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2011-12-28up

時々お散歩日記(鈴木耕)

76

原発とマスメディア

 「マガジン9」の2011年の更新は今回で最後。
 今年は兎年だった。白く可愛いイメージの兎のように、ぬくぬくと暖かい1年になるだろうと、年初に僕は思っていた。散歩をしながら楽しい話を見つけて、それを書けたらいいな、と思っていた。
 でも、それはできなかった。
 兎の目は真っ赤だ。その目のように泣き腫らして真っ赤な瞳を、今年はどれだけ見ただろうか。それが、2011年という年だった…。

 古里の秋田で、僕の老母が死んだのは、今年3月4日のことだった。高齢だったから、ゆっくりと小さな火が消えるように旅立った。淋しくはあったけれど「寿命だよなあ」と兄姉弟4人で静かに見送った。今考えると、あれは「幸せな死」だったと思う。
 それからちょうど1週間後の金曜日、大地震が東北の地を揺るがせた。そして、それに続く原発の爆発。恐怖の年の始まりだった。

 あれから9ヵ月が過ぎた。何が変ったか?

 原発事故からほぼ2ヵ月後の5月6日、菅直人首相はそれまでの民主党の原子力政策を転換して「脱原発」に舵を切り、予測されている東南海大地震の震源域の真上にあるという浜岡原発を停止させた。それまでも震災対応が悪いと批判されていた菅首相だったが、この「浜岡停止」と「脱原発」が、なぜか一斉射撃とでもいうような、マスメディアを含めた「世論」とやらの総攻撃に晒された。だが僕は、このとき自分のツイッターに、次のように書いた。

 菅直人首相が、ついに浜岡原発停止を中部電力に要請! 私は熱烈に支持する。カミさんが涙ぐんでいる。誰が何と言おうと、私はこの首相判断を支持する。菅首相のパフォーマンスだとか何だとかいろいろ言う人がいる。しかし「浜岡を止めろ」と要請した首相がこれまでいたか?

 ずいぶん高揚した文章で気恥ずかしいが、このときの僕ら夫婦のほんとうの気持ちだった。だが、マスメディアや財界や政界の反応は、僕らの感覚とはまるで違っていた。凄まじい菅首相批判が、それこそ大津波のように押し寄せたのだ。
 特にこのニュースを伝えたNHKのひどさは目を覆いたくなるようなものだった。「なぜ浜岡だけなのか、その理由が分からない」とか「他の原発をどうするのかの見取り図を示さずに浜岡停止を言うのはおかしい」「今になってなぜ浜岡停止に踏み切ったのか」等々。まるで、浜岡原発停止が誤りであると言わんばかりのコメントを並べ立てたのだ。
 ほかのマスメディアも大同小異。菅首相を叩くことで「脱原発」を葬り去ろうとしていたようだった。
 だが、ツイッターやブログなどのネット上での意見は、これらの大手報道機関が報じる「世論」とは大きく異なっていた。菅首相への批判は確かに多かったけれど、「浜岡停止」それ自体を否定する意見は圧倒的少数派だったのだ。このあたりから、マスメディアとネットメディアの意見の乖離が指摘されるようになる。
 そして、政府や東電の発表をそのまま伝え、記者会見での「直ちに影響はない」を繰り返す画像を流すだけのテレビなどの信頼性が急速に失われていった。大手メディアは、次第に「マスコミ」ならぬ「マスゴミ」などと揶揄されるようになっていったのだ。

 東電や政府(特に経産省や文科省)の発表がいかに遅く、しかも大事な部分がいかに多く隠蔽されていたかを、次々に暴いていったのは、ツイッターやブログで活躍するフリージャーナリストたちだった。原子力安全委員会や原子力安全・保安院の隠蔽体質を見事に炙り出したのも彼らだ。
 彼らは、それまで大手メディアに独占されていた「記者会見」の重い扉をこじ開け、不勉強な大手メディアの記者たちを尻目に、専門的な知見を基にした質問を東電や政治家にぶつけた。さらには、その状況を直接ネット上で動画配信、多くの視聴者を獲得した。
 その代表格が、岩上安身、畠山理仁、上杉隆、田中龍作、神保哲生さんたち、そして極め付けが、彗星のように現れたおしどりのおふたり(ケン&マコ)だった。吉本の芸人さんでありながら、多くの記者会見に参加、ことにマコさんの質問は、東電や保安院、経産省などに「おしどりシフト」を作らせるまでになった。その知識の深さと突っ込みの鋭さにはほんとうに感心する。大手メディアの記者たちも、いつの間にかおしどりを別格扱いにするようになっているほどだ。

