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2011-10-05up

時々お散歩日記(鈴木耕)

64

うごめく再稼動論
もう、女性に期待するしか…

 なんと忘れやすい人たちなのか。この国の多くの人たちが、あの巨大な災厄を次第に記憶の彼方へと押し流そうとしているかのように、僕には見える。特に、原子力発電所の大事故を。
 むろん「忘れてはいけない、闘わなくてはまたあの恐怖に脅えなくてはいけない」と考える人たちも、かつてのさまざまな事象よりは圧倒的に多いのも事実だ。だが、あの過酷事故から目を逸らし「今ある原発の安全性をより高めた上でなら、原発再稼動をするべきだ」という論調が、次第に増えているように感じるのだ。

 原発事故は決して収束などしていない。それどころか、事態はより深刻化している。
 地上最悪最強の毒性を持つ放射性物質のプルトニウムが、福島事故原発から45キロも離れた飯舘村からも検出された、と今ごろになって文科省は発表した。恐怖の事態も小出しにすれば恐ろしさが半減するとでも考えているのか。
 さっそく「微量のプルトニウムであれば、直接の健康被害はない」と、ろくな検証もせずに文科省の発表を擁護する者も現れた。だが、体内にとどまった場合のプルトニウムは、高い確率でガンを発生させることが知られている。今回の発表は、徹底的な調査をした上での検出ではないのだから、より詳細な検査をすればもっと多くのプルトニウムがばら撒かれていたことが判明するかもしれない。汚染地域は、こんな規模ではすまないだろう。
 プルトニウムは比重のとても重い物質であり、よほどの大爆発がなければ数十キロも飛散するはずがない。我々が知らされていた以上に、福島原発の爆発規模が大きかったという証拠でもある。
 量は減っているかもしれないが、放射性物質が現在も事故原発から放出され続けているのは確実だ。半減期が数十年から数百年、ものによっては数万年という物質、放出が止められなければ蓄積されて増え続けるのは当たり前の話。除染が追いつくだろうか?

 10月4日のTBS系ニュース専門チャンネル「ニュースバード」は、おおむね、次のような内容の報道をした。

 NGO日本チェルノブイリ連帯基金と信州大学医学部附属病院が共同で、福島県の児童130人を7~8月に調査したところ、10人(7.7%)の児童から甲状腺異常が見つかった。経過観察しなければならないが、これが福島原発事故とどう関連するかは分かっていない。

 これをどのように受け止めればいいのか、僕には分からない。ただ、ついに…と、声もなく暗然とするだけだ。あの事故からたった4~5ヵ月後にこんな状況。5~10年後にはどうなっているか。
 それなのに、「福島第一原発は4基ともに原子炉内の温度が100℃以下になり、冷温停止に近づいている」という話が流布され始めた。放射性物質の放出が止まないということは、冷温停止にはまだ程遠いということなのに、それをマスメディアもきちんと報道しようとしない。次第に「原発事故は落ち着いてきた。もうかなり安全らしい。だから、より安全性を検証できた原発から再稼動してもいいのではないか」という雰囲気が形成されつつある。

 さらに、いわゆる「緊急時避難準備区域」(なんとも妙な規定だ)の指定が解除された。それにより避難民たちは、いつでも帰還することが可能ということになった。僕はそのニュースをきいたとき、思わず「えっ!? そんなバカな!」と大声を上げたのだ。どのくらいの汚染が続いているかの詳しい情報も示さず「もう大丈夫ですよ」はないだろう。
 しかも恐ろしいことに、学校再開への準備も始まっているという。言葉は悪いけれど、とても正気の沙汰とは思えない。
 朝日新聞(10月3日付)によれば、こんな具合だ。

 東京電力福島第一原発事故に伴う緊急時避難準備区域が解除され、学校再開に向けた準備が始まっている。ただ、同区域にあった福島県の5市町村の19小中学校のうち、再開が具体化したのは南相馬市も5校だけ。放射能への不安は強く、課題は多い。(略)
 地域の小中学校の大半は、区域外の他校の教室などを借りて授業を続けている。しかし、今年度初めに在籍するはずだった1万790人のうち、間借り先で学ぶのは6173人。残りは転校した。(略)
 再開が決まっているのは(南相馬市の小中学校の)5校だけ。(略)
 市内では、いずれの学校も、校庭表土の除去や除染によって、文部科学省が目安とする毎時1マイクロシーベルトをほぼ下回っている。だが、保護者には「通学路を含め自然レベルの線量に近づくまで不安で帰りたくない」との声もある。(略)

 学校の校庭などの線量が多少下がったからといって、安全になったといえるのか。通学児童は、家と学校の往復だけで暮らせるか。
 通学路はもとより、近所の公園でのサッカー、原っぱ遊び、小川での魚釣り、森の中を駆け回っての昆虫採集…、そんな楽しみを一切禁じられた生活を、この先どれだけ長く子どもたちに強いるというのか。マスクをしたままの生活を。そしてその結果が、前述した「ニュースバード」の報道につながっていく…。
 1マイクロシーベルトという値が、ほんとうに子供たちの将来の健康に影響がない、などと断言できる人(専門家や学者を含めて)は日本だけではなく、全世界にさえ誰ひとりいない。それでも、子どもたちをその場所へ戻すというのか。数年後、数十年後にこの子たちにガンや白血病が多発したとしたら、誰が責任を取るというのか。いや、責任論などどうでもいい。ここへ子どもたちを帰してはいけないのだ。
 この「緊急時避難準備区域」指定の解除は、原発事故収束への行程が確実に進展しているということの、政府と電力会社がグルになってのアピールでしかないと僕は思う。

