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2013-02-13up

時々お散歩日記(鈴木耕)

125

ひるまずに、平和を語ること
筑紫哲也さんの思い出…

 こんなツイートがあった。

 「中国軍と自衛隊の軍事衝突が起きる」と話して欲しいとテレビ番組のスタッフから電話。今回は中国軍の未熟を指摘し、「あえて危機を煽ることは出来ない」と断ると、そのように話せる人を紹介して欲しいと聞かれた。またか。どうしてテレビは戦争をさせたいのか。明日は日中戦争が始まると放送なのか。

 軍事評論家の神浦元彰氏の2月6日のツイートである。(神浦氏は、僕が週刊誌編集部にいた時代、同じ編集部で仕事を手伝ってくれていた人。その後、軍事評論家として活躍中)
 このツイートはネット上で大きな話題となり、2万以上のリツイートとお気に入り登録がなされた。"煽情マスメディア"を心配する人がたくさんいるということだろう。
 それにしても…である。最近は「中国軍と自衛隊が戦えば、自衛隊が勝つ!」なんて喚く雑誌もあるほどに、危機を煽って儲けようとするメディアが目立つ。
 神浦氏のツイートによれば、テレビ局は(ワイドショーらしいが)、「どうすれば衝突を避けられるか」ではなく最初から「軍事衝突」を前提にして番組を構成しようとしていたわけだ。煽ることで視聴率が稼げれば、ほんとうに軍事衝突が起きても知らん顔か。責任なんか、みんなで渡れば怖くない…。醜悪さもここに極まる。

 かつての戦争のとき、「ABCD包囲網を打破するための、日本の自衛戦争」などと煽って、結局は悲惨な敗戦へ導いたメディア(特に新聞)と同じで、売れさえすれば(視聴率さえ取れれば)危機もヘッタクレもあるかと言わんばかりの卑しさ。
 「ABCD包囲網」とは、アメリカ・イギリス・チャイナ・オランダの4ヵ国に日本は経済封鎖され、石油禁輸などで締め付けられているので、祖国防衛のために戦わなければならない、とするもので、戦争へ突入するひとつの要因を作ったリクツである。
 それと同じようなことが「中国の脅威」「北朝鮮の挑発」などをことさらに煽ることで行われている。もっと冷静に…などと言うだけで、"売国奴"だの"非国民"だのという罵声が飛んでくる。あの大戦も、多分、こんな雰囲気の積み重ねの果てに突入していったのだろう。
 孫崎享氏の「尖閣諸島の帰属問題棚上げ論」などは、激しい右派の攻撃にさらされたというし、前中国大使の丹羽宇一郎氏も同じようなバッシングを受け、大使を更迭された。

 尖閣問題をめぐって起きた「中国艦による日本自衛艦への射撃管制レーダー照射事件」で、マスメディアは大騒ぎ。こういうときこそ冷静にならなければならないはずのマスメディアが先頭に立っての煽情報道。それに便乗しての安倍首相らの強硬発言。ただでさえ危うい日中関係は破綻の瀬戸際だ。
 だが、数少ないが、きちんと状況を捉えようとする報道もあった。東京新聞(2月9日)の「こちら特報部」は次のように書いていた。

レーダー照射 首相へ報告6日遅れ
文民統制に懸念 政権内バタバタ
「蚊帳の外」外務省不満 公表の影響 熟慮せず

 (略)まず、射撃用レーダーとは何か。軍事評論家の神浦元彰氏によると、ミサイルなどを発射する際、攻撃目標までの距離や速度、進路を捉えて自動追尾する「ロックオン」に使う。(略)つまり、射撃用レーダーを照射する行為は「銃口を相手に向け、引き金に指をかけた状態」(神浦さん)。ただ、中国艦は今回、その状態を分単位で続け、砲身も海自艦に向けなかった。
 「レーダーを使えば相手に逆探知されるので、普通は照射直後に攻撃する。数分間照射したというのは本気で攻撃しようとしていなかった表れ。だから海自も反撃準備をしなかったのだろう」 
 ところが、この事態は六日間も防衛相に報告されなかった。軍事評論家の前田哲男さんは「防衛省の現場サイドが自衛隊の最高指揮監督権を持つ首相や、隊務を統括する防衛大臣に一報を知らせなかったのは、大きな問題だ」と指摘する。(略) 
 元外務省中国課長で政治学者の浅井基文さんは「日本側が公費で尖閣諸島を買い上げると言い出したことが、問題のそもそもの発端。首相の親書を携えた公明党の山口那津男代表の訪中により、ようやく中国側と話し合う土俵ができてきていたのに。公表は控えるべきだった」と話す。(略)

 なぜ6日間も遅れた段階で、照射問題を公表したのか。その辺りがどうにもキナ臭い。実は、これまでもこういうレーダー照射は何度もあったといわれている。それがなぜ、この時期に初めて公表され、このような大問題と化したのか。
 東京新聞が指摘するように「文民統制」が揺らいでいるのか、それとも危機を煽っての、安倍首相の悲願である「憲法改定」→「国防軍実現」への布石としての動きだったのか…。

 朝日新聞(2月9日)の「私の視点」というコラムで、千葉商科大大学院客員教授の橋山禮治郎氏が次のように書いている。僕は、ほぼ同意する。こんな当たり前のことを、改めて言わなければならないところに、この国の病理が現れているとも思う。

 世界はいま、地球上のどこで政治、経済の大激震があっても不思議ではない不安定な状況にある。そんななか、「紙幣をどんどん刷れば投資も消費も増加し、高い成長は必ずできる」や「日本の原発は世界一安全で廃炉技術も世界一だ」といった日本の政治家の発言を聞くと、戸惑いを禁じ得ない。
 尖閣諸島の帰属を、米ワシントンまで出掛けて行って公言した元知事もいた。平和裡に深めてきた日中間の政治、経済、文化の交流を破壊に向かわせた日本の行動は「愚か」の一語に尽きる。
 「領土問題に手をつければ大変なことになる」と発言した在中国大使の真意も理解せず、売国奴扱いをして交代させた民主党政権の浅慮も理解に苦しむ。(略)
 昨年末、自民党政権に交代し、多くの政治家が明確な方針もなく日米安保を前提にした強硬論を打ち出しているのも気掛かりだ。絶好の機会とばかりに、国防軍の創設、集団的自衛権の行使、核開発構想まで話は広がっている。
 現憲法が十全だとは言わないが、そのもとで日本が戦後、非武装、平和国家として一度も戦争に巻き込まれず、国際社会でそれなりの信頼と役割を達成してきたのは紛れもない事実だ。(略)

 僕に、付け加えることはほとんどない。こんな普通の、当たり前の意見が少数派になってはいけないと、強く思うだけだ。
 それにしても、ワシントンまで出かけていって、今回の尖閣問題に火をつけ、日中関係を滅茶苦茶にしてきた張本人の石原慎太郎に対し、「あなたは日中対立の火種を撒いた当事者として、どう責任を取るつもりか」と詰め寄るマスメディアがまったくないのはどうしたことか。逆に対立を煽って面白おかしく報道するテレビ番組ばかり。
 あの戦争の惨禍を検証し、マスメディアの犯した罪科を反省した上で、今回の日中間の問題を冷静に見つめる番組を作ろうとするテレビ局はないものか。ジャーナリズムは、どこに…。
 尖閣問題に関しては、やはり「一時的棚上げ」しかないと思う。まず周辺海域の平和を取り戻し、その上で、新たなテーブルを設定するしかないと思うのだ。「戦争も辞さず」と言う慎太郎など論外だ。自分は安全地帯にいて何を言うか。

 1月27日にBS-TBSで放送された「筑紫哲也・明日への伝言」という番組を、僕は録画していた。観ようとは思っていたが、あの筑紫さんの笑顔を見るのが辛くて、今までそのままにしておいた。
 僕は雑誌編集者時代から、筑紫さんとはそれなりのお付き合いがあった。その縁で『ニュースキャスター』『若き友人たちへ』(いずれも集英社新書)という筑紫さんの2冊の本も作った。僕がしばらく司会役を務めていた「開高健ノンフィクション賞」の選考委員をお願いした経緯もあって、何度かお酒の席でもご一緒した。
 だから、あの笑顔は心に残っている。そして、ジャーナリズムの役割、ことにテレビに何ができるかを、少し照れながら話してくれたことも忘れない。
 録画を、ようやく観る気になった。その中の「多事争論」のコーナーで、筑紫さんはこんなことを言っていた。

 平和でいようとすることが、あたかも悪いことであるかのように言われるようになりました。平和という言葉は、もう大っぴらに言うことがはばかられるような状況がすぐそばまで近づいて来かねない、そういう中に私たちはいます。そんな時代を見たいとは、私は思いません。

 こう筑紫さんが語ったのは、もう7年以上も前だ。「そんな時代」は、残念なことに、あのころよりももっと身近になってしまっている。こんな無名の僕でさえ「平和ボケ」などと何度となく罵られた。そんなとき、僕は「平和ボケ老人になりたい」と言い返すことにしている。平和であって、何が悪い?
 今の時代を生きていたら、筑紫さんはどう言っただろうか。ことに、後輩のジャーナリストたちへ、何を語りかけただろうか。
 同じ番組で、福田康夫元首相がこんなことを言っていた。

 筑紫さんは、権力とは一線を画すというジャーナリストの矜持を持っていた。権力に取り込まれたジャーナリズムは見ていられない。

 かつて国家の最高権力者であった人物の言葉だ。権力者は見ている。福田氏は分かっている。現在のジャーナリズムは、ほんとうに権力と対峙できているか。テレビも新聞も雑誌も「権力に取り込まれて」いるのではないか。いや、自ら「身を売って」いるか…。
 煽る報道、煽情的なコメント、大きな声、売国奴や非国民という言葉が踊る紙面。平和を語れば平和ボケだと罵られる。そういう流れに抗う報道は斥けられる。
 熱くなっている人たちのそばで「冷静に」と言うのは難しい。でも、それを言い続ける人は必要なのだ。

 と、ここまで書いたとき、「北朝鮮が核実験」というニュース。
 ああ、と僕は天を仰ぐ。「冷静に」という言葉は、多くの罵声に飲み込まれていくだろう。
 安倍内閣はさらに強硬姿勢に傾き、改憲派は鬼の首を取ったように騒ぎ立て、集団的自衛権やら国防軍、さらには核武装論までが、大手を振って跋扈するかもしれない。
 もっと息苦しい時代が来るか。
 だが、ひるまない。ひるんではいけない。原発を、改憲を、国防軍を、徴兵を、戦争を、拒否し続ける。大きな声は出せなくとも、静かに冷静に穏やかに、そしてゆっくりと語り続ける。
 筑紫さんにならって、平和を…。

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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