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2012-07-11up

時々お散歩日記(鈴木耕)

100

首相官邸付近に集まる人たち…

 あれっ、この「お散歩日記」、とうとう100回目か。よく続いてるもんだ。それも、しつっこくほとんど原発のことばかり。「お散歩日記」というよりは「原発日記」になってしまった。中身も暗い。僕だって、辛気くさいことばかり書きたいわけじゃない。
 それもこれも、みんな原発屋と政治屋たちのせいだ。どーしてくれるんだ!

 このところ、僕は毎週金曜日、首相官邸付近の抗議デモに参加している。我が家からは電車を乗り継いで1時間弱かかるけれど、そんなこと、かまっちゃいられない。
 多分、僕と同じような人がいっぱいいるんだ。日を追うごとに、参加人数は増え続けている。6月29日には、主催者発表で約20万人という膨大な数に膨れ上がった。警察発表では1万7千人。このはなはだしい乖離については、さまざまな議論がある(あとで触れよう)。

 先週(7月6日)は、雨だった。解散予定時刻の午後8時に近づくにつれ、雨は激しくなった。それでも抗議の人たちは、最後まで声を上げ続けた。この日、主催者発表は15万人超。警察は2万1千人。
 あの雨にもかかわらず、これだけの人数が集まったことに、官邸サイドも少なからず動揺しているようだ。さすがの野田(この男の「呼び捨て宣言」を個人的に実践中)も、「多くの声、さまざまな声が届いております」と言葉を改めた(朝日新聞7月7日)。
 あの「大きな音だね」発言が、凄まじい不評を買ったことに、鈍感なこの男もようやく気づいたとみえる。いまさら、遅い!

 話はそれるが(いや、同じことだが)、野田の言葉の使い方の稚拙さはほとんど天才(天災)的だ。7月8日、福島を訪れた野田は、魚市場で鰹の刺身を出されて食べたが「美味しい。さすがにこれ以上は…」と、たった三切れでやめてしまった(フジテレビのニュース)。
 「さすがにこれ以上は…」の後は何と言うつもりだったのか。まさか「放射能が怖いので」じゃないとは思うけれど…。刺身を差し出した人がどう思うか、には考えが及ばないらしい。こんな男だから「大きな音だね」などと平気で口走る。それを批判されると、すぐに「多くの声、さまざまな声が届いております」と、無内容な言い訳をする。
 この男、どうも意味を分かった上で言葉を使っているのではないらしい。官邸にまで響いたあの「声」は「さまざまな声」ではなかった。「大飯原発再稼働反対」というひとつのまとまった意志だったではないか。それをあたかも「いろんな意見」、つまり賛否両論が聞こえてきたように喋ってしまう。あの「声」のどこに「さまざまな声」があったというのか。「声」はひとつだったのだ。嘘をつくにしても、もっと上手にやればいい。ま、所詮この男には無理な話か。

 知人のジャーナリストからの情報だが、官邸サイドがこの金曜デモの凄まじい人数の増え方に、かなりナーバスになっているのは事実のようだ。そこで、官邸筋が警備のあり方に注文をつけたらしい、というのだ。
 どのような内容だったかまでは分からないが、確かに7月6日のデモ警備は、それまでのやり方とはそうとうに違っていた。
 まず、地下鉄・国会議事堂前駅の出口を制限し始めた。それまではどの出口から出ようと自由だったのだが、最も官邸に近い2番出口は、すでに5時半ごろから警官によって封鎖されていた。これは、警察側からの要請で主催者側も受け入れたのだという。
 さらに、遅れてきて別の出口から出された参加者たちは、官邸からかなり離れた方向へ誘導されていった。「私たちはいったいどこへ連れて行かれるの?」「首相官邸へ抗議に来たはずなのに、ここはどこ?」と不満を募らせる参加者も多かった。
 なにしろ、あれだけの場所に10万人を超える人間が押し寄せるのだ。官邸に近づけなくても仕方ないという事情はある。だが、官邸東側の道路の歩道もこの日は完全に封鎖されていた。ここは、これまでは自由に往来できたのだが、6日には警察によって通行禁止とされた。
 官邸前の道路には直接近づけないが、この東側道路は官邸にかなり近い。参加者の抗議の声が最もよく届く距離なのだ。野田は聞きたくないに違いない。だから、ここには人を通さない。官邸が警察に指示して姑息な手段に出たと考えてもおかしくはない。
 警察も戸惑っている。これだけの大人数が押し寄せる。しかも、それらの人たちは組織動員でもなければイデオロギー主張の集団でもない。ひたすら「大飯原発再稼働反対」を叫ぶ群衆なのだ。自由な個の集まり、緩やかな連帯、穏やかな集団だ。
 機動隊が紺色の不気味な"乱闘服"を着て前面に出て、威丈高にデモ隊を抑えつけていたこれまでとは、まるで様相が違う。子連れのママたちがいる、茶髪の少女群が団扇を振っている、老夫婦らしきふたりが寄り添うように歩いてくる、仕事帰りのサラリーマン集団や、なんとなくツイッターに吸い寄せられたらしい若者たちの姿もある。
 手荒な真似はできないのだ。参加者たちは「お巡りさん」と呼ぶ。「私たちを守ってくれている優しいお巡りさん」だと思っている。そんな人たちに、さすがの警察も荒っぽい警備はできない。それが、これまでの金曜抗議集会への警察の対応だった。
 だが、この6日の警備は、その「優しさ」の中に、なにか不穏な雰囲気も漂っていた。駅の出口を警官隊に塞がれて身動き取れなくなった群衆が「通らせろ」「なんで地上に出さないんだ!」と、警官隊に詰め寄る場面もあったのだ。これは当然だ。抗議に訪れたのに、地下駅で阻止されて進むことができなくなったのだから、激高する人が出てくるのは当たり前だった。
 つまり、かなり露骨な分断警備が行われ始めていた。それが官邸サイド、つまり野田の要請なのかどうかはさだかではない。ともあれ、これが今後の強硬な抑圧警備への転換とならなければいいのだが。

