている方が、大声を出さないといけない状況というのは、同じ世の中で生きていて、恥ずかしいな、と考えていたので。

 私はこのお母さま&娘さんが、お帰りになるときに、駆け寄って言いました。

――被害者が大声を、という話はショックでしたけど、伺えて本当に良かったです。

 「あのね、私はね、32で娘を産んで、今年87。55年闘ってきたの。ずっと闘ってきたの。また水俣にきて。そして会いにきて。そのときも私は闘ってるから。まだまだ闘うから」
 お見送りしながら、泣きました。

*********

 と思ったら。この原稿を書いている横で、ケンパルが水俣病の写真集を見て、号泣していますよ。これにも載っている方なんだよね!

 去年、飯舘村で、水俣病の訴訟団の方にアドバイスを頂いたとき「原発事故は、このあと数十年は続く長い闘いになるだろうから…」と言われ、飯舘の仲良しと、えー、そんなのイヤだよねー、数十年じゃなく、1年くらいで片付けたいよねー、全力でとっとと何とかして、自分の生活ペースに戻りたいよねーと話していました。
 でも、やっぱりそういうわけにいかないのかもしれません。

 水俣では、水俣病の認定をされて一時金と療養費を受け取ると、それを収入とみなされ、生活保護が受けられなくなり、かえって生活苦が増したケースもあるそうです。熊本県は制度の見直しを要望しているのですが、厚労省は「原則通りの運用で、制度の見直しの必要はない」とのこと。
 で、一時金を受け取ったために、生活保護を切られた方々が裁判を起こしたのが2011年9月ですよ! 何これ、まだまだ現在の話じゃない!

 飯舘村の仲良しは、去年、こういうことを心配していました。
 「将来、村の人間がガンになったり、健康被害が起こって、でも、何の補償もなくって、自己責任とか言われちゃって、みんなガン乞食みたいになったらどうしよう? だから、健康被害が起こったら、医療費と、生活保護費ぶんくらいは補償でもらえるように道筋を作りたいんだよね、自分が動けるうちに。村の子供が、何十年後に、ずっと裁判をしているようになったら、そんなのイヤだ。そしてそれはオレたちの責任なんだ」

 彼があんまり「ガン乞食」と繰り返し言うのと、そして、その言葉のインパクトに、電話を切ったあとしばらく動けませんでした。
 仲良しに、そんなことを言わせて、心配させてしまうのは、もうゴメンだ! というのは、今でも私の原動力の一つです。

*********

 原発事故のことをもっと知るために、水俣では何があったか勉強しに行こうと思ったのですが、まだまだ現在の問題ということが思い知らされました。
 歴史の中の出来事ではないんですよね! ちゃんと知らなくて、本当に恥ずかしいです。

 そして、水俣病と同じように、国や県や企業が、国民を踏みにじる例は、たくさんあるんですよね!
 アスベスト問題や、薬害エイズや、その他の薬害や公害や、拉致問題やいろいろ!

 原発事故は、日本で初めてのことだし、放射性物質の影響も分からないことが多いけど、でも、水俣やアスベストや、その他も、被害が出てから、あ、やっぱり間違ってました、ということは多々あったのですよ!
 チッソもさー、「海に排出したら、薄まる」とかいって、有機水銀入りの排水をガンガン放出したんだけれど、結局、薄まらなくって。
 東京電力も、「海に排出したら薄まる」とかいって、高濃度汚染水をガンガン海に放出してましたけれど、どうなんでしょうね?

 もう、こうなったら、被害者の方々に大声を出して頂いて、そして、いろいろな団体がバンバンできていって、そして、違うジャンルの社会問題の団体の方々の話もこまめに聞いて、国・県・企業との闘い方の情報交換しつつ、「ま、それぞれの問題は『初めてなのでわからなかった!』と言うけれど、毎回、国民を踏みにじってるじゃんねー、国民のために国は動いてないじゃんねー」と、困っているひと連合を作るのもアリかもしれません☆

 というわけで、次回、12月8日のマガ9学校は、福島で、お子さんの甲状腺検査で大変な目に合われたお母さまと、大阪・泉南のアスベスト問題に取り組んでいる20代の若者に来て頂きますよ!
 アスベスト問題も、まだまだ現在の問題で、国が、住民にどういうことをしてきたか、今、知ることはとても大切なことだと思うのです。

 というわけで、12月8日のマガ9学校、いらしてね!

*********

 ニュースログでの記事も紹介。
「資料に使える文書が欲しい」と言われることが増えましたので、こちらではお固く書いておりまーす。

福島:検討委員会「血液検査の現状報告」
http://news-log.jp/archives/5084

精度が低い原発事故直後の小児甲状腺サーベイ
http://news-log.jp/archives/5055

(あと9月の記事ですが、ネット上ではどこよりも詳細な記事ですので、ご紹介↓)
大阪の印刷会社:胆管がん死亡者数は通常の2900倍
http://news-log.jp/archives/3929

あと、ニコニコ生放送でおしどりチャンネルも始まったのですが! これをどう扱っていいやら試行錯誤中! まだ一回しか書いていないけど、画期的なのは吉本を通していることなのでーす!
http://ch.nicovideo.jp/channel/oshidori

*********

 水俣では、猫がたくさん狂い死にしたそうです。
 水俣の港で、かわいいニャンコと仲良くなりました。

 ご先祖さまに、悪いことして、本当にごめんね、と謝りました。

 この子、本当にかわいかった!!

******

【今週の針金】
水俣病が発生しても生産を優先し、工場廃水を止めませんでしてん。
国・県も止めなかったそうですねん。結果、被害は拡大しましてん。

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原発事故後、一見それとは無関係な問題について考えているときに、
あまりの共通性に気づいて愕然とする、ことが何度もありました。
同じようなことを、また繰り返さないために、繰り返させないために。
マコさん・ケンさんの取材報告と体験者の声をお聞きするマガ9学校、
参加者同士のグループトークの時間も設ける予定です。
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おしどりプロフィール

マコとケンの夫婦コンビ。横山ホットブラザーズ、横山マコトの弟子。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。2003年結成、芸歴は2005年から。
ケンは大阪生まれ、パントマイムや針金やテルミンをあやつる。パントマイムダンサーとしてヨーロッパの劇場をまわる。マコと出会い、ぞっこんになり、芸人に。
マコは神戸生まれ、鳥取大学医学部生命科学科を中退し、東西屋ちんどん通信社に入門。アコーディオン流しを経て芸人に。

ブログ:
 http://oshidori.laff.jp/
twitter:
 マコ:@makomelo
 ケン:@oshidori_ken
その他、news logでもコラムを連載中。

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