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2012-04-25up

時々お散歩日記(鈴木耕)

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「原発本」を読みながら…

 今回の原稿は、実は、JCJ(日本ジャーナリスト会議)の機関紙「ジャーナリスト」(4月25日号)に掲載されたものだ。昨年来、僕は多くの原発関係の本を読んできた。その中から比較的新しい本を中心に、読み応えのあるものをピックアップして紹介した文章だ。
 むろん、これ以外にもたくさんの紹介したい本があったが、紙面の都合上、この程度にまとめざるを得なかった。その文章を若干手直し、さらに補足して、ここに転載する。
 もうすぐゴールデンウィーク。長い休みが取れる人も多いようだ。本を読んで過ごそう、という人たちもいるだろう。そういう時に、少しでも参考にしてもらえれば嬉しい。

 JCJについて、少し触れておこう。
 これは、現役・OBを問わず、ジャーナリズムに携わった人たちの集まり。新聞、出版、テレビ、ラジオ、映画、広告などの各部会を持ち、会員は多岐の分野にわたる。地方にも支部があり、基本的には憲法を守り、原発や米軍基地に反対する姿勢を堅持している。
 会員の中には、その趣旨に賛同した一般の方もおられる。もしご興味があったら、以下に連絡してほしい。
  メールアドレス: jcj@tky.3web.ne.jp
  ホームページ: http://www.jcj.gr.jp
  電話番号: 03-3291-6475

 さて、本文。

 昨年のあの3・11以来、私の本の読み方はまるで変わってしまった。読む本の冊数が減ったわけじゃない。“普通の本”が読めなくなってしまったのだ。私の書架には「原発関連本」が急激に“増殖中”である。
 今年の「3・11」が近づくにつれて、私の精神状態はかなりヤバくなっていった。あの、冷たく震えるような日々が頭の中に甦るからだ。昨年の原発爆発直後の悪夢が、またも私の夜を占領し始めた。それは、このところ読んだ数冊の本の影響もある。
 『レベル7 福島原発事故、隠された真実』(東京新聞原発事故取材班、幻冬舎)、『プロメテウスの罠 明かされなかった福島原発事故の真実』(朝日新聞特別報道部、学研)、『福島原発事故記者会見 東電・政府は何を隠したか』(日隅一雄、木野龍逸、岩波書店)、『メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故』(大鹿靖明、講談社)、『福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告』(ディスカヴァー)などだ。これらの本は生々しく私のあのときの感情に迫る。私が脅えた底知れぬ恐怖の源を見事に抉り出す。私の悪夢が再現される…。
 まさに修羅場だった首相官邸。右往左往するのみの政治家と招集された学者らのデタラメさ。それに輪をかけた官僚どもの対応。この国の抱える病根が一挙に露呈した瞬間を、記者たちがかろうじて記録していた。更に東京電力、原子力安全・保安院、原子力安全委員会などという組織の機能不全ぶりが、記者会見の場で暴露される。それを主導したのは、多くはフリーランスの記者たちだった。つまり、大手既成メディアの記者たちの劣化も、ここで暴露されたのだ。

 原発事故は明らかに人災であった。「天災は忘れたころにやってくる」とは寺田寅彦の言葉だが、「人災は高慢と怠惰がもたらす」と言わなければならない。その証拠が前記の本の中に何度も何度も、これでもかと言わんばかりに頻繁に出てくる。
 ことに、あの班目春樹・原子力安全委員会委員長を筆頭とする“専門家”と称する人たちの周章狼狽ぶりは、目を覆いたくなる。

 そのとき班目は、福山(官房副長官)の記憶によれば(その後頻繁に見せることになるのだが)「アチャー」という顔をした。両手で頭を覆って、「うわーっ」とうめいた。頭を抱えたまま、そのままの姿勢でしばらく動かない。福山が「これはチェルノブイリ並みの事故ですか」と聞いても返事がない。 一部始終を目撃した下村(内閣官房審議官)にとって、生涯忘れることのできないような衝撃的なシーンだった。これが日本の原子力の最高の専門家の姿なのか―そう彼は思った。
(『メルトダウン』より)

