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2013-04-03up

時々お散歩日記(鈴木耕)

132

安倍晋三という人物と
新しい市民情報メディアの誕生
そして、愛川欽也さんへの心からの感謝を

 新聞を眺めていて、普通なら見逃してしまうような小さな記事にギョッとすることがある。
 今日(4月2日)は、こんなものに驚いた。それは、各紙の政治面のすみっこに載っている「地方選挙・3月の結果」だ。何気なく見ていて、ちょっと恐ろしいことに気づいてしまったのだ。
 3月は、市長以上の選挙は千葉県知事選を含め13ヵ所で行われていた。そのうち、なんと過半数の7選挙で「無投票当選」なのだ。ことにひどいのは、我がふるさと秋田。なんと3市の選挙すべてが、無投票で決まっていた。どうなってるんだ、まったく。
 選挙が行われない。つまり、有権者は投票する機会もないという状況だ。これはもはや「1票の格差の憲法違反」どころの騒ぎじゃない。1票そのものを使うこともできないのだ。
 これをどう考えたらいいのだろう。特に地方では、政治への幻滅が大きいということなのか。現役首長に対して挑戦する候補者が出てこない。対立候補を立てようという動きも鈍い。中央政界はごちゃごちゃと政局ごっこで騒いでいるが、地方ではすでに、政治そのものが見捨てられているのではないか。
 「誰がやったって同じ」「選挙なんかやっている暇はない」「関心ない」「自分の暮らしで精一杯」「政治なんかやりたいヤツにやらせておけばいい」「オレたちには関係ない」「どうせ何も変わりゃしない」…。
 そんな"諦め"が、地方政治の根っこをジワジワと侵食し始めている。地方の政治が壊れれば、やがて国の政治も崩れていく。最近の国会などを見ていれば、そう思えて仕方ない。ことに、維新の会議員などの質問力のひどさには目も当てられない。これじゃあ、まともな人間が政治家になろうなんて思うはずもない。

 安倍首相の人気が高いという。ほんとうにそうか。そんなものは、マスメディアが作り上げた虚像ではないか。巨大な無関心層の増大が引き起こした異常現象ではないか。いったい誰が、安倍氏を本気で支持しているというのだろう。
 衆院選で圧勝。アベノミクスとやらの効果で株価上昇。日銀を力で抑え込み総裁をすげ替え、土砂降りの金融緩和で円安誘導。TPP交渉参加で財界の覚えもめでたく、一方で声高に原発容認を叫ぶ。そして改憲から国防軍への道を切り拓き、武器輸出三原則を破り、集団的自衛権行使で戦争参加も視野に入れる。沖縄の意志は踏みにじって「日本の主権回復の日」などという式典を強行し、辺野古への新米軍基地建設だけはどんなに抵抗されようと押し進める。
 確かに円安による若干の輸出企業の景気回復と、大企業正社員の多少の賃金アップ、株価上昇に伴う富裕層の利益増などはあった。だが、その狂騒曲が一段落すると、円安による輸入品の一斉値上げが待っていた。これは、非正規労働者や年金生活者などを直撃する。
 この4月から、円安による石油やLNG(液化天然ガス)の高騰での電気代やガス代の値上げ、それに伴う諸製品の値上げ、海外からの食糧品の値上げなどが消費者を直撃。物価高騰が目に見え始めた。それでも安倍人気は高止まりだという。

 だけど、ほんとうに安倍人気などというものがあるのか。それは、テレビや新聞の、ほとんど「安倍礼賛」といっていいような報道による刷り込みではないのか。
 いわゆるネット右翼といわれる一群の人たちに人気があることは確かだろう。東京・新大久保や大阪・鶴橋などで、聞くに堪えない罵声(というより"汚声"と言ったほうが似つかわしい)を喚き散らす連中は、ほとんどが安倍支持だという。そういうネット上の書き込みで「俺は人気者だ」と、安倍首相は思い込んでいるらしい。
 だが、これまでも指摘されてきたことだが、衆院選で大勝したとされる自民党の得票率は小選挙区で43.0%、比例代表ではたったの27.6%だったではないか。13党もの乱立による漁夫の利だったことは間違いない。前述したように、政治に対する無関心が地方選挙で無投票当選を続々と生み出しているのを見れば、安倍首相だけが関心の的になっているとは、とても思えない。無関心の中の不思議な大勝…という現象。
 つまり、現行の「憲法違反」のいびつな小選挙区制選挙での、史上にも希な低投票率による結果だったのだ。それを、なぜか持ち上げるマスメディア。無内容な郵政選挙の雄叫び「ワンフレーズ・ポリティクス」で大勝させた小泉選挙への反省はどこへ行ったか。

 我が世の春を満喫している安倍晋三とは、どういう人物か。
 『カウントダウン・メルトダウン(上)』(船橋洋一、文藝春秋、1600円+税)に、こんな記述が出てくる(P171~)。

 2011年5月20日、TBS「News i」が「1号機海水注入 官邸指示で中断」と報道した。
 野党・自民党の安倍晋三元首相が同日付のメルマガで「菅総理の海水注入指示はでっち上げ」と菅を弾劾したのがこの報道の情報源と言われた。
 「やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だったのです」
 「この事実を糊塗する為最初の注入を『試験注入』として、止めてしまった事をごまかし、そしてなんと海水注入を菅総理の英断とのウソを側近は新聞・ラジオにばらまいたのです」
 安倍は、同日にはこのTBS「News i」の報道を受ける形で、「私も複数の人から聞いている。首相としては万死に値するミス」と記者団に話し、菅攻撃のオクターブを上げた。
 「怒鳴りまくり致命的に間違った判断をする総理。嘘の上塗りに汲々とする官邸。その姿は醜く悲しい……すべての責任は総理にある。海水注入を1時間近く止めてしまった責任はだれにあるのか? 菅総理、あなた以外にないじゃありませんか」
 1号機への「海水注入中断事件」はにわかに政治的争点となった。

 この2011年5月といえば、菅首相が中部電力に、急遽「浜岡原発停止」を要請、それが"ある種の勢力"の激しい憤激を招き、一斉に"菅攻撃"の火蓋が切って落とされた時期と一致する。この記述をよく読めば、ほとんど"安倍の陰謀"としかいえない様相が見えてくる。
 「菅首相指示で海水注入中断」というTBSの報道そのものが、この安倍氏のメルマガを情報源としていたとなれば、TBSの報道姿勢も疑われる。なぜなら、あの海水注入中断が菅首相の指示だったという証拠はどこにもないからだ。
 この本を読んで、僕はもう一度、さまざまな文献を漁ってみた。
 菅氏本人は、その著書『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』(幻冬舎新書、860円+税)の中でこう述べている(P84~)。

 一号機の原子炉建屋爆発後、班目委員長が、一号機については「海水で炉を水没させましょう」と言い出した。
 後に私が海水注入を止めたのではないかと国会でも問題となった件なので、詳しく記そう。
 結論から言えば、私あるいは官邸の政治家が海水注入を止めさせる指示を出したことはない。むしろ、私たちは、早く注入するように指示していた。
 一八時前から、私は、海江田大臣、班目委員長、保安院の幹部、東電の武黒フェローらと協議した。その時点で、専門家たちの間では、真水がなくなったのであれば冷却のために海水を使うことが必要だとの認識で一致していた。
 私も異論はなかったが、いくつか質問をした。(略)再臨界について質問すると、班目委員長は「ゼロではない」と言った。私は、この時の班目委員長の発言は「再臨界の危険性がある」と解釈した。
 そして「海水注入まで二時間もかかるのならその間に、塩の影響や、再臨界の危険があれば、ホウ酸を入れると中性子が吸収されて再臨界は起こりにくくなるはずなので、それを含めて検討しておいてください」と言って、協議の場から離れた。(略)

 先日、4月1日にBS朝日2の「ニュースの深層」で、菅氏は津田大介さんと対談したが、ここでも同じことを強調していた。むろん、当時の最高責任者の側からの発言だから、自己弁護のための言い訳だ、と受け取られる可能性もある。
 では、他の文献ではどうか。
 公的文献の『国会事故調 報告書』(東京電力福島原子力発電所事故調査委員会、徳間書店、1600円+税)という大判594ページにも及ぶ分厚い本では、海水注入中断問題に触れてこう書いている(P248)。

 1号機への海水注入が開始されてから約20分がたったころ、武黒フェローは吉田所長からの電話で海水注入が始まったことを知ったが、官邸で海水注入のリスクについての検討が進められていたため、吉田所長に対して海水注入をいったん待つよう指示した。これは、菅総理や官邸内からの指示ではなく、武黒フェローが、リスクについて検討中であった官邸との関係をおもんぱかり、「最高責任者である総理の理解を得て進めることは重要だ」と考えて、独断で指示をしたものである。
 約3時間前の15時20分にはファクスで官邸を含む関係各所に海水注入の意向が伝えられ、17時55分には海江田経産大臣から海水注入命令が官邸で行われていたわけであるから、吉田所長から海水注入開始の報告を受けた武黒フェローは、その事実をそのまま官邸へ伝えるべきであった。武黒フェローの指示は合理性がなく、結果として、その後の指揮命令系統の混乱を招いた。(略)

 ここでは、菅首相及び官邸の中断指示についてはキッパリと否定し、むしろ、官邸の意向を勝手に忖度して指示を出した東電幹部の過ちを、強く指摘している。つまり、安倍氏がメルマガで発信した「菅総理が海水注入中断を指示した」という事実などなかったというのだ。

