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2012-01-25up

時々お散歩日記(鈴木耕)

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「非共存」という考え方

 「原発問題への関心が薄れ始めている」という声を、最近よく耳にしないか? そんなことはないと僕は思うのだが、「確かに、西へ行くにしたがって、原発事故なんてどこの国のこと?的な気分が強いな」と、知人のジャーナリストも言っていた。野田首相の「事故収束宣言」が、そんな気分に拍車をかけたのかもしれない。
 最近の報道各社の「世論調査」からも、なぜか「原発稼動の是非」を問う項目が消えている。マスメディアは、もう原発は世論調査の対象ではなくなった、という判断なのか。

“冗談じゃねえ”ぜ、まったく。キヨシローが生きていたらどう言うだろうか。『サマータイム・ブルース』を聴きなおす。抜け毛が増えていないかい、あんた?
 しかし、もうじき3月11日がやって来る。誰にも忘れたなどとは言わせない。あれからすでに1年近くが過ぎたけれど、原発事故が終わる気配なんか、まったくないじゃないか。
 東京では木の芽も膨らみ始めたが、東北の春はまだまだ先。3月になったって寒さが厳しい。だからといって、その寒さが原子炉を冷やしてくれるわけじゃない。ぐちゃぐちゃに溶けた核燃料は、冷温停止なんかしてないんだよ、野田さんよぉ。

 東京電力が1月19日に衝撃的な映像を公開した。それを20日のテレビニュースで見た。凄まじい映像だった。工業用内視鏡を初めて事故の2号機に入れて、原子炉の格納容器内部を撮影したものだという。それを見て、思わず背筋が粟立った。
 画面がチカチカとまるで美しいネオンのように輝いていた。放射線の影響、近寄れば即死。あれは“死の美”か。
 滴り落ちる水。まるで豪雨のように、ひっきりなしに降り注ぐ。原子炉内がまだ高温だから水が蒸発し、それが水滴になって降ってくる。しかも映像は水面を捉えていない。それは水位が予想よりも低いことを意味している。水が足りていない。つまり、溶融してしまった核燃料の、水による冷却にはまだ成功していないのだ。
 この画像からはっきり分かるのはただひとつ。「原発事故は今も継続中」ということだ。

 だが野田首相も政府も与党も野党も、原発事故はそっちのけで政争に明け暮れる。消費税も社会保障制度も選挙制度の比例80人分の削減も公務員政度改革もなにもかにも、命あってのものだね、子どもの命が守れてこその話ではないか。
 彼らが懸命なのは政局がらみの話だけ。小沢がどうした、自民がどう動く、公明は反対かどうか、みんなの党は第三極狙い、維新の会がどうしたこうした、なんだかんだの右往左往。見る気も起きない田舎芝居。原発なんかどうでもいいらしい。
 そうはいくもんか。

 原発については、いろんな言い方がされてきた。
 脱原発、脱原発依存、卒原発、縮原発、減原発、高経年原発廃炉、段階的縮小、ベストミックス……。
 それぞれにニュアンスの違いがあるけれど、結局は「止める」か「止めない」かの違い。いろんな理屈をつけて(言葉をごまかして)原発を再稼働させようという動きが、すでに水面下で始まっている。
 だが情けないことに、それを正面きって言わず、“世論”とやらを気にしながら「段階的原発縮小を」などと、口当たりのいい言葉で再稼動を狙っている連中ばかりが目に付く。あの頑迷固陋を絵に描いたような米倉弘昌経団連会長でさえ、新聞のインタビューではこんなことを言っている。

「理想は原発依存脱却、再生エネが課題」(東京新聞1月5日)
「脱原発 人類の夢、安定供給 政府は筋道示せ」(毎日新聞同)

 中身をよく読めば、「理想はそうだけれどすぐには無理だから、地元とよく話し合って十分な理解を得た上で、原発は再稼働させるべきだ」というに尽きる。言葉は飾るが、心は飾れない。こんな人が言う「脱原発」など、誰が信じるか。
 「原発依存脱却が理想」というのなら、それを実現するために、「まず高経年原発(この言葉もひどい。要するに“老朽化”を言い換えた官僚のごまかし用語だ)から廃止し、順次原発をなくしていく、そのためには多少の節電や不便も耐えるべきだ」というのが、それこそ“筋道”ではないのか。そんなことは、おくびにも出さない。それが経団連会長だ。言葉に騙されてはいけない。
 僕は、こんなさまざまな言い方に与しない。何度か書いたけれど、僕の立場は、はっきりと「反原発」だ。だから、このコラムやツイッターの呟きをまとめたブックレットにも『反原発日記』というタイトルを付けたのだ。

