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2010-07-07up

時々お散歩日記(鈴木耕)

7

「井上ひさしさん お別れの会」で

 今回は「お散歩」ではなく、番外編です。
 7月1日。
 いつの間にか7月に入ってしまいました。1年の半分が終わってしまったわけですね。
 「大人の時間は過ぎるのが速い。なぜなら、10歳の1年は人生の10分の1だが、50歳の1年は人生の50分の1だからだ」という諺みたいなものがあります。
 でもそう言ったら、わが尊敬する「子ども医者」のたぬき先生こと毛利子来先生に、「そんなことはないよ。やることがたくさんあれば、時間はゆっくりと流れるのだから」とたしなめられました。
 そうですよね。私にも、やることはまだそれなりにあります。そんなに時間が速く過ぎて行ってしまっては、それこそたまったもんじゃない。

 そう考えると、井上ひさしさんは無念だったろうなあ、と思うのです。まだまだ、やり残したこと、やりたかったことはいっぱいあったはずなのです。書きたかった小説、上演したかった芝居、そして、守り抜こうとした日本国憲法第9条…。
 7月1日、午後5時半から「井上ひさしさん お別れの会」が、お堀端の東京會舘で開かれました。井上さんとなんらかのおつき合いのあった人たちが集まりました。その数、なんと1200人。その交友関係の広さと深さには、改めて驚かされました。
 私も編集者時代に何度かインタビューでお会いし、その縁で、ずっと「こまつ座」のお芝居に通わせていただきました。いつお会いしても、にこやかでゆったりとお話しになる方でした。
 でも、退かないことは絶対に退かない。その芯の強さは柳か竹か。どんな強風や嵐に襲われても折れず撓まず、風を受け流して泰然自若。ふふふ、と例の柔らかな笑いで前へ進む。そういう方でした。
 「お別れの会」では、3人の方がお話しなさいました。
 丸谷才一さんは「平野謙はかつて日本文学について、芸術派と私小説とプロレタリア文学が並び立っていると言ったが、この図式は現在でも当てはまる。芸術派は村上春樹、私小説は身辺の事情を好んで書く大江健三郎。そしてプロレタリア文学の最上の継承者は井上ひさし……」
 大江健三郎さんは「井上さんの、私の小説『水死』を読まれてのメモを机の前に置き、私は晩年の仕事を準備している。もう、ひさしさんに読んでもらうことはできないが、井上ひさしに向かって書きます」と、最後は涙声だった。
 演出家の栗山民也さん。「井上さんの周りには、いつも笑いが溢れていました。どんなに辛いときでも、明るい勇気と覚悟をぼくらに与えて下さった井上さんに、心からの拍手を…」
 会場でメモも取らずに聞いた言葉だから、この通りではないかもしれませんが、おおよそは間違っていないと思います。日本を代表する作家、評論家、演出家にこれほどの賛辞を贈られながら旅立っていった井上さんなのでした。

 会場の右側に、見慣れぬポスターが掲示されていました。近寄って確かめてみました。
 『木の上の軍隊』の上演ポスターでした。むろん、幻になってしまった、もはや井上さんの心の中にしか存在しない戯曲です。
 この戯曲について、6月26日付の朝日新聞に、石田祐樹記者が書いています。

<「木の上の軍隊」は今年7月、上演予定だった。だが、内容はほとんどわかっていない。手がかりは、20年以上にわたる井上さんの言葉と行動だけだ。そこから幻となった作品を想像してみる。
芝居のモデルとなったのは、2人の日本兵だ。沖縄本島北部から北西約9キロの伊江島で、1945年4月の米軍上陸から敗戦後の47年3月まで、ガジュマルの木の上で生きのびた。
沖縄県美里村石川(現・うるま市)出身の佐次田秀順さん(1917~2009)と、宮崎県小林市出身の山口静雄さん(1909~88)。島民約1500人、日本兵約2千人、米兵2百数十人が死んだ戦で生き残った2人は、ガジュマルに登った。……>

 こうして木の上に隠れて暗くなると木から降り、食べ物や水を探して、ほぼ2年間を生きのびたという。井上さんがこの事実を知ったのは85年らしい。5年後の90年4月に、東京・紀伊国屋ホールでこの『木の上の軍隊』は上演予定で、演出・千田是也、出演・すまけい、市川勇の2人芝居というところまで決まっていたといいます。しかし台本が上がらず、結局、公演は中止となった……。
 そのときのポスターがこれなのでしょう。

 井上さんは、このときは台本を書き上げられなかったのですが、しかし、沖縄にはこだわり続けました。朝日の記事は、こう続きます。

<(井上さんは)「沖縄タイムス」の上間正敦記者にこう話している。
「私はいつも沖縄がどこかにこびりついている。日本の戦争指導者たちの決断が本当に遅くて沖縄であんなひどいことが起こった。本当に『御聖断』であったなら、沖縄、広島、長崎が全部なくて済んだ」「小さいころから、日本のさまざまな辛いことを沖縄の人が引き受けてくれたという想いがあったし、僕ら東北の田舎町でのほほんと暮らしていたという負い目、引け目もある。同じ日本人なのにひどい目に遭った人たちのことをずっと書くのが仕事だと思っている」
「木の上の軍隊」については、「戦争が終わっているのに伊江島で長い間、木の上に隠れていた兵隊の話。占領軍がジャズなんかを流しているのを謀略だと思っていたという筋立て」と語っている。(中略)
書斎の机の上には、“沖縄学の父”伊波普猷が監修した『琉球語便覧』が置かれていた。>

 残念でたまりません。
 心から、この芝居が観たかったと私は思うのです。
 「井上ひさしの沖縄」が、膠着した現在の沖縄問題に風穴を開けることだってできただろうに、と想像します。芸術が、文学が、演劇の衝撃力が世を動かす、その稀有な瞬間に立ち会ってみたかったのです。

 翌日(2日)、私は井上さんの最後の小説『一週間』(新潮社)を購入してきました。シベリア抑留がテーマのようです。最後まで、戦争にこだわり続けた井上さんの絶筆です。
 読み終わるのが惜しいけれど、ゆっくり味わいます。

『沖縄戦が問うもの』という本

井上さんの作品は、どれも綿密な資料発掘と参照に裏付けられ、それが作家の想像力の原動力になっていました。井上さんの猛烈な資料収集癖はつとに有名です。
 多分、私が尊敬する研究者の林博史・関東学院大教授の著書も、井上さんの参照資料には含まれていたと思います。とくに林教授の『沖縄戦と民衆』(大月書店)は、沖縄戦研究の基礎資料のひとつとして欠かせないものです。しかし、これは大部の上、値段も5600円と高額で(私が持っているのは2001年発行ですが、多分、定価は変わっていないでしょう)、あまり入手しやすいものとはいえません。
 しかしこの6月に、林教授の『沖縄戦が問うもの』(大月書店、1800円+税)が出版されました。井上さんが生きておられたら、この本は、絶対に参考資料の重要な1冊に加えられたことでしょう。
 そして、これが沖縄戦の実相を、見事に分かりやすく解き明かしてくれています。著者も「入門的な性格を考慮」したと記しているように、原資料の詳細な情報を省略することによって、文章が流れるようにしみこんできます。
 まさに、井上さんが作劇の戒めとして自らに言い聞かせていたように、「むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをゆかいに ゆかいなことをまじめに 書くこと」を地でいっているようです。もっとも、題材が悲惨な戦争ですから、“ゆかいに”というわけにはいきませんが。

 私はようやく、『沖縄へ ―歩く、訊く、創る―』(仮題)という単行本を書き終えたところです(8月上旬に、リベルタ出版から刊行予定)。最後の段階で、『沖縄戦が問うもの』に触発されて書き加えた部分もあったほどです。
 本(活字)の力、まだまだ強いと思うのです。

猛暑の中の「新宿ど真ん中デモ」

 さて、今週のお散歩日記の最後に、“番外付録編”として、「沖縄問題は決着していない 新宿ど真ん中デモ」というのを付け加えておきましょう。
 7月4日(日)の昼下がり。ものすごく蒸し暑い午後でした。Tシャツを絞れば汗が滴りそうなサウナ状態。でもこれが、けっこう面白かったのですよ。なにしろ、日本一の歓楽街「新宿歌舞伎町」の、それこそ“ど真ん中”を、流行のブブゼラや太鼓を打ち鳴らしながら、「普天間基地ヘンカーンッ!」とか「沖縄を差別するなーっ!」などとシュプレヒコールを上げながら通るのです。ジュゴンを形どった巨大な風船も、一緒に泳ぎながらデモです。
 歌舞伎町で働くオニイサンやオネエサンたちが、なんだかビックリ顔で見ていましたね。中には、雨宮さんたちが支援しているキャバクラ・ユニオンの人たちでしょうか、小さく手を振ってくれるオネエサンたちもいましたよ。
 笑えたのは、自民党東京選挙区に立候補している某さんの運動員さんたちです。このデモににこやかに手を振ってくれたのです。
 「おっ、普天間返還にあの候補者も賛成なのか」と、デモ隊の中から声が上がりました。ほんとうに、あの人たちも一緒に「普天間返還」を叫んでくれたら嬉しいのですが。
 日曜日、多くの人で賑わう新宿の街に、500人ほどのデモ隊のアピールでした。でも私の知る限り、東京発のテレビ・新聞は一切取り上げてはいませんでしたね(もちろん、琉球新報と沖縄タイムスには載ったようですが)。
 沖縄の問題は、まったく終わってなんかいないのに。

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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