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2013-03-06up

時々お散歩日記(鈴木耕)

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雪のふるさと
花咲く東京…

 亡き母の3回忌の法事で、ふるさと秋田へほんの3日間、里帰りしてきた。秋田は数十年ぶりという大雪だった。しかも、法事当日(3月2日)は猛吹雪。
 我が家の菩提寺は、実家(大曲)から15キロほどの距離。東北の小京都といわれる観光地・角館の少し手前(羽後長野)にある。いつもなら、車で20分ほどしかかからないのだが、この日はノロノロ運転。時折、突風が吹きつけ雪が舞い上がり、前方がほとんど見えなくなる。地吹雪、急に有名になってしまった言葉だが、"ホワイトアウト"というやつだ。とてもスピードなど出せやしない。
 私は雪道運転をしたことがないから、姉と姪の2台の車にお任せ。雪道走行には慣れているはずの姉や姪の運転も、なにやら危なっかしい。そんなわけで、少し早めに出て、角館で食事でもして…、などと考えていたのだが、とても角館までは行き着けず、お寺の近くの「道の駅・なかせん」で昼食ということになった。

 法事といったって、たったの6人。ささやかなものだ。
 この雪の中、多くの人に迷惑はかけられないということで、親戚にはまったく声はかけなかったし、兄は持病のため来られず。私や弟のカミさんは、それぞれの母親が高齢のため家を離れるわけにはいかず、やはり不参加。でも、亡母は分かってくれるだろう。
 寺の本堂には、ご住職の計らいで石油ストーブが2台。おかげで思っていたほどは寒くなかったが、墓地は2メートル近い雪に覆われていて、墓前での読経などとうてい無理な話。
 「ま、お彼岸ころには、お墓も頭ぐらいは出すべがらな、そのときにでも、お参りせばええべな」というご住職のお言葉。
 母が亡くなったのは、あの3.11のちょうど1週間前、2011年3月4日だった。あのときも、雪はまだかなり残っていたが、こんな凄い積雪ではなかったと記憶している。

 北海道では暴風雪。9人もの方が亡くなってしまった。
 9歳の娘をしっかりと抱き、自分の薄いジャンパーさえその子に着せて、雪の中で亡くなった父親。少女は助かったけれど「彼女の心を考えれば、よかったね…と声をかけるのもはばかられてねえ」と近所の人が話していたという。
 佐々木譲さんに『暴雪圏』という警察小説があった。あの凄まじい描写が絵空事ではなかったのだ、と実感した。

 繰り返すけれど、今年の雪は物凄い(写真参照)。
 ふるさとの我が実家は、現在、女所帯。とても自力での"雪下ろし"は無理だ。だから、雪下ろしの作業員を頼まなくてはならない。それが、この冬はもう2回。大体、1人1日1万円が相場だという。実家はたいした広さの家ではないが、それでも作業はひとりでは1日で終われない。3~5人がチームで来てくれる。
 つまり、雪下ろしだけで、8~10万円ほどのお金がかかるということになる。家の前の道路は一応、融雪水(地下水を汲み上げ、流して雪を溶かす)が吹き出ているので車の通行は可能だ。だが、家の両側はほとんど軒先までうず高い雪の山だ。
 いつもの冬は、透光性のビニール板で"雪囲い"をしているが、今年はそれが危ないというので、頑丈な木板で窓を覆ってしまった。だから、昼でも家の中は薄暗い。

 雪国の冬が辛い、というのはこんな暗さのせいでもあるのだ。外へ出られない辛さ、それは雪国の人間にしか分からない辛さだ。秋田県は高齢者の自殺率が高い…。
 散歩に出ることもできず、薄暗い家に閉じこもってテレビだけが相手の孤独な年寄りが、次第に淋しさを募らせていくのも無理はない。年金暮らしには、雪下ろし代だって大きな負担だ。
 「悲劇は国会で起きているんじゃない。生活の現場で起きているんだ!」と、湾岸署の青島刑事なら言うだろう。
 東京のど真ん中、永田町とやらにたむろする政治家たちは、そんな辛さを知らない。東北出身の地元議員だからといったって、みんな普段は東京暮らし。帰るのは選挙運動のため。最も辛い猛吹雪の夜に、部屋にうずくまっている年寄りの心なんか分かるわけもない。だから政治家たちは、お金のかける場所を間違えるのだ。

 たとえば、東京オリンピック招致のために、どれだけの金が使われているか。
 そんな金があるのなら、もっと使うべきことはいくらでもあるはずだ。安倍首相や猪瀬都知事が、国賓でももてなすようにIOC(国際オリンピック委員会)の委員たちを扱っているのを見ると、なんだかやたらと腹が立つ。
 「もっと金の使い道を考えろよ」と言いたくなる。
 気象庁の年間天気予報で大雪が危惧されているのなら、最初から「除雪費」を予算に組み込んでおくくらいのことが、なぜできないのか。それは、安倍首相の言う"国土強靭化案"にそぐわないからか。財界・ゼネコンに儲けさせてやれないからか。

 東京へ戻ってきた。
 でも、帰途はけっこう大変だった。
 秋田新幹線が脱線事故。まだ原因は確定していないが、もし大雪が脱線の原因だとすれば、それは新幹線史上初めてのケースだという。それほど、今回の暴風雪がひどかったということだろう。
 法事の翌日、姪の娘(小学2年)のピアノの発表会があった。「見てから帰ってーっ!」とこの子に脅迫(!)されたので、なんともいえない(苦笑)ピアノ曲を聴かされることになった。その会場が角館に近かったので、そこでみんなと別れ、角館から乗車するつもりで、ひとりで角館駅へむかった。
 ところがここで、私の予約してあった「こまち号」が、脱線事故のために運休と判明。ぎょえっ! どうすればいいの…?
 もっと遅い便の席になんとか空きがあったので、とりあえず、ほっ! ま、2時間ほど待つのは仕方ない。そこで、駅の隣の売店で秋田・角館の名産品でも眺めてみるか、ということにした。
 角館の名産品で最も有名なのは、桜樺細工の茶筒などの工芸品だ。これは素敵な細工だが、私はすでに持っている。で、お菓子を買うことにした。おっ、「さなずら」があるではないか。これはめったにお目にかかれない秋田の伝統菓子。ノブドウの果汁をゼリー状に固めたもので、ほのかな甘味がまことに上品。まさに私みたいなお菓子である(アハハ)。かなり高価なお菓子でもある。
 それと「薄焼もろこし」もゲット。これも秋田の伝統菓子。小豆粉を少し焼き固めたもので、口の中でとろける食感と、これもほのかな甘味がたまらない。私の大好物。
 でも、お菓子を買うのに2時間もかからない。隣接のレストランで、ハヤシライスと紅茶で時間を潰した。

 レストランの窓から、小降りになった雪が、ひらひらと闇の中の蒼い街灯に光りながら舞い落ちてくるさまを、僕は、ぼんやり見続けていた。静かな冬の夜、あまりひとけのないレストランで、たったひとり、黙って降る雪を眺めている老人…。
 うーむ、映画の一場面のような……妙な感傷。
 そう思ったら、ぐふふ…と照れ笑いが洩れた。僕に感傷は似合わない。ウェートレスの秋田美人のお姉さんがこちらを見て、不思議そうに首をかしげた。
 そういえば、大曲~角館は「秋田美人の本場」…ということになっている。まあ、地元の連中が言っているだけだが。

 東京へ帰って2日後。
 やわらかな風と暖かな陽射し。春日和に誘われて、近所の公園へ小散歩。秋田では考えられない。
 公園の梅は満開に近いし、サンシュユや椿の花も見頃。ようやくの春気配を感じてか、梅の花を撮影する人たちもたくさん(写真参照)。
 小さなこの国も、たった数百キロの距離で、こんなにも違う気候、厳しさだ。それを考えると、なんだか、陽だまりで温まっている自分が、雪国の人たちに申し訳なくて、あまり太陽の恵みを嬉しがる気持ちにもなれなかった。

 でもあの雪も、もうしばらくしたら溶けるだろう。春の訪れの嬉しさは、雪国の人でなければ分からない。
 多くの花が一斉に開き始める東北の春。だが、それを心から味わえない福島の人たち。僕の思いは、最後にはそこへ辿り着いてしまう。

 どうあっても、原発を止めなければいけない。でなければ、福島原発の電気を使い続けてきた我々の、福島の人たちへの責任の示しようがないじゃないか。
 もうすぐ、3.11が巡ってくる。
 3月9日は東京・明治公園で、10日は日比谷野外音楽堂から国会周辺へ、巨大なデモが予定されている。僕は両方に参加するつもりだ。他にも、全国各地ですごい数の集会やデモが予定されている。

 ま、そんなわけで今回は、コラムのタイトルどおりの「お散歩日記」になってしまった。
 帰って来て、溜まっていた新聞をチェックすると、また腹立たしい日常がそこにあるけれど、今回はこんな感想で終わりにしよう。

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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