 なぜ「反」か。
 理由はただひとつ。「人間(他のあらゆる生きものも含めて)は生の深い部分で、放射性物質とは共存できない」と考えるからだ。僕はそれを「非共存」と呼ぶ。非共存の思想。
 こう書けば、必ず批判が来ることは分かっている。
 「では、レントゲン撮影も、ガンの放射線治療も認めないのか。あれは、人間と放射線との共存ではないのか」などと言われるだろう。
 しかし、その批判は根底から間違っている。

 個人的なことになるが、僕の父親はX線技師だった。20代からほぼ50年近く、その仕事に従事した。そして、80歳代半ばで肺ガンになり、90歳で死んだ…。
 僕は幼いころから、父の仕事場へ遊びに行っていた。だから放射線の特性や利益については、他の人より多少は敏感だろう。
 レントゲン撮影や放射線治療は、ある限られた場所や隔離された範囲での話だ。父の病院での仕事場のドアは、異様なほど重かった。放射線防護のための鉛が仕込まれていたからだ。父の仕事着は鉛入りの防護用エプロン。僕も着けてみたことがあるけれど、腰にズシリと負担がかかるほど重かった。そうやって、注意をしながら扱っていたのだ。隔離された部屋と防護用エプロン。しかも、そこに入るのは技師と患者のみ。
 核反応のエネルギー転化の際の放射能の危険性と、この医学的使用上の危険性とはまったく違うものだ。それを使用することの利益と被害を、個人が了解の上で引き受けるというのが、治療用放射線利用の最低限のルールだ。治療を受けるのは個人であり、それが個人の健康にとって利益があるとの判断を、患者と医者の双方が納得した上での使用なのだ。
 そういう判断に必要な基本的データや情報をきちんと開示した上で、原発は動かされてきたか? そこに根源的な問題がある。
 微小な放射線を扱う技術と、巨大な原子力発電所の稼動技術との違い。しかも、これまでさんざん暴露され報じられてきたように、原発をめぐる情報の多くは隠蔽されてきたではないか。X線による治療行為と原発とを同列で論じることの“まやかし”が分かるだろう。

 繰り返すが、我々人間は自然由来ではない放射性物質とは、生きる上で「共存」できないのだ。一度こんなものを体内に取り込んだら、あとは自分の体の抵抗力に期待するしか除去の方法はない。しかも、放射性物質がどんな障害を引き起こすかは、数年〜数十年後にならなければ分からない。がんや、その他の疾病が発症したときに、それと原発事故との因果関係を正確に結び付けられるだけのデータも症例も、残念ながら確立されていないとされている。
 チェルノブイリ原発事故後、現場周辺では、がん、心臓病、糖尿病、内臓障害などの多くの症例の増加が報告されているけれど、実は先頭に立ってそれを否定してきたのは、日本の学者たちなのだった。

 重松逸造氏という元放射線影響研究所(放影研)理事長だった医学者がいる。1990年にIAEA(国際原子力機関)が発足させたチェルノブイリ事故の国際諮問委員会の委員長に就任したが、重松氏は放射能汚染による健康被害は認められない、として「むしろ、ラジオフォビア(放射能恐怖症)、つまり精神的ストレスによる被害がほとんど」という凄まじい報告書を提出して、世界中の良心的研究者たちから強い批判を浴びたのだ。
 その重松氏の弟子筋にあたるのが長瀧重信氏であり、彼は今回の福島事故でも“安全コメンテーター”として活躍した。さらに、その長瀧氏の長崎大学医学部での教え子が“ミスター100ミリシーベルト”と呼ばれ、現在福島県立医大副学長で、福島県の健康調査の責任者も務める、あの山下俊一氏である。
 彼らもまた「共存派」といっていい。

 夕方のNHKの首都圏ニュースを見ていると、「今日の放射線量」というコーナーがあり、関東地方各都県の日々の放射線量が図示される。最初にそれを見たときは、そのあまりに醜悪なシュールさに愕然としたものだ。まるで安手のハリウッド製SF映画じゃないか。核戦争後の地球に生き残った人々の物語ってやつとダブる。だが、いつの間にかそれに慣れてしまった自分も情けない。
 たまにカミさんと一緒にスーパーに買い物に出かけても、「このほうれん草、産地は?」とか「あ、スウェーデンで獲れた魚か。じゃ安心かな」などという会話を交わしてしまう。
 そんな暮らし、こんな世界が「放射能との共存」なのだ。僕はそれを、断じて肯定できない。マスクと長袖でなければ運動できない校庭や、給食を心配してお弁当を持たせる親と学校がトラブルを起すような教育現場を、肯定できない。

 この地球という小さな惑星で、エネルギーを得る手段として原発を推進し、それによって発生する放射能とは十分に共生できる、とする思想の持ち主たちは、僕の対極…。

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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