 高レベル放射性廃棄物(人体にすぐさま影響を及ぼすほどの危険線量)は増え続けている。すでにドラム缶4700本分を超えたという。むろん、これは今後も増え続ける。処理方法がないからだ。
 汚染水処理もどうにもならない。汚染水は増え続ける一方だ。ベッセル(ゼオライトという軽石状の物質が入っている)という吸着装置で放射性物質を除去すれば、当然のことながら極めて高濃度に汚染されたベッセルは、数日後には放射性廃棄物になる。
 汚染水を砂に吸着させて沈殿するというのが例のアレバ社(仏)製の装置だが、これでも高濃度汚染の泥が大量に出てくる。いったい、これらの“核廃棄物”をどうすればいいのか。全世界の頭脳が束になって研究しても、まだ発明も発見もされていない。
 汚い比喩なので僕はあまり使わないが、「原発はトイレなきマンションだ」といわれる。その比喩にしたがえば、大量に出た“毒糞”をどうにもできないまま、これからも出し続けようということになる。再稼動を言う人たちの誰ひとり、この“毒糞処理”に言及しないのが、僕には不思議でならない。再稼動を主張するのなら、まずその処理方法を明示してからにするのが、最低限の義務だろう。
 毎日新聞(10月3日)にこういう記事があった。

増え続ける廃棄物
循環注水3ヵ月、処分方法は未定
(略)放射性廃棄物の処理に詳しい京都大原子炉実験所の小山昭夫教授は「高濃度汚染水の濃度は1リットルで最大100億ベクレル程度と予想され、汚泥やゼオライトに濃縮されるとその1万倍の濃さになることもある。従来の制度で対応できる濃度ではない」と警鐘を鳴らす。

 100億ベクレルの1万倍って…、絶句。僕が心配する理由が分かるだろう。原発事故は収束などしていない。これからさらに深刻な事態が待ち受けている。
 そういう現実を、政府も東電も官僚たちもきちんと公表しない。それこそが「原発再稼動」への動きなのだ。そして、その動きにこの国の人たちが、少しずつではあるけれど乗せられ始めている。そのことに、僕は大きな危惧を抱く。

 毎日新聞(10月3日)の世論調査の結果がそれを示す。

◆野田首相は、点検のために停止している原子力発電所について、安全性の確認と地元の理解を得るという条件付きで再稼動を認める考えを示しています。これに賛成ですか、反対ですか。

  賛成 50% (うち)男性62% 女性40%
  反対 47% (うち)男性37% 女性56% (他項目は略)

 毎日新聞は調査方法として、これは無作為にコンピュータで電話番号を作成して使うRDS方式の調査で、有権者のいる1423世帯から888人の回答を得た、としている。男女比や年齢等の補正はどうしているのだろう。しかも、888人という人数の妥当性は? 僕の世論調査に対する疑問は尽きない。
 僕の疑問はともかく、この調査ではついに「再稼動容認派」が「反対派」を上回った。大喜びしている連中のしたり顔が目にちらつく。政府と電力会社、経産省官僚たちの思惑が、みごとに“世論”なるものを動かし始めた…か。
 それにしても、この設問はひどいと思う。これではまるで、「野田首相の“安全宣言”があれば、原発は大丈夫」と言っているに等しいではないか。この設問の文章は、「野田首相の安全性確認と、批判派の指摘を比較した上で、再稼動についてはどう思いますか」とでもしなければ、一方的な誘導になるだろう。「国の最高責任者が安全と言うのなら信頼すべきだ」と、まさか毎日新聞は考えているのでもあるまい。
 「地元の理解」というのもおかしい。人口1万人の町の町長の“理解”があれば、そこから数十~数百キロ離れた地域の人たちには関係なく再稼動していいというのか。福島原発事故のように、日本全国のみならず海洋汚染によって全世界に放射能を撒き散らしたことも、「地元の理解」の上だったではないか。我々国民の意見も聞かずに、たった1万人の町の意見だけで、日本人全員に未来の不安を受け入れろというのか!?
 「地元の理解を得るという条件付き」ではなく、この場合、せめて「国民の理解を得るという条件付きで」という設問でなければおかしいではないか。僕が各社の「世論調査」に抱く根源的な疑問がここにある。
 それにしても世論調査なるものが、なぜいつでも設問に条件を付けるのだろうか。今回のような場合、もし聞くのなら、「あなたは原発再稼動について、賛成ですか、反対ですか」。それだけにすべきだと思う。条件付与は、明らかに誘導である。

 だが、僕はここに希望も見い出す。「野田首相を信用しない。再稼動には反対」とする人が、女性では圧倒的に多いのだ。
 「だから男はダメなのよ。男はまるで自分が社会を背負って立っているような目で世の中を見ている。そんなことないのに、そうすることが男の責任であるみたいに気負っている。男って可哀想。
 女は自分の身の回りにきちんと目配りしている。危ないものは危ない、と自分で判断する。まず自分や家族を守ることが、社会を守ることにつながるということを女は知っている。でも、男にはそれが分からない。男は、会社を守ることと社会を守ることを混同して、それで世の中が分かったようなつもりでいる。会社の判断が社会の判断であり、それがあたかも自分の判断であるように思い込んでいる。飼い馴らされた男たち。あなたもそういうひとりだったでしょっ」
 ギクッ! これが我がカミさんのご意見。かなり正鵠を射ている、と寂しげに僕はうなずくわけだ。

 ま、カミさんの意見はそれとして、このひどい設問に対してでも女性の反対が圧倒的だということに、僕は少し安堵するのだ。男が信用できなければ、女とともに闘う。それでいい。
 女性が立ち上がれば、エラソーな男だって引きずられるに違いない。

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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