 また、『レベル7』によれば、事故直後から不眠不休で現場指揮を執り、メディアによって英雄扱いされた吉田昌郎福島第一原発所長でさえ、ある試算の隠蔽に加担していたり、判断を誤ったりという事実も指摘されている。
 原発は造ってはならぬもの、動かしてはならぬものだ。なぜなら造るのも動かすのも“不完全な人間”だからだ。あの英雄視された吉田所長でさえ過ちを犯したのであれば、いったい誰が過ちなく原発を動かせるというのか。
 原発事故が人災であったことが、これほど明らかになってもなお再稼働などと口走る連中は、自分が完全無欠な人間だとでも思っているのか。不完全な人間が造り不完全な人間が動かす原発に「絶対安全」など求めようもない。

 当時の菅首相の対応のまずさが原発事故の連鎖を助長したとして、マスメディアの「菅叩き」は凄まじかった。だがそれは事実だったか。前出の『調査・検証報告書』を読めば、原因を単純に菅首相個人の資質に求めてはならないことが分かる。むしろ、必死に「日本壊滅の恐怖」と闘う孤独な責任者の姿さえ浮かぶ。
 ではなぜ「菅叩き」があれほど噴出したのか。それこそメディアの責任である。その責任が、いま問われるべきではないか。「菅降ろしの真相」とはいったい何だったのか。私はそれを知りたいのだが、この件に関しては、どのマスメディアも口を閉ざしたままだ。
 『メディアの罠 権力に加担する新聞・テレビの深層』(青木理、神保哲生、高田昌幸、産学社)、『新聞記者が本音で答える「原発事故とメディアへの疑問」』(田原牧、クレヨンハウス)、『民意のつくられかた』(斎藤貴男、岩波書店)は、そのマスメディアの構造に触れた本だ。ことに『民意の…』は、メディアと政府・電力会社、狭間で蠢く広告代理店という網の目が、世論調査なる世論操作をいかに巧妙に行うかを描いて背筋が寒い。

 原発事故についての新書群にも触れておく。『犠牲のシステム 福島・沖縄』(高橋哲哉)、『福島第一原発―深層と展望』(アーニー・ガンダーセン)、『日本の大転換』(中沢新一)=以上集英社新書、『原発を終わらせる』(石橋克彦編)、『原発訴訟』(海渡雄一)、『3・11複合被災』(外岡秀俊)=以上岩波新書、『原発のウソ』(小出裕章、扶桑社新書)、『巨大地震 権威16人の警告』(『日本の論点』編集部編、文春新書)、『脱原発。天然ガス発電へ』(石井彰、アスキー新書)など多くの新書が出ている。まだまだあるが、このくらいにしておく。
 注目すべきは『日本の大転換』。ようやく原発という存在を哲学的に捉えた著書が出てきた、と私は読んだときに思った。
 米国の原子力技術者アーニー・ガンダーセンが分析した福島原発事故の詳細は、外国人の眼から見た初めての本。妙なバイアスがかかっていないだけ、冷静な記述だ。ことに4号機に触れた部分は必読である。かなり早い時期から、核燃料プールの脆弱性を指摘していたことが分かる。

 先駆的に原発の危険性を説いてきた本も挙げておく必要がある。広瀬隆氏の『危険な話』(八月書館)『東京に原発を』(集英社文庫)等の一連の著作は日本の反原発運動に大きな影響を与えた。彼の警告を「素人の戯言」と一蹴した原子力ムラの学者たちこそ、自らの戯言を撤回すべきだろう。
 『放射能汚染の現実を超えて』(小出裕章、北斗出版→河出書房新社)は、小出氏の提言や活動の最も初期のもの。この警告を無視してきた原子力ムラの住人たちの犯罪性は改めて検証されなければならない。『原発ジプシー』(堀江邦夫、現代書館)は原発労働者たちの過酷な現実を、大著『六ヶ所村の記録 上下』(鎌田慧、岩波書店)は原発の持つ非人間性を暴いたルポルタージュとして貴重だ。『敦賀湾原発銀座 [悪性リンパ腫]多発地帯の恐怖』(明石昇二郎、宝島文庫)は、「週刊プレイボーイ」を舞台に、電力会社や福井県庁、政府機関などとバトルを繰り広げたスリリングな記録。手に汗を握る。
 漫画で原発を告発した素晴らしい作品に『夏の寓話』所収『パエトーン』(山岸凉子、潮出版社)がある。チェルノブイリ事故に触発された著者が見事に視覚化した。
 多数の人たちが一緒になって「反原発」を訴えているのは、『脱原発社会を創る30人の提言』(池澤夏樹ほか、コモンズ)と『いまこそ私は原発に反対します』(日本ペンクラブ編、平凡社)だ。『30人の提言』には、私の小稿も入っている。『いまこそ…』には52人の著名人たちの計800枚以上にも及ぶ原稿が収録されていて圧巻だ。

