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2012-01-11up

時々お散歩日記(鈴木耕)

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普通の人が原発を止める

 2012年、最初の更新。今年はいいこと、楽しいことを書きたいなあと思う。でも、なかなかそんなふうにはいかないだろう、とも思う。

 1月8日、日曜日。ちょっとした買い物があったので、ずいぶん長い間ほったらかしにしてあった車を動かすことにした。ガス切れ寸前、埃だらけの我がポンコツ愛車。まずはガソリンスタンドへ。給油と洗車を済ませたら、数千円が飛んでいった。
 とても穏やかないい天気だったので、買い物は後回しにしてちょっとドライブ。我が家からは数十分の小金井公園まで足を伸ばした。公園入口脇の「田吾作」という蕎麦屋で昼食、なかなか美味。
 公園の駐車場は満杯。園内は家族連れで大賑わい。公園の中にある「江戸東京たてもの園」という施設が、僕ら夫婦のちょっとしたお気に入り。入ったら、ここにも子どもたちの歓声が響いていた。 
 まだまだ正月気分。獅子舞や屋台が出ていて、広場では羽根突きや竹馬などの古い遊びに親子ともども大はしゃぎ。古民家の座敷では、外国人も混じっての民芸品作り。鍋で煮える豚汁の匂いが鼻をくすぐる。実に楽しげな、日本のかつてのお正月風景の再現である。その様子に、思わず僕ら夫婦の頬もゆるむ。
 でも、少し離れて子どもたちの笑い声が聞こえなくなると、なんとも言えない気持ちになるのも事実。
 …ああ、この子どもたちは、大丈夫だろうか…。

 何をしていても、どこにいても、どうしてもその感覚が僕から消えない。本を読んでいても、映画を観ていても、散歩でも入浴でも食事でもお酒でも、愉しいはずのことをしている最中に、ふっと頭のどこか片隅で、チリチリと燻るものがある。
 あの原発の爆発(90歳義母の言うように、あれは「原爆」だったのだ!)以来、僕の脳のどこかに染み着いた放射能という言葉が、どうしても離れない。多分、僕が死ぬまで、僕の脳味噌にしがみついたままだろう。“除染”なんかできっこない。

 7日に、朝日ニュースターというCSテレビ局の、今年初の「愛川欽也のパックイン・ジャーナル」に出演した。むろん、今年も原発論議から番組は始まった。しかし出演者の誰も、原発に関しては明るい見通しを持っていない。番組の途中で、司会の愛川さんすら深い溜め息を漏らすほど。ずっと原発問題を追いかけて、他のテレビが絶対にやらないような番組を作り続けてきた愛川さんも、疲れている…。

 2012年元旦の朝日新聞は一面トップで「安全委24人に8500万円 原子力業界から 班目委員長にも教授当時400万円」と報じ、同日付の毎日新聞も同じく一面トップは「核燃直接処分コスト隠蔽 エネ庁課長04年指示、現経産省審議官 再処理策を維持、原子力ムラの異常論理」とスクープした。新年早々、原子力ムラの腐臭だ。
 原発問題は、何も“終わっていない”のだ。
 執拗に原発にこだわって問題を指摘し続けるコラムが、毎日新聞の山田孝男記者が書く「風知草」だ。1月9日にはこう書いている。

 「原発事故の賠償を進めて再生を」と簡単に言わないでほしい。東京電力に損害賠償を請求した避難世帯は、いまだ半分に満たないそうだ。「原発は安全を確保して動かすべきだ」と簡単に言わないでほしい。安全に動かす方法は、いまだ確立されていない。いいかげんな土台の上に再生はない。(略)請求はなぜ滞るか。山形へ避難している知人に電話で聞くと、こう答えた。
 「だって終わってない。まだ渦中ですからね」
 知人は60代男性、自営業者である。暮れの28日、連続テレビ小説「カーネーション」で、主人公・糸子が敗戦の玉音放送を聞いて放心する場面。なにげなく見ているうちに、強い感慨にとらわれたという。  「だって終わらないんですからね、こっちは」(略)

 そうなのだ。まったく"終わって"なんかいないのだ。野田首相がどう言おうが、福島第一原発事故の"収束"などというのは、途轍もない虚構だ。事故は依然継続中。野田首相が言う「冷温停止状態」は、虚構の上にさらに虚構を積み重ねたデタラメ言葉にすぎない。「冷温停止」という専門用語に無理に"状態"なる言葉をくっつけて、あたかも「冷温停止」を達成したかのようなごまかしを平気で言う。
 福島県の佐藤雄平知事でさえ、野田首相との8日の会談で「県民や避難者からすると感覚は相当違う。あくまで避難している人が帰還することが収束だ」と批判したという(東京新聞1月9日)。
 さらに、原発立地町である双葉町の井戸川村長は、次のように野田首相に怒りをぶつけた(東京新聞・同)。

 (略)井戸川克隆町長は「私たち双葉郡民を日本国民だと思っていますか。法の下に平等ですか。憲法で守られていますか」と野田佳彦首相に問い詰めたことを明らかにした。(略)首相は「大事な国民である」と答えたという。(略)

 こんなことを面と向かって言われる首相、恥ずかしくて眠れなくならないか?
 そう簡単に“帰還”できるとは思えないし、佐藤知事や井戸川町長には「原発を誘致した首長としての責任はどうするのか」という批判もあるだろうが、そう言いたくなる彼らの気持ちは分かる。