 それにしても、主催者発表の参加者数と警察発表数のあまりに大きな隔たりは、どう考えればいいのだろう。主催者側が多めに言い、警察は極端に少なく発表する。これは、これまでの集会やデモでよく見られた現象だ。だがさすがに、10倍以上もの差が出るというのは、僕も初めての経験だ。
 それについて、朝日新聞(7月7日付)がこんな記事を載せていた。

参加者の数に差 主催者と警察

 官邸前の抗議行動の参加者数は、前回6月29日も主催者発表(15万~18万人)と警視庁調べ(約1万7千人)に差があった。
 主催者によると、午後6時の抗議開始から30分ほどしたところで、数人で手分けして計数器でカウント。その人数を基準に、終了直前ごろに何倍ぐらいに増えたかを目視で測り、参加人数を推定しているという。
 一方、警視庁は、関係者によると、会場の混み具合から単位面積あたりの人数を推定し、会場全体の面積を掛け合わせて人数を算出している。「身動きが取れないほどの混雑なら1平方㍍あたり8人」など、基本となる人数の推定には様々なノウハウがあるというが、外部には公表していないという。

 ふむふむ。それなりの計測はしているわけだ。だが、7月6日の雨中のデモ、凄まじい数の人々が、ほぼ日比谷方面まで誘導され、官邸付近には近づけなかったし、地下鉄駅改札口付近で警官に阻止され、地下道をぐるぐる歩かされた人たちもいた。これらの人たちを、主催者も警察もカウントできていたとは思えない。
 特に、あの数を2万人とは、いくら警察独自のノウハウとはいえ、あまりに現実を見ない「計算」である。
 しかし、それはさておき(閑話休題)。ここでこんなふうに「客観的」に記事を書く新聞記者という存在は不思議だ。
 6月29日には、怒りの広瀬隆さんらがチャーターした空撮ヘリに刺激されたのか、報道各社もヘリを官邸上空に飛ばした。その数5機。そして7月6日の雨中デモでも、上空を舞ったヘリは3機だった(僕が目視したのだから間違いはない)。
 報道各社が飛ばしたヘリは、しっかりと上空から全体の状況を把握できていたはずだ。地上の記者が、「1平方㍍あたりの人数」を伝えれば、上空からどのくらいの面積、距離に人々が凝集していたか、簡単に割り出せるはずではないか。
 なぜ、そういう作業をマスメディアはしないのだろう。取材用ヘリを所有している報道機関はたくさんある。いったい何のために所有しているのか。こういう時のために活用すべきだと思うのだが、ただ映像が撮れればそれでOKなのか。"マスメディア"の名が泣いているゾ。

 地上での、これだけの「声」にもかかわらず、泥の中の野田の指令によって、大飯原発は再稼働した。さっそく関電と政府は「節電目標を15%から10%へ」と発表。
 「原発のありがたさが分かっただろう」とほくそ笑む電力会社幹部や経産省その他の官僚たち、そして野田のドジョウ笑い(どんな笑いだ!?)が頭に浮かぶだけで、僕は食欲を失う。
 おかげで大分体重が減った。「原発ダイエット」などとふざけてはみるものの、心は憤りで満たされている。

 僕はまた、金曜日に国会前へ行く。16日(祝日)には、代々木公園で巨大な10万人を超える規模の「脱原発集会」がある。むろん、それにも参加する。
 14日(土)は、「愛川欽也のパックインニュース」に出演する。きちんとこの集会のことを伝えてこようと思う。
 あ、この番組に、藤波心さんも出演する予定。高校生になった彼女がどんなことを話してくれるか、楽しみでもある。

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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