マガジン9

憲法と社会問題を考えるオピニオンウェブマガジン。

「マガジン9」トップページへ時々お散歩日記:バックナンバーへ

2012-09-12up

時々お散歩日記(鈴木耕)

105

森本敏防衛相の本音
前原誠司政調会長の詐術
そして、野田の暴走と民主党の終焉

 どれだけの人たち、どれだけ多くの声が集まろうと、政府は無視を決め込む、もしくは、知らなかったことにする。淋しいが、それがこの国の現状である。
 9月9日、沖縄の宜野湾海浜公園には10万3000人(県外からの参加者もかなり多かったようだが)が集まった(主催者発表)。むろん、「オスプレイ配備反対沖縄県民大会」である。
 東京でもそれに呼応して「オスプレイ配備反対国会包囲デモ」が行われ、ここにも沖縄関連では初めてといっていいほどの人数が集まった。約1万1000人(主催者発表)。他にも、岩国や名古屋などでも同趣旨の集会とデモがあった。オスプレイ配備問題は、沖縄を超えて全国に波及しつつある。原発と同じだ。気づいていない(ふりをしている)のは、党首選や維新騒動に目を血走らせている政治家たちだけだ。

 この宜野湾海浜公園には、かつて僕も足を運んだことがある。2007年9月29日、いまからちょうど5年前のことだ。
 「教科書検定意見撤回を求める県民大会」がこの場所で開催された。僕はなぜか琉球朝日放送(QAB)から、その特別番組のコメンテーターとして協力して欲しいという要請を受けて、現場にいたのだった。ああ、もう5年も前か…。
 それまでの高校教科書にあった「沖縄戦の末期、日本軍の強制や関与によって、沖縄県民の集団自決が起きた」という旨の記述が「沖縄戦の実態について誤解を生じる恐れのある表現である」という曖昧な理由で、文科省の諮問機関「教科書用図書検定審議会」から削除を求められたことがきっかけだった。
 「では沖縄の住民は、日本軍の強制も関与もないのに、勝手にみんなで殺しあったというのか」という怒りが、県内に充満した。本土ではほとんど報道されなかったが、沖縄の怒りは凄まじかった。なんと11万6000人(主催者発表)もの人たちが、ここに結集した。沖縄県の人口は約140万人。人口の1割弱が集まったことになる。

 その3年後、2010年4月25日に、今度は沖縄県読谷村運動広場に、僕はいた。またしても沖縄の怒りの大集会「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し国外・県外移設を求める県民集会」に参加するためだった。この大会参加者は約9万人(主催者発表)。
 これ以前にも、宜野湾海浜公園では「米軍人による少女暴行事件を糾弾し日米地位協定の見直しを要求する沖縄県民総決起大会」(1995年10月21日)が開かれ、その時にも8万5000人が参加している。
 そして今回の大会だ。沖縄は、何度こんな抗議集会を繰り返せばいいのか。どれほどの人が声を上げれば、政府に届くのか。沖縄を見捨ててきた政府は、自民党から民主党へ政権が移っても、結局、何も変わらなかった。むしろ、基地強化へ向かっている。
 その象徴が「オスプレイ」だ。

 「垂直離着陸機オスプレイ」の危険性については、もはや言い尽くされている感がある。しかも、その危険性を実証するように、米軍が沖縄配備を決めて以降も、次々と墜落や故障を繰り返している。
 この「オスプレイ配備反対県民大会」のたった3日前、9月6日にもオスプレイは、米ノースカロライナ州ジャクソンビルの"市街地に緊急着陸"したのだ。その事故について、沖縄タイムスの電子版は次のように伝えている(9月9日配信)。

<(略)オスプレイが緊急着陸した原因は「エンジンから出火したため」。7日、複数の海兵隊筋が沖縄タイムスの取材に対して証言した。専門家らは、住宅街に隣接している米軍普天間飛行場周辺で同様のケースが起きた場合、緊急着陸する場所の確保がむずかしいことなどから事故につながる可能性があると指摘し、同機の配備に警鐘を鳴らしている。(略)>

