マガジン9

憲法と社会問題を考えるオピニオンウェブマガジン。

「マガジン9」トップページへ時々お散歩日記:バックナンバーへ

2010-06-09up

時々お散歩日記(鈴木耕)

3

芸術と国家

 歩いていると少し汗ばむくらいの気温が、散歩にはちょうどいい。日曜日(6日)、陽は強いけれど風が気持ちよくて、絶好の散歩日和。そこで、近所の美術館の特別展を見に行くことしました。近所とは言っても、徒歩で約30分。散歩にもちょうどいい距離です。
 特別展は「ノーマン・ロックウェル オールディーズ、その愛しき素顔たち」というものです。

 旧き善きアメリカ…、というイメージでしょう。
 確かに、細部まで見事に描ききった筆遣いは、ある種のノスタルジーを誘います。私たちがかつて憧れた、優しくて豊かなアメリカがそこにありました。さらに、ロックウェルを尊敬していたというカメラマンのケヴィン・リヴォーリのロックウェルの絵に寄り添った写真も同時に展示されています。なかなか面白い趣向でした。
 でも、順路にしたがって見て回るうちに、かすかにではありますが、私の中に違和感が湧いてきたのも事実です。それは、絵の奥に潜む祖国への全面的な信頼です。出征する父へ敬礼する少年、帰還した兵士を歓呼して迎える人々。何の疑いもなく、国を愛することの美しさが描かれています。ロックウェルの絵が、第2次大戦の戦費調達ポスターに使われたというのも、当然といえば当然でしょう。
 芸術が国家に奉仕する。それも行き方ではあるでしょうが、そこに、一片の迷いも曇りもない。それがロックウェルの描いた“旧き善きアメリカ”だったわけです。まあ、国家に全面的な信頼を寄せることができる“幸せな時代”だったと言えば言えるのでしょうが。
 ちなみに、ロックウェルは1894年に生まれ、1978年に没しています。しかし、ロックウェルの生きた時代が、ほんとうに“旧き善きアメリカ”だったのでしょうか?
 ロックウェルは、「国連憲章4つの自由」のポスターを描いています。それは「平和」「信仰の自由」「言論の自由」「生活の自由」です。しかし、そこに、「平和」はあったけれど「戦争からの自由」はなかった。一方で戦争を遂行しながらの平和。アメリカ国内に平和はあったかもしれませんが、戦場とされた国々に、平和などなかったはずです。国連の自己矛盾でしょう。
 ひとつひとつの絵は素晴らしい。写真で切り取ったポーズをそのまま描き出す。少年も若者も老人も、生き生きと写しとられています。もちろん、見る価値は十分の展覧会でした。

 アメリカは、ロックウェルの愛した時代を超えて、戦争国家となりました。第2次大戦以降、いったいいくつの戦争をアメリカは戦ってきたでしょうか。いまのアメリカにとってもっとも必要な「自由」とは、「戦争からの自由」「非戦の自由」ではないでしょうか。

 映画が大好きです。寝る前に1本の映画を観ることが、私の半ば癖のようになっています。もちろん、ハリウッド作品もたくさん観ます。
 ハリウッド映画を観ていると、アメリカが戦争をする理由がなんとなく分かるような気がします。たとえば、ブルース・ウィリスやトム・クルーズやウィル・スミスの作品。これでもかこれでもかと銃が乱射され建物が破壊され、そして大勢の人間が死にます。映画のストーリーとして、当然、死ななければならないシチュエーションではあるのですが、それにしても、何もそこまで殺さなくても…と思うこともしばしばです。
 ところが、映画に没入していくと、いつの間にか主人公に同化して銃を振り回したくなっている自分に気づくのです。
 映画の宣伝文句は「映画史上最大の大破壊!」などと煽り、テレビでの予告では凄まじい破壊シーンのみが流され続けます。ハリウッド映画効果は、こんなところにもあるのでしょうか。
 銃乱射事件で多数の人間が死ぬ、ということがアメリカではよく起こります。その度に、銃規制論が高まりますが、私は、アメリカでは銃規制などできないと思うのです。映画では、まるで銃を持たないと生きてはいけないみたいです。
 ハリウッド最高の知性派女優といわれるジョディ・フォスターさえ、『ブレイブ ワン』という映画では、犯罪被害者である女性が不法な銃を入手して、次々に悪人を処刑していく、という役を演じています。いや、演じただけではなく製作総指揮も務めました。彼女自身がこの映画に入れ込んだわけです。
 銃を手にすることで、人間が変わる。それが“ブレイブワン”、すなわち“勇気あるもの”という解釈だったのでしょうか。この映画を観たとき、私はガッカリした記憶があります。ああ、ジョディ、あなたもそうなってしまったのか…と。
 もしかして、ジョディは銃を手にしてしまうことの恐ろしさを描きたかったのかもしれません。しかし、映画を観終わった後の私の感想は、ジョディの変質への悲しさだったのです。私の観方が浅いと言われればそれまでですが。

 強大な武器や兵器を持ったアメリカという国家が、世界中で“悪”を懲らしめるために戦争をして回る。それが絶対の正義だと信じている。どこか、悪を退治するために銃を乱射するハリウッド映画のヒーローたちとダブってしまうのです。
 もちろん、そういうものではない映画も、ハリウッドがたくさん製作していることは言うまでもありませんが。

 そんなアメリカの世界戦略に、なぜ日本は無条件で乗る必要があるのでしょうか。やはり私の思考はそちらへ向かいます。
 菅直人新内閣が発足しました。
 官房長官は代わったものの、外務大臣と防衛大臣は留任です。普天間問題にケリをつけるつもりでいるのなら、このふたりは絶対に交代させなければならなかったはずです。少なくとも、それが沖縄県民への最低限の謝罪ではなかったか。私はそう思うのです。
 もっとも、7月の参院選のあとには内閣改造が行われるはずですから、菅首相としては、外務相も防衛相もそのときに入れ替えるつもりなのかもしれませんが。
 「政治とカネ」「普天間問題」の責任を取って鳩山首相は辞任しました。ふたつの大きな失敗のひとつが普天間です。小沢・鳩山ラインが辞任することで「政治とカネ」の問題には、一応の区切りをつけたつもりでしょう。しかし、普天間はそのまんま。菅首相は「日米合意を基本とする」と言いました。ふたつの大きな問題のうちの片方には手をつけないということです。これはダメ!ですよ、菅さん。
 菅さんのモットーは「国民主権」だと、数日前の朝日新聞には書いてありました。沖縄県民も国民であることは自明です。その国民が県を挙げて辺野古移設に反対し普天間飛行場の即時返還を求めているのです。本当の意味での国民主権を、新首相にはぜひ実現してもらいたい。

 美術館のある公園は、休日の人出で賑わっていました。
 梅の木がもう大きな実をつけていました。花を楽しませてくれた桜にも、小さなサクランボ。足もとにチラチラ動くものがいました。
 おっ、カナヘビ! よく見ると、尻尾がない。多分、野良猫にでも追いかけられて千切れてしまったのでしょう。でも、カナヘビの尻尾はすぐに再生します。
 さて、私たちの国の再生は、いつでしょうか?

googleサイト内検索
カスタム検索
鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

「時々お散歩日記」最新10title

バックナンバー一覧へ→