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2010-08-11up

時々お散歩日記(鈴木耕)

12

「抑止力」という言葉の魔力

 8月7日は「立秋」でした。立秋といえば、

 秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる

 という歌もありますが、その歌を思い出したとたん、なぜか少しだけ風が涼しげに感じられたのは、なんにでも影響を受けやすい私の思考回路のせいでしょうか。
 でも、栗の実はもう大きくイガイガが成長していますし、お隣の家の庭の柿の実もかなり膨らみました。近所の田んぼの稲はぐんぐん成長しています。我が家の日除けになってくれていたゴーヤーも、ついにこんなに黄色くなりました。近所の公園の隅にある「馬頭観音像」も、ほら、なんだか秋の気配でしょ? 公園の野良猫だって、立秋の風を楽しんでいるようです。
 空蝉も葉っぱの裏にへばりつき、とんぼはもうアキアカネ。トンボといえば、なんだか巨大なオニヤンマらしきものを“激写”(古いなあ)してしまいました。
 というわけで、今回は、私の「立秋記念・携帯電話写真展」をお楽しみください(っていうような立派な写真じゃありませんが)。
 ま、秋が近づいてきていることは確かですよ。

 でも、私の感覚はともかく、まだまだ日本列島は夏真っ盛りです。甲子園も連日の奮戦に沸いていますし、ここしばらくは、全国の高速道路は激しい渋滞に見舞われているようです。
 私も何度か経験がありますが、あの真夏の渋滞高速は、一種の拷問ですよね。それでも故郷が待っている…。

 そして、夏といえば、どうしても広島と長崎、そして8月15日の敗戦の日。戦争の記憶が甦る季節でもあります。
 私はかろうじて戦後生まれなので、戦争自体の記憶はありませんが、それでも親戚で戦死した人や、戦後の混乱期の記憶などはかすかに残っています。
 東北の田舎育ちですから、とりあえずおコメはありましたので、ひもじかった記憶はありません。でも、子どもが好きな甘いお菓子などまったくなく、なんにでもお砂糖をかけて甘くして食べた。それがせいぜいのお菓子のかわりだったのです。そのお砂糖だって貴重品でしたけれど。
 原爆が投下された広島・長崎では、そんなことさえ夢物語だったでしょう。

 今年も、両地では平和祈念式典が開かれました。
 特に広島の式典には、初めて米国大使が出席したことで大きな注目を集めました。
 広島市の秋葉忠利市長は、式典での平和宣言の中で、核廃絶への期待ととともに、日本政府に対して「非核三原則の法制化」と「アメリカの核の傘からの離脱」を求めました。
 また、長崎市の田上富久市長は、日本がインドと結ぼうとしている「日印原子力協定」に明確に反対の意志を表明しました。これは、「核拡散防止条約(NPT)に非加盟でありながら核兵器を所有するにいたったインドと原子力協定を結んで、その原子力開発に手を貸すのは、被爆国日本としては認めるわけにはいかない」という意見です。
 まさに正論というべきでしょう。しかし、日本政府は、どうもこれを無視する意向のようです。同様に政府は、非核三原則の法制化にも後ろ向きの姿勢です。
 核廃絶の先頭に立たなければならないはずの日本政府のこの姿勢には、どうしても疑問を持たざるを得ません。
 さらに私が怒りを感じたのは、菅直人首相の8月6日の広島の式典後の記者会見での発言でした。
 秋葉広島市長が「(米国の)核の傘からの離脱」を求めたのに対し、記者会見で菅首相は「核抑止力は必要」と語ったのです。式典での演説では、同じ菅首相は次のように述べていました。

唯一の被爆国であるわが国は「核兵器のない世界」の実現に向けて先頭に立って行動する道義的責任がある。核兵器保有国をはじめ各国首脳に核軍縮・不拡散の重要性を訴える。核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向け、日本国憲法を遵守し、非核三原則の堅持を誓う。(東京新聞8月7日付より)

 菅首相は自分で話していて、自分の言葉に矛盾は感じないのでしょうか。「核抑止力が必要」というのは、あくまで核兵器の存在を肯定した上での話です。逆に「核兵器の廃絶」とは、文字通り核兵器を根絶する意志表明でしょう。なぜこのふたつの言葉が、同じ日に同じ人間の口から発せられるのでしょうか?
 当然のことながら、批判の声が沸きあがりました。
 毎日新聞(8月10日付)は、「核巡り揺れる首相」という見出しで、こう報じています。

9日昼過ぎ、長崎市での被爆者団体との意見交換では、長崎原爆遺族会の正林克記会長が「慰霊の日に核兵器を肯定し、みんなが泣いている」と非難の口火を切った。長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長は、広島で昨夏、麻生太郎首相(当時)が「核の傘」の必要性に言及したことを引き合いに「麻生さんの発言と全く同じだ」と憤った。首相は「核の抑止力が必要ない社会をつくっていこうという意味で受け止めてほしい」「核兵器がこの地球上から一切なくなると、抑止とか考える必要がなくなる」などと釈明を繰り返すしかなかった。(以下略)

 菅さん、悲しくなるほどの二枚舌ですよ。
 「政治家の舌は2枚ある」とは、よく言われる永田町界隈のジョークですが、なにも被爆地の慰霊式典に出かけておいて、こんなことを言う必要はないでしょう。正直な人だと言うのであれば、その通りかもしれませんが、あまりに時と場所をわきまえない発言です。
 さらに、批判が高まると今度は、いままで消極的だった非核三原則の法制化を「検討したい」と言い出しました。私たち国民は、いったいどの言葉を信じればいいのでしょうか。
 それでもせめて、この「非核三原則の法制化」くらいは実現してほしい。見つめ続けましょう。

 それにしても、「抑止力」。まるで悪魔の言葉です。この言葉を使えば、すべてのことが赦されてしまう。
 沖縄での「米海兵隊の抑止力」、核廃絶に水を差す「核抑止力」。日本を守るため、という大義名分の前には、少数者の苦しみも悲しみも、戦車のキャタピラの下の草花のように押し潰されてしまいます。そのどれも、アメリカ製の巨大なメタルギア。

 菅さん。
 かつて2007年、沖縄で「教科書書き換え問題」に抗議する11万人の大県民集会がありました。
 あの集会には、菅さん、あなたも参加していました。集会の後、沖縄料理の店で、辻元清美議員や保坂展人元議員らと一緒に泡盛を飲み交わしましたね。
 あのとき、口角泡を飛ばす勢いで、沖縄の基地返還やアメリカに対する想いを熱っぽく話していた菅さんのことを、私はまだ鮮明に憶えているのですが…。

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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