 これでも野田(呼び捨て運動実行中)は、なお「機体は安全」という親分の言い分をオウムのように繰り返すのか。エンジン出火でも「人的操縦ミス」だと言い逃れるつもりか。
 そんな巨大な危険物体が、「世界一危険な軍事基地」と呼ばれる普天間飛行場へ配備され、学校や民家が密集する市街地の上を飛ぶというのだ。反対運動が起きないほうがおかしい。誰が考えても危険だと思うのだが、アメリカの意向しか目と耳に入らない政治家や防衛・外務官僚たちには、こんな常識も通じない。
 民間の防衛政策通で外交問題にも詳しい学者として、鳴り物入りで防衛大臣に抜擢された森本敏氏も、蓋を開けてみればやっぱりアメリカに尻尾を振る可愛いペットだったことが判明した。
 田原総一朗氏が仕切る「朝まで生テレビ」の常連として得意顔で防衛を論じ、軍備増強や憲法改正を勇ましく吠えていたあの森本氏と、記者会見でシドロモドロの言い訳を繰り返すのが同じ人物だとはとても思えない。立場が人を変えるというけれど、これほど悲しい変身を遂げてしまった方も珍しい。
 その森本氏が、就任前につい口走ってしまったのが、次のような「原発論」。東京新聞(9月6日付)によれば、こうだ。

 森本敏防衛相が就任前の今年一月、電力関係の講演会で日本の原発維持を主張し「単にエネルギーの問題だけではない」「周りの国から見て非常に大事な抑止的機能を果たしている」と発言していた。(略)原発の維持が周辺国に核兵器開発の潜在的能力を意識させ、それが国防上のメリットにつながるとの考えだ。(略)
 政府は近く、将来の原発比率を含めたエネルギー・環境戦略を決めるが、森本氏は閣僚として閣議決定などで関与することになる。(略)

 森本氏は、原発を核兵器開発の道具として、特にアジア周辺国に示すことで、核抑止力としての機能を持たせるのだ、と主張している。つまり、この人が(潜在的?)核武装論者であることは明白だ。核抑止力を示すためには、原発よりも核兵器そのもののほうがより具体的だ。森本氏は、その一歩手前まで、すでに踏み込んでいるわけだ。
 さらに同じ森本氏、前述の「オスプレイの市街地への緊急着陸」について、とんでもない発言をしている(毎日新聞9月11日夕刊)

 森本敏防衛相は11日午前の記者会見で、MV22オスプレイが米ノースカロライナ州で緊急着陸したトラブルについて、米側からオイル漏れが原因だったとの報告を受けたことを明らかにした。森本氏は「オイル漏れをして警告灯がついたので予防着陸をしたと一報が入った」と述べた。沖縄配備の影響については「事故ではない。措置がきちっと取られることが必要」と述べた。

 冗談じゃない。エンジンからオイルが漏れ出火したという報道もあるのに、そこには言及せずに「事故ではない」と断言する。黒煙が立ちのぼっている映像もテレビでオンエアされていたではないか。
 エンジン出火が事故ではないとするならば、どんなトラブルだって事故じゃない、ということになる。これを、前任者の田中直紀"素人"防衛大臣が言ったのならともかく、防衛・軍事専門家を自認する森本"学者"防衛大臣が発言しているのだ。
 人口密集地の宜野湾市の市街地でエンジン出火などが起きたら、一体どこへ着陸すればいいというのか。アメリカでは緊急着陸ですんだかもしれないが、ここではそうはいくまい。「きちっとした措置」って、いったいどういう措置か?

 そんな人物が閣僚として「日本のエネルギー問題」に関与する。恐ろしい話だ。原発もオスプレイも同じように、地元の人々の「犠牲のシステム」(高橋哲哉氏の言葉)のもとに存在しているのだ。森本氏の言葉がそれをあからさまに表現している。
 この森本氏も関与する閣議決定の前提となるのが、政府与党の「民主党エネルギー・環境調査会」(会長・前原誠司政調会長)の議論だ。ところが、これがもう支離滅裂なのだ。
 この会議では、圧倒的な世論に押されて、渋々ながら将来の目標として「原発ゼロ」を打ち出したが、どうにも腰が定まらない。党内の原発容認派の力がいまも相当に強いからだ。
 まず、容認派は「2050年を目標にゼロへ」などと言い出した。さすがに「それでは国民の理解が得られない」との反論もあり、50年論は一旦棚上げ。これは朝日新聞(9月4日夕刊)によると次のようになる。

 民主党のエネルギー・環境調査会は4日、「原発ゼロ」実現を2050年代前半とし、さらに前倒しするため、15年に具体策を示すとした素案をまとめた。事実上、結論を3年間先送りする。(略)