 1月6日、細野豪志原発事故担当大臣は、「原則として、原発の運転期間を40年に制限することを柱とするため、原子炉等規正法などを改正する」という方針を発表した。次の通常国会に、改正案を提出するという。だが、これが果たして、日本の「脱原発」の第一歩となるのか。
 いつものように疑念が湧いてくる。冒頭に「原則として」という文句がついているからだ。「原則として」ということは「例外もあり得る」ということの裏返しの表現であることを、我々はイヤというほど知らされた。今回のこの改正は、本当に「脱原発」につながるのか。

 この改正法が成立すればどうなるか。
 現在、日本の54基の原発のうち、敦賀1号機(福井・日本原電)、美浜1号機(福井・関西電力)、福島第一1号機(東京電力)は、すでに運転から40年を経過している。福島1号機は別として、敦賀と美浜はすぐにでも廃炉にしなければならないことになる。だが、関電と日本原電がすんなりとそれに従うとは思えないし、例によって米倉弘昌経団連会長などは激しく抵抗するだろう。
 この敦賀・美浜の2基は、実は40年を超えた運転がすでに認められている原発である。これをどう扱うか、それによってこの法律の正当性が問われることになる。むろん、運転延長には、改めて審査を受けなければならないが、もしここで「例外規定」などを持ち出して、運転延長が認められるようなことがあれば、この法律はまったくの"ザル法"であることが判明する。
 だが、前述の記事で分かるように、原子力安全委員会はズブズブの原子力ムラの癒着組で構成されている。彼らにきちんとした審査などできるだろうか。
 安全委には原発の安全性を審査する専門部会がある。先の朝日の記事によれば、代谷誠治委員は、07~09年の3年間、京大教授と非常勤の原発安全審査委員を兼任していたが、その時期に審査対象企業の原子燃料工業や業界団体の日本原子力産業協会から計320万円を受け取っていたという。「審査に影響はなかった」と班目春樹委員長は言うのだが、審査対象から多額のカネを貰っておいて、影響がないはずがない。そう言い逃れすること自体、もはや失格なのだ。
 その班目委員長自身も、原発メーカーの三菱重工から400万円も受領していたのだから、もう何をかいわんや、だ。

 日本には、運転開始が1970年代の原発は18基あり、80年代が16基、90年代が15基、そして2000年代は5基である。つまり、このまま新規の原発建設がないとすれば、原発は2010年代に36基、20年代には23基、30年代には5基、と次第に減っていく。そして最後の原発、北海道電力の泊3号機が2049年に停止して、日本からは原発がなくなることになる。だがそれは、これから実に37年後のことである。むろん、僕など生きてはいない。この改定案では、寂しいけれど、原発のない日本を僕は見届けることはできないのだ。
 そんな先まで、果たして現在の原発が無事でいられるだろうか。僕には、どうしても無事とは思えない。いずれまた大きな地震が襲えば、もはや取り返しはつかない。それが、まだ僕が生きている時か、いなくなってからかは分からないけれど。
 少なくとも、2度目の「フクシマ」が起きないうちに、どうしても原発を止めなければいけない。

 いずれにせよ、この国が少しずつ衰えていくのは確実だろう。こんなニュースがあった。
 首都圏にあって、一貫して人口が増え続けてきた千葉県が、昨年はついに人口減に陥った。特に落ち込みは東京に近い柏市、松戸市などの常磐線沿線や市川市、浦安市などの東京湾沿いの京葉地域で顕著だという。原発事故による放射線量の高いホットスポットが多いとされる地域でもあり、この人口減が回復するのは困難だとみられている。これが、いずれ東京や神奈川、埼玉など首都圏全域に波及することは確実だという(朝日新聞1月9日)。
 2011年の出生率はかなり減るとの予測値が出ているし、2012年に至っては激減との予測だ。当然である。大不況に増税が追い撃ちをかけそうな上に、放射性物質が漂う世界に、誰が好き好んで可愛いわが子を送り出したいものか。子どもが生まれない国は、衰退していくしかない。
 さらに、欧州の金融混乱は日本をも直撃、史上空前の円高・ドル安・ユーロ安。どこを見ても好材料はない。

 だからせめて、安全な生活だけは取り戻したい。少なくとも放射能に脅える生活を、何とか終わらせたい。それにはまず「原発停止」を実現しなければ。そのために、僕らに何ができるか?
 東京新聞「こちら特報部」(1月9日)で、小出裕章さんがこう言っている。

 (略)「収束宣言」の翌日、北九州市内で小出の講演会が開催された。ある女性が質問した。
 「3・11以来、何かしなければいけないという気持ちがあったが、何もしていない。何ができますか」
 小出はこう答えた。
 「こういう集会に行くと、『どうしたら原発をなくせるか』と聞かれるが、知っていればやっている。私は原子力の学問の場にいる人間としてやらなければいけないことを続ける。歌のうまい人は歌えばいい。署名もデモも一つの手段だ。これだけは自分がやりたいと思うことを、皆さんがやるようになった時、原発は必ず止まる」

 僕に付け加えることなどない。やれることをやればいい。やれない人でも、自分の考えを堅持して投票することはできる。
 僕の友人から、気持ちのいいメールが届いた。微笑みながら、僕はうなずいた。これが普通の人間の生き方だと思った。こんな文面。

 正月、父親と話していたら、「原発事故は収束なんてしていない。なのに原発を輸出するなんて恥ずかしい話だ」と、井戸川町長同様、まったくの正論を言っておりました。ああ、ちゃんとわかっているんだなあ、読売新聞をとってやがるくせに(笑)と、感心した次第です

 繰り返すが、これが普通の人間の感覚だと思う。普通の感覚が、原発を止めるのだ。僕はそう思う。

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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