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2012-09-26up

時々お散歩日記(鈴木耕)

107

福島と沖縄
原発とオスプレイ
そして、沖縄独立論

 正直な話、3年前の今ごろ、僕も少しはワクワクしていた。そう、総選挙で自民党が大敗して政権の座を滑り落ちたのが、ちょうど3年前の9月のことだったんだ。
 僕は民主党支持者ではない。選挙で民主党候補者へ投票したことはほとんどない(他の選択肢がなくて、やむをえず投票したことがあるかもしれないが)。そんな僕でも、あの選挙結果で何かが変わる、と期待してしまったのは確かだった。

 事実、首相の座についた鳩山由紀夫氏は「日米の対等な関係」に言及し、さらに世界一危険な軍事基地と言われている沖縄普天間飛行場の移転問題に関し「普天間基地は海外へ、最低でも県外へ」と発言して、沖縄県民のみならず日本中から(そうでない人ももちろんいたけれど)喝采を浴びたのだ。
 だが、結果は周知の通り。官僚・財界・マスメディア・野党のみならず与党民主党内部の"アメリカべったり派"から徹底的な批判を浴び、妨害工作を受けて首相の座から追い落とされた。
 次はどうだったか。
 菅直人氏はあの3.11大震災に直面、さらに原発事故という未曾有の大災厄に見舞われた。そして巻き起こったのが、"凄まじい"という形容しかできないような「菅バッシング・菅降ろし」の大合唱。しかもそれは、菅氏が「浜岡原発停止」を発表した直後から、ほとんど常軌を逸したような事態となった。
 確かに、菅氏は東京電力本店へ乗り込んで、右往左往する東電幹部たちを怒鳴りつけたかもしれない。その状況は、相次いで刊行された『福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書』(日本再建イニシアティブ、ディスカヴァー21、1500円+税)や『国会事故調報告書』(東京電力福島原子力発電所事故調査委員会、徳間書店、1600円+税)などの検証報告書、ドキュメント形式で官邸や東電などからの現場報告をした『レベル7 福島原発事故、隠された真実』(東京新聞原発事故取材班、幻冬舎、1600円+税)、『メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故』(大鹿靖明、講談社、1600円+税)、『プロメテウスの罠 明かされなかった福島原発事故の真実』(朝日新聞特別報道部、学研、1238円+税)などを読めば、手に取るようによく分かる。
 だが、それらから僕が読み取れたのは、菅首相の怒鳴り声や罵倒というよりは逆に、「想定外の事故」にただただ脅えて有効な手だてを打てない東電幹部や原子力安全委員会、原子力安全・保安院幹部たちの醜態のほうだった。もう有名になってしまった清水東電社長の「全員撤退発言」や、メルトダウンの報に接し「わあーっ」と悲鳴を上げて頭を抱えてしまった班目委員長の姿などが、これらの資料から浮かび上がる。
 だが不思議なのは、当時現場にいたジャーナリストたち(多くはマスメディアの社員記者)が、それらの会社幹部や官僚、委員会などへの批判よりも、菅降ろしに狂奔したことだった。あの大混乱の中で、首相を引きずり降ろすことに、どんな意味があったのだろう。ことに、浜岡原発停止以降の菅叩きは、僕には異常としか見えなかった。

 鳩山氏は「沖縄基地問題」で、菅氏は「原発問題」で失脚した。つまり、この二つの問題は同根なのだということだ。二人の首相は虎の尾を踏んでしまったのだ。
 これについては「陰にアメリカの思惑がある」とか「財界の意向に逆らえない」もしくは「官僚体制の堅固さに負けた」などとさまざまな意見がある (アメリカの圧力に関しては、『戦後史の正体』(孫崎享、創元社、1500円+税)に詳しい。一読をお薦めする)。
 むろん、さまざまな意見はそれぞれに当たっているだろう。だが、もっと大きな要因は、「見ぬもの清し」(目を塞いでいればすべてはきれいなまま。つまり、見て見ぬふりをする、という意味の俗諺)を決め込む多数のせいではないか。
 そのことを高橋哲哉氏は『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書、740円+税)の中で極めて明快に論じている。福島や沖縄に対する構造的差別の根源は、実は別のところに存するのではないか、と。

 野田は、原発も米軍基地もなし崩しに元のままにしようと企んでいる。いや、沖縄では「オスプレイ配備」という、現状悪化の道へすら踏み込もうとしている。
 野田にとっては、鳩山・菅両氏の失脚の轍を踏まないことがすべての政策に優先した。それは、虎の尾を踏まないこと、地雷は徹底的に避けて通ること。つまり、アメリカの言いなりになることでしかなかった。
 だから、野田のやったこと、やろうとしていることは、まさに「犠牲のシステム」のさらなる強化としか言いようがない。
 僕は大飯再稼働に怒って、この男を"野田"と呼び捨てにし始めたが、もはやそんなことでは怒りは収まらない。東京で暮している僕でさえこれほど腹を立てているのだから、福島や沖縄の人たちの怒りはこんなもんじゃないだろう。

 毎日新聞(9月24日付)の「そこが聞きたい」というインタビューに、松島泰勝・龍谷大学教授が登場している。怒りに満ちたインタビューである。「『琉球独立』現実の選択に」と、ギョッとするような大見出しが付けられている。

 沖縄県民の強い反対の中、米軍垂直離着陸輸送機オスプレイの普天間飛行場配備が進められている。石垣島出身で太平洋諸島や琉球の自治・自立・独立を研究する松島泰勝・龍谷大学経済学部教授は「日本への絶望が広がっている。琉球独立を現実的な選択肢として考えざるを得ない」と主張する。(略)

―自立は可能ですか。
◆太平洋には小国がたくさんあります。94年にアメリカから独立したパラオの人口は2万人、同じくツバル、ナウルは1万人です。国連に加盟する独立国です。沖縄県は140万人です。不可能ではありません。(略)

―政府はオスプレイの「安全宣言」を出しました。
◆原発事故での政府の「安全宣言」が安全を意味しないように、今回の宣言も琉球の安全を保障するものではありません。
 森本敏防衛相は「飛行の安全性に最大限の配慮がなされる」と言いましたが、人為的ミスが起これば最大限の配慮も無に帰します。人為的ミスをカバーする技術が欠如しているのがオスプレイであり、それが弾薬も積んで琉球中を飛行するのです。(略)
 配備が強行されれば、日本との関係は破断界を越えるでしょう。オスプレイ配備は、琉球とは何か、琉球人との関係をどうするのかという問いを、一人一人の日本人に突き付けています。「沖縄」ではなく「日本」の問題なのです。

 オスプレイの「安全性」を言い立てるだけの森本防衛相には、何の論理もない。「人為ミス」が多発することにこそ構造上の問題があるのに、「機体に問題はない。事故は人為ミスだった」と繰り返すだけ。同じことは、松島教授も指摘しているように「原発」にも言えるのだ。
 しかも「飛行の安全性に最大限の配慮がなされる」との森本防衛相の発言は、まったくのウソだったことが、すぐに暴露された。毎日新聞(同25日夕刊)に、こんな記事があった。

 (略)岩国市に「オスプレイが住宅地上空を飛んだ」との通報が住民から23、24両日で計5件あった。(略)
 また、日米合同委は垂直離着陸モードでの飛行を「運用上必要な場合を除き」米軍施設、区域内に限っているが、基地区域外で飛行したとの情報もある。

 米軍は、住民への配慮などまるで考えちゃいない。住宅地だろうがどこだろうが、「必要な訓練はやる」という姿勢を崩していない。どんなことをやったって、野田は反対するはずがない、とみくびっているのだ。
 岩国基地よりも遥かに住宅が密集している地区のど真ん中にあるのが普天間飛行場だ。米側は10月中にはそこへオスプレイ配備を強行しようとしているし、野田はそれを唯々諾々と受け入れる構えだ。というよりも、民主党代表選での大騒ぎと、内閣改造という小手先の延命策に、野田の頭は完全に占拠されている。とても沖縄のことなどかまっていられないというのが真相のようだ。アメリカの言うとおりにしておけば、ま、当面は首相の座は安泰なのだから、と。

 そんな野田が何の根拠もなくぶち上げた昨年末の「原発事故収束宣言」がいかにデタラメだったかは、ここで指摘するまでもない。
 僕も何度となくこのコラムで書いたように「どんなに安全性の高い原発を造ったところで、人間が動かす限り"絶対に"事故は起きる。全能の神が運転するのならともかく、間違いを犯すのが当然の人間が動かすのが前提の原発に"絶対安全"などあり得ない」のだ。オスプレイとて同じことだ。いつか、事故は起きる…。

 沖縄は、本気で「独立」を志向するかもしれない。これほどの反対を踏みにじられれば、「なぜ日本でなければならないのか」という疑問が湧くのは自然だろう。
 野田や政府は、尖閣諸島問題で四苦八苦している。石原慎太郎がつけてまわった火に煽られて右往左往だ。
 沖縄独立が真剣に議論されるということは、大きな土地を失う可能性も出てくるということだ。ナショナリズムだか愛国心だか知らないが、やたら元気な右派の人たちや、「戦争がやってくる」などと煽情的な報道を続けるマスメディアは、こんな怒りに満ちた「沖縄独立論」に、いったいどう対処するつもりだろうか。まさか、また慎太郎が出てきて、「沖縄は東京都が買う」とは言わないだろうが。

 それにしても、この政府、そして次期選挙で政権返り咲きを狙う自民党総裁選候補者の右派度競争。ほんとうに絶望的な気分になる。

 僕も「独立」したいと思う。米軍基地も原発もない「新しい日本」の独立を夢見てしまう。

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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