 違った角度から原発に迫った作品群もある。福島のフィールドワーク『「フクシマ」論
 原子力ムラはなぜ生まれたか』(開沼博、青土社)、原発学者のロジック『原発危機と「東大話法」』(安冨歩、明石書店)、あっさりと事故原発潜入に成功してしまう『福島第一原発潜入記』(山岡俊介、双葉社)、核の精神史を追う『原発と原爆』(川村湊、河出ブックス)、俳優生命を賭けて頑張る『ひとり舞台』(山本太郎、集英社)やアイドルの『14才のココロ』(藤波心、徳間書店)も面白いアプローチ。
 言葉の力を感じさせたのが『詩ノ黙礼』(和合亮一、新潮社)と『詩の礫』(同、徳間書店)の2冊の詩集。震災直後からツイッターで発し続けた詩を編んだもの。平易な言葉が、凄まじい状況下では、むしろ力を発揮する。

 原発事故の責任をいまだに誰も取ろうとしない日本無責任体制。それを実名入りで痛烈に告発する『福島原発人災記 安全神話を騙った人々』(川村湊、現代書館)と『原発の闇を暴く』(広瀬隆、明石昇二郎、集英社新書)、広瀬氏と明石氏は、ここに実名を挙げた人々を実際に告訴したのだが、むろん(というべきか)検察は無視したまま。日本の司法もまた、原子力ムラの住人たちの巣だったか。
 文化人たちを俎上に上げたのは『原発文化人50人斬り』(佐高信、毎日新聞社)。著者一流の容赦ない切り口に脅えた“文化人たち”も多いだろう。

 真の情報をどう捉えるかは『新版 災害情報とメディア』(平塚千尋、リベルタ出版)に詳しい。メディアリテラシーのひとつの手法である。原発への疑問をストレートに投げかけるのが『玉川徹のそもそも総研 原発・電力編』(玉川徹、講談社)。テレビ「モーニングバード」でのコーナーを単行本化したものだが参考になる。なにより、図表を多用し、視覚的に訴える手法はさすがテレビ仕込み。
 写真の力を感じさせるのが『福島 原発震災のまち』(豊田直巳、岩波ブックレット)。置き去りにされた動物たちが哀しい。豊田氏ほか、フリーカメラマンたちの仕事が、今回の事故の悲惨さを世に知らしめるのに、大きく役立ったことは特記しておきたい。
 『むかし原発いま炭鉱』(熊谷博子、中央公論新社)は三池炭鉱を追いながら原発を思う。国家と民衆・労働者という基本的な構造は、炭鉱と原発に通底しているという視点。不思議な読み応え、胸にずしりと重い。

 駆け足で紹介してきた。
 まだまだ読むべき本はたくさんある。大飯原発再稼働を、野田内閣は強行しようとしている。上に挙げた本のうち数冊でも読んでくれれば、野田首相も枝野経産相も陰の仙谷政調会長代行も、考え直してくれるかもしれないが、ああ、読みはしないだろうなあ…。

 5月5日。子どもの日が「子どもを守る日」になる。草の根の動きが、大飯原発再稼働に待ったをかける。そうしなければならない。
 この日、大きな集会やデモが全国各地で行われる。ぜひ参加しよう。むろん、僕も緑色の小さな鯉のぼりを持って出かけるつもりだ。みなさんも、ぜひ。

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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