 他にも『福島原発事故 独立調査委員会 調査・検証報告書』『プロメテウスの罠』『レベル7』『メルトダウン』『福島原発事故・記者会見』『原発報道 東京新聞はこう伝えた』など、できるだけの本をあたってみたが、「菅首相が海水注入中断を指示した」という具体的事実は見当たらなかった。むしろ、逆の記述のほうが多い。
 「武黒から説明を受けた菅は、あっさりと海水注入を了解する」(『レベル7』)とか、「このときの武黒には、菅直人から明示的に海水注入をやめろという命令があったわけではない。むしろ官邸の『空気』を察してのことだった」(『メルトダウン』)などと書かれているのだ。
 結局ここからは、首相や官邸の意向を勝手に自分の中で作り上げ、後で上から叱責されないように自己保身を図ろうとする、悲しい東電幹部サラリーマンの姿が見え隠れするだけだ。

 安倍氏は菅首相の注水中断指示について、記者団に「複数の人から聞いている」と話したそうだが、では、その"複数の人"とはいったい誰だったのか。それは多分、東電関係者だろうというのが知人のジャーナリストの推測である。
 つまり、時の総理大臣である菅氏が「脱原発へ舵を切った」ことに焦燥感を抱いた側が、一方的な(虚偽とも思える)情報を、野党の有力政治家(当時は自民党副幹事長)の安倍氏に流し、それを安倍氏がきちんと調べることもないまま、自らのメルマガで垂れ流し、しかもさらにそれをマスメディアが増幅させたという経過だ。これが事実だとしたら、なんともひどい話だ。
 そして、安倍氏がそれを訂正したという話を聞かない。
 安倍氏はメルマガで「菅総理の海水注入指示はでっち上げ」とか「海水注入を菅総理の英断とのウソを側近は新聞・ラジオにばらまいた…」とまで書いていたが、菅氏が指示したという事実がどうしても出てこない以上、ウソをついたのは菅氏や当時の官邸ではなく、むしろ安倍氏本人ということになりはしないか。
 根拠薄弱な、捏造とも言われかねない情報をもとに個人攻撃し、結果的に「脱原発」の足を引っ張ったのが、現在の"人気首相"安倍晋三氏なのである。
 このような人物が思い描く「新しい日本」とは、どんな国か。明るい未来とは、とても思えない。

 しかし、安倍首相の戦前回帰的・後ろ向きの息苦しい"新しい日本"に、きちんと異を唱え、批判しようという人たちだって、当然ながら数多く存在する。さまざまな動きがある。

 ほんとうに多くの人たちに惜しまれながら幕を下ろした「愛川欽也のパックインニュース」の出演者たちが手弁当で立ち上げた「デモクラTV」もそんな動きのひとつだ。僕も端っこで協力する。
 とりあえず、『デモクラTV本会議』という2時間番組を、毎週土曜日の「パックインニュース」と同じ時間帯、11時~13時に設定、ほかに週2本ほどのトーク番組をオンエアする予定。まだほとんど宣伝していないのだが、すでに2600人を超える方たちが会員登録してくれた。1ヵ月会費525円。5000人がとりあえずの目標。そうでなければ、なかなか継続が難しいという。
 4月6日(土)に、最初の「本会議」が流れる。これによって、もっと多くの会員登録が、と期待している。
 登録方法など詳しくは、ホームページで確認してください。発起人・賛同人は(僕を除いて)錚々たるメンバーですゾ。

 そして最後に、愛川欽也さんに「心からの感謝」を捧げたい。
 愛川さんは前身の「愛川欽也のパックインジャーナル」(朝日ニュースター)から数えて16年間、この放送を毎週続けてこられた。
 「日本でいちばん分かりやすいニューストークショー」のキャッチフレーズそのままに、歯に衣を着せぬ意見が飛び交い、多くのファンを得た番組だった。だが、朝日ニュースターの経営権を朝日新聞から買い取ったテレビ朝日は、残念ながら「パックイン」を番組改編の際に残そうとはしなかった。人気番組だったのだが、何を恐れたのか…?
 番組のファンの方たちの凄いほどのエールに背中を押されるようなかたちで、愛川さんは私財を投げうって、1年間、自前のkinkin.tvを立ち上げて頑張ってこられたが、年齢的なこともあって、「自分本来の芝居や映画の世界を最後の仕事場にしたい」とのご意向で、「パックイン」を閉じることを決意された。
 そこで、この番組を惜しむ出演者たちが、愛川さんの意志を継ごうと立ち上げたのが「デモクラTV」というわけだ。
 3月30日、最後の「愛川欽也パックインニュース」の生放送。中目黒のスタジオには、出演者たちが集結。最後の記念撮影…。
 終了後、近所のカレー屋さんで、ささやかな打ち上げ。愛川さんの目に少しだけ涙が…という結末でした。

 愛川さん、ほんとうに長い間ありがとう。そして、ほんとうにお疲れさま。お元気で、これからも、楽しい映画や素敵なお芝居を!

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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