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2011-11-09up

時々お散歩日記(鈴木耕)

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「日本総ウツ列島」の冬が来る…

 しばらく東北を旅してきた。おふくろが亡くなったのが、あの大震災のちょうど1週間前の3月4日だった。小さな葬儀を済ませたが、その後は道路網の寸断や新幹線の運休が続き、なかなか帰れなかった。ようやく「納骨」ができたのが5月だった。

 東北の季節の移ろいは素晴らしい。母の納骨に帰った5月。「山笑う」という季語が見事に表現するように、東北の春の山々は、薄緑と明るい黄色にふくらみ、ほんとうに嬉しそうに微笑むのだ。だが今年の5月は、笑えなかった。山も人も、そして木々の若芽も…。

 東北の秋も、息を飲むほどに美しい。
 今回、出かけたのは週末。それも飛び石連休の最中だ。いまが東北は紅葉の真っ盛り。当然、新幹線は満員だろうと思っていた。ところが空席が目立った。僕の隣の席も、ずっと空いたままだった。
 例年ならば、観光客や家族連れで耳を塞ぎたくなるほどの喧騒に満ちるはずの車内が、しぃんと静まり返っていた。これが観光の季節の東北へ向かう週末の新幹線か…?

 特に景勝地や観光地を訪れなくてもいい。僕のふるさとだって、ほんの少し町を出てみれば、気持ちがほどけていく光景が、そこここにある。僕が散歩した日は雨もよい。小雨に煙る山々がまるで夢のように、流れ下る小川のせせらぎが寂しさの絵のごとく、そこにあった。
 誰もいない、秋。
 感傷とは無縁の僕だが、じっと雨の薄幕を透した木々の葉色を見ていると、このまま夢で終われば…、などと。

 東北は広い。「東北の背骨」と呼ばれる山なみがある。長さ200キロ以上にも及ぶ奥羽山脈だ。これが福島から青森にかけて東北を縦断する。県境が分水嶺とほぼ一致する。
 同じ東北でも、暮らす人たちの気分や気性は、場所によって違う。太平洋側と日本海側の人たち。今回の原発事故が、その気分の違いを際立たせているように思える。

 福島駅で降りた。
 街はごく普通に動いている。車は走り、バス停には人たちが並び、駅前のタクシー乗り場にもタクシーの客待ちの列。デパートは華やかに開き、買い物客も行き交う。何の変哲もない地方都市。
 だが、暗いのだ。人たちの足どりが重い。何かを避けるように、足早に歩いていく。笑顔が少ない。子どもの姿があまりない。赤ちゃんを抱いた母親も、乳母車を押す若い夫婦もほとんど見かけない。休日なのに、淋しい。“背を丸めて蹲る街”という印象…。
 むろん、僕の先入観のせいもある。それは分かっている。でもその印象は、ここを離れるまで変らなかった。

 実は、僕は福島で、ある人物と会う約束をしていた。メールのやりとりで、日付と場所を決めた。しばらく待った。だが、彼は約束の場所には現れなかった。原発関連の話を聞かせてもらえるはずだった。それも、かなり重要な…。
 教えられていた携帯に電話した。しかし、何度かけても「この電話は電波の届かないところにあるか、電源が入っていません…」という例の応答が流れるだけ。
 何が起きたのか。話そうとしたが、やはり考え直したのか。それとも、話せない事情ができてしまったか…。確かめる術はない。彼が名乗っていた名前だって、本名かどうかは分からない。
 彼とのメールのやりとりで聞き込んだ話はまとめてある。だが真偽はもう確かめようがない。僕の今回の旅の目的のひとつは、消えた。

 分水嶺を越える。奥羽山脈を貫通するトンネルを抜け、紅葉に染まる山あいを走って、太平洋側から日本海側へ出る。つまり、岩手から僕のふるさとの秋田へ。
 暗さは影をひそめる。実家に泊まって翌日、昼食に、僕が可愛がっている姪の娘(6歳)が主張する(苦笑)若者向け洋食ファミリーレストランへ仕方なしに入ったが、超満員でしばらく待たされたほど。若い客たちは屈託なく、笑い食べ話している。ここに、あの福島で感じた“背を丸めている”印象はない。
 だが、姪が言う。
 「放射能は、かなり気にしているよ。でも、どうしていいのかは分からない。野菜や魚を買うときに、しっかり産地表示を確かめるくらいかなあ。ママ友とも、あまり放射能や原発について話すことはないけど、でもみんな、気持ちのどっかにそれが引っかかっているみたい。その話が出ると、会話が途絶えてしまうから。でも、あの奥羽山脈のおかげで、こちらまではあまり放射能は飛んできていないみたいだから、福島の人たちには悪いけど、その点だけは助かったような気がします。とにかく、この子だけは守りたくて…」
 みんな気にしている。だから、ふっと会話が途絶えたりする。食料品の買い物には、妙に慎重になる。何にもなかったころのあの屈託のなさは、やはりこの国にはもう戻っては来ないのだ。
 生き方のどこかが、確実に変った。突き抜けた明るさはなくなった。笑いさざめく会話の間を、ふと白茶けた天使が飛んでいく。

 僕はカミさんに、「あなたは季節の変わり目に、気分が落ち込む傾向があるわよ」と、長年言われ続けている。
 言われなくても、今年は分かる。懸命に調べ、訊き回り、そして書いていた春から夏。よかれ悪しかれ、その期間の僕の気分は昂揚していたのだろう。それが、ある種の静けさを取り戻したように見えるこの秋になって、急に気持ちが沈み始めたのだ。
 だがそれは、どうも僕だけではないような気がするのだ。

 ふと「日本総ウツ列島」という言葉が浮かんだ。この国はいま、“躁鬱”ではなく“総ウツ”状態にあるのだと思う。
 これを書いている今日、11月8日は「立冬」だ。
 もうじき冬が来る。ふるさとも、被災地も、雪に埋もれる日がまたやって来る。今年の冬は、ことに寒さが身に沁みるだろう。そう思うと、僕の気持ちはまた沈む。

 今回の「お散歩日記」は、妙な「鬱々日記」になってしまった。すみません…。
 写真は、小雨にけぶる東北の美しさ、です。せめて…。

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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