 「50年代前半」というのは、どう考えても無理がある。政府は一応「原発の稼働期間は40年間とする」という方針を決定している。むろん「原則として」という抜け道を用意してはあるが、とりあえずの決定だ。そう簡単には反故にできない。いちばん新しい原発は北海道電力・泊原発3号機(2009年稼働)なのだから、新設・増設がない限り、2040年代には廃炉ということになる。最初から2050年前半というのは理屈に合わない。結論を先送りにせざるを得なかったわけだ。
 しかも、これまでに政府が行った原発に関する意見聴取会、パブリックコメント、討論型世論調査は、いずれも「2030年時点」での原発電力比率は、0%、15%、20~25%のどれを選ぶか? という3択形式で行われている。いまさら、「50年時点」というのは、これまでの調査結果をまったく考慮しない設定だ。何のために調査をしたのか、デタラメも甚だしい。当然ながら議論は紛糾、仕方なしに3年間も結論を先送りしたわけだ。何が「決定する政治」なのだ、野田よ。
 仕方なく、調査会はもう一度、役員会を開いて協議した。そこでまたも、姑息な言葉いじりでごまかしにかかったのだ。毎日新聞(9月7日付)を読む。

 民主党は6日、(略)将来の原発比率を議論する「エネルギー・環境調査会」(会長・前原誠司党政調会長)の役員会を開き、「2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」との方針をまとめた。(略)
 前原会長は、役員会終了後に野田佳彦首相に電話で報告。その後の記者会見で「原発を即時にやめることは現実的ではない」として、安全確認された原発の再稼動の必要性を強調する一方、30年代の原発ゼロを目指すことについては、「原則を厳格に適用すると、原発稼働は39年には5基になるが、(電力)供給や需要の取り組みをしっかりすれば前倒しが可能なのではないか。努力する」と述べた。(略)

 つまりこれは、「2050年代というのは、さすがにカッコ悪いから、2030年代に原発ゼロにするよう努力する」ということで「ゼロを実現する」と言ったわけではない、という意味だ。
 なんだ、こりゃ!
 またも「努力」だ。政治家というのはよっぽど「努力」が好きらしい。しかし、「実現する」と「努力する」では、政治家用語としては天と地ほどの開きがある。「努力したけど実現できなかったんだも~ん」だ。
 しかもしかも、「30年には」だったものが、いつの間にか「30年代には」と、微妙に変化している。あまりにアホらしい言葉の詐術だ。「30年に」といえば、どうごまかしても「2030年まで」だ。ところが「30年代には」といえば、結局、「2039年まで範囲内」ということになる。あれっ? いつの間にか9年間も延びちまった…。
 まったく、この連中には呆れて言葉もない。
 しかし、この曖昧な話さえ、野田はきちんと決められない。「決められる政治」がヘソで茶を沸かす。毎日新聞(9月11日付)によれば、こんな具合だ。

エネルギー戦略、週内に
米政府との調整に時間

 野田佳彦首相は10日の記者会見で、東京電力福島第一原発事故を受けた新たなエネルギー・環境戦略を、週内に決める方向を明らかにした。政府は当初、10日の決定を目指していた。だが、民主党の提言に盛り込まれた「2030年代の原発ゼロ」目標に、使用済み核燃料を受け入れている青森県など地元自治体が反発。米政府も関心を示していることから、調整に時間がかかると判断した。
 新戦略について首相は「党が示した『原発の新増設は行わない』『40年運転制限を厳格に適用』『再稼働は原子力規制委員会の安全確認を得たもののみ』は取り入れたい」と述べた。一方「30年代ゼロ」目標への言及は避けた。
 首相が「30年代ゼロ」を明言しなかった背景には、米国の「関心」がある。(略)

 日本はアメリカと「日米原子力協定」を締結している。この協定では、使用済み核燃料の再処理による日本でのプルトニウム生産保有を、原発の燃料としてのみ再利用するという前提で認めている。だが、原発ゼロではプルトニウム生産の根拠がなくなり、日米協定の前提が崩れる。そうなれば、青森の再処理工場も高速増殖炉もんじゅも、稼働の根拠を失う。日本政府は、これまでの原子力行政を、根本的に見直さなければならなくなるのだが、どうしてもそこまで踏み込めない。
 うろうろ、あーでもないこーでもない、と迷走を繰り返すしかないのが現状なのだ。
 そんな折、民主党も自民党も、次期リーダーをめぐっての大騒ぎ。野田はその大騒ぎに乗じて、国会承認事項であるはずの「原子力規制委委員会人事」を、法の抜け穴を利用して、この19日にも指名する腹を決めたという。どこまで姑息な男なのか。
 民主党内でも相当の抵抗があった「原子力ムラ住人・田中俊一氏ら」の人事なのだが、代表選挙の大騒ぎでそんな批判もどこかへ吹っ飛んでしまった。反対していた議員たちも、本気ではなかったということか。民主党が終わったことの、これも証拠である。

 かくして、「原発ゼロ、オスプレイ反対、基地撤去」という、大勢の「悲痛な叫び」を無視したまま、政局混乱のバカ騒ぎだけが、虚しく続いていく…。

googleサイト内検索
カスタム検索
鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

「時々お散歩日記」最新10title

バックナンバー一覧へ→