 テレビに独占されていた記者会見の様子が、さまざまな形でネットに流れた。そこで僕らが見たものは、フリージャーナリストたちを何とか排除して、特権を守ろうとする大手メディアの記者たち、政治家と持ちつ持たれつの関係で仕事をこなしてきた大手記者たちの姿だった。むろん、東京新聞に見られるように、きちんと「脱原発」という自らの立場を明らかにして、執拗に追及するメディアもあったけれど、残念ながらそれはマスメディアでは少数派だった。

 明確に脱原発を掲げていた東京新聞に続いて、朝日新聞が「提言 原発ゼロ社会」という大きな社説を掲げて社論としての「脱原発」を打ち出したのは、原発事故からほぼ4ヵ月後の7月13日であった。だが、僕にはそれを疑問視する気持ちが抜けなかった。
 その当日のツイッターで、僕はこう書いた。

 本日の朝日新聞が巨大な特集。一面で「提言 原発ゼロ社会いまこそ政策の大転換を」と大見出し。ふらついていた腰がようやく定まったか。かつての「イエス、バット=推進だが慎重に」路線からやっと脱却したか。
オピニオン欄でも全面で「提言 原発ゼロ社会」の大特集を組んでいる。だが、後段の「推進から抑制へ 原子力社説の変遷」を読むと、自己弁護に終止し、痛切な反省は見えてこない。本気度が試される…。

 なぜ、こんなことを書いたか。
 朝日新聞には70年代、原子力報道に関しては超スター級のふたりの論説委員がいた。岸田純之助氏と大熊由紀子氏だ。彼らは「イエス、バット」とは名ばかりの、徹底的原発推進者だった。そのふたりが中心になって、朝日は世論を原発推進へ誘導したのだ。
 70年代は、まだテレビ報道への信頼性が薄く、ネットなどのオルターナティブな情報ソースがなかった時代だった。だからこそ新聞が「社会の木鐸」などと呼ばれていたのだ。中でも、日本一のクオリティペーパー(高級紙)と自他共に認めていた朝日の影響力は大きかった。ことに、いわゆるリベラルな考えを持つ読者が多かった朝日は、日本の「原発」についての世論を左右するほどの力を持っていた。現在の朝日とは桁違いの影響力を持っていたのだ。
 だが、7月13日の朝日新聞の紙面には、岸田氏も大熊氏も、その名前さえ登場しない。ふたりが果たした役割をきちんと検証し、それを現在につなげるのでなければ、「提言 原発ゼロ社会」の掛け声は、虚しいものになってしまう。僕はそう思ったのだ。
 新聞は、過去の隠された事実を掘り起こして現在を検証し、未来へつなげる。それが役目のはずだ。その役目を担って、かつての原子力行政のあり方や電力会社の過去のトラブル隠しなどを次々にスクープとして暴いていく。だが、自社のスター記者たちの役割に眼をつぶっていては、そのスクープも説得力を失うだろう。
 朝日新聞はしかし、その後「プロメテウスの罠」という秀逸な連載や「原発とメディア」(夕刊連載)などによって自社の過去の記事を検証し、未来への展望を切り拓こうとしているように見える。そのままの姿勢を堅持してほしいと、切に願う。

 東京新聞は、事故当初から「こちら特報部」を中心に、積極的な「脱原発報道」を続けてきている。原発取材班が、早い時期から取り上げてきた原発関連の特集は、他のマスメディアの追随を許さない。ブレない姿勢がその取材の根底にある。
 「原発事故被災地の現状」「事故原因と地震」「地震と津波」「過去の大地震の検証」「活断層」「計画停電と電力不足」「原子力発電量の割合」「原発コスト」「再生可能エネルギー」「体外被曝と体内被曝」「被曝許容量」「子どもたちの疎開」「チェルノブイリの教訓」「事故原因の解明」「原子力ムラの腐敗と癒着」「東京電力という会社」「電力会社のやらせ問題」「情報隠蔽」「原発マネー」「原発立地自治体の現状」「各地域の反原発運動」「経産省」「文科省と放射能拡散予測SPEEDI」「原子力安全・保安院」「原子力安全委員会」「それらにぶら下がる天下り法人」「高速増殖炉もんじゅ」「原子力工学の学者たち」「政府の混迷」「各種委員会の乱立」「母親たちの活動」「若者たちによる新しい形のデモ」……。
 数え上げればきりがない。僕の記事スクラップブックで圧倒的に多いのは、やはり東京新聞の記事だ。これが、東京の地方紙であることが惜しい。中日新聞が親会社だが、これらの記事すべてが中日新聞に転載されているのではない。ただ、ネットでかなりの部分は読めるようなので、ぜひ閲覧してほしいと思う。
 ツイッターでも東京新聞の人気は高い。面白い話もある。
 「反原発の姿勢が災いして、経団連の圧力で企業広告が激減しているらしい。心配だ」というようなツイートがかなり流れた。だが、知人の東京新聞記者に確認したところ「そんなことはありません。もともと広告の少ない新聞ですから(笑)。それに、多少ですが部数は増えています。原発報道のおかげかもしれませんが」ということだ。

 毎日新聞も、高らかに宣言しているわけではないが、確実に「脱原発」の方向を目指しているようだ。スクープも多い。ことに、月曜日の山田孝男記者のコラム「風知草」の論旨は厳しい。事故以来、ほぼ毎回のように原発に触れる。そして、原発の危険性や原子力行政のいい加減さを舌鋒鋭く批判し続けている。

 読売新聞は、「原子力の父」であった正力松太郎氏のDNAをいまだに受け継いでいるらしく、渡邉恒雄主筆の意向に沿っての原発推進路線は事故後も変わらない。日本経済新聞はやはり主軸を財界においているようで、これまた推進論調。産経新聞は、言うに及ばず。 かくして、日本の新聞は真っ二つに論調が分かれている。そのこと自体は、僕は健全だと思う。賛成もいれば反対もいる。

 だが問題はテレビである。ニュースやワイドショーでは、それなりに原発を扱う。しかし、たとえばバラエティ番組などでは「原発」と「東電」は禁句なのだそうだ(これは、おしどりさんから直接聞いた話)。つまり、「触らぬ神に祟りなし」が、テレビの製作現場では生きている。だから、山本太郎さんのように、「脱原発」を公にしただけで、番組から干されるという事態が起きる。
 欧米では、俳優やミュージシャンなどが自分の思想信条や政治的立場を明らかにすることは普通だ。けれど日本では、それがほとんどと言っていいほど見られない。憲法や原発を語るだけで、番組を降ろされてしまう例が多すぎる。かつては、自民党が放送局の「許認可権」を振りかざして、テレビ局に圧力をかけるのが日常茶飯事だったからだ。
 この典型的な例として「前田武彦事件」(1976年6月、フジテレビ『夜のヒットスタジオ』降板)や、「NHK番組改編事件」(2001年1月)などがある。
 だから芸能事務所は、所属タレントに政治的(原発を「政治的問題」と捉えることこそおかしいが)発言をタブー視する。そのため、一部の大御所を除いてタレントたちは、黙して語らない。
 ショービズの世界でも、政治と同じほど日本は後進国なのだ。このようなマスメディアの体質が変わらない限り、日本の政治もまた変わらないだろう。なぜなら、日本の政治家のほとんどが、テレビや新聞情報を捨て始めた国民の動向を把握できず、「マスメディアこそ世論である」という旧い思考にいまだに囚われているのだから。

 来年は、いい年になりますように…。
 いつもなら、こう書いて年末のコラムを終えるのだが、今年はとてもそうは書けない。2012年は辰年である。せめて龍がこれ以上、荒れ狂いませんように…と、神頼みして今年を終えるしかない。

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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