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2010-06-02up

時々お散歩日記(鈴木耕)

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辺野古に杭は打てるのか!?

 ノンビリとお散歩しながら思いついたことを書く気で始めたこのコラムですが、私はそうとう頭に来ています。だから、さすがに今回は能天気な散歩話は無理みたいです。

 鳩山由紀夫首相、5月28日、ついに普天間飛行場の“移設先”を、名護市辺野古崎沖に決定しました。
 どうにも私の腹の虫がおさまりません。むろん、私などよりずっと、沖縄県民の腹の虫たちは猛り狂っていることでしょう。
 普天間は「返還」をめぐる問題だったのであり、決して「移設」云々ではなかったはず、という原則論はひとまず措いておくとしても、あまりに異常な進み行きです。

 鳩山首相がオバマ大統領に「Trust Me」と言ったのは、2009年11月13日の日米首脳会談の席であったとされています。このときの「トラスト・ミー」とは、「普天間飛行場問題解決については、きちんとした“腹案”があるので信用して任せてほしい」という意味だったと、一般には解釈されていました。しかし何のことはない、その真の意味は「お宅様には決して悪いようにはしません、心配なさらないで私を信用してください」ということだったわけです。
 そんなことはない、あの時は真剣に「国外、最低でも県外に移設」を考えていたはずだと、鳩山首相を擁護する意見も一部には残っています。しかし、そんな意見が残っていようがいまいが、結果として沖縄を裏切った、そして同時に政権交代に期待を込めた多くの人々を裏切った、という意味においては同じことでしょう。

 政権交代にいくばくかの期待を持っていたのは、私も、私の周囲の多くの人たちにも共通する思いでした。特に私の沖縄の知人たちは、それこそ焼け付くような期待を込めて、鳩山首相の誕生を歓迎したのです。
 大田昌秀元沖縄県知事に、政権交代後、3度お会いしました。大田さんは、鳩山首相の発言が次第に捩れていくのを承知しながら、それでも「鳩山さんの前に、沖縄の米軍基地を海外・県外へ移すと公言した総理大臣はいなかったでしょう。僕はそこに期待をしておるんですよ」と、鳩山首相への期待を語っていたのです。
 外務大臣や官房長官の発言がいかに後ろ向きであっても、総理大臣は違うはずだという一縷の望みをかけていたのです。それは多分、大田さんだけではなく、沖縄の人たちの多くの思いだったと思います。その最後の期待を、鳩山首相はものの見事に裏切ったっ!!

 鳩山首相は、「移設先は辺野古崎」と明記された閣議決定書にサインを拒んだ社民党党首でもある福島瑞穂・消費者・少子化担当大臣を罷免しました。しかしこの罷免、どうにも理屈が通らない。
 福島さんは「普天間基地を辺野古へ移す案は、社民党が最初から反対してきたこと。沖縄のみなさんに新たな負担を強いる案に、社民党と私は加担することができない」と言って署名を拒否しました。しかし、ここで不思議なことは、福島さんが言ったことが、実は鳩山首相がこれまで言い続けていたこととまったく同じなのです。
 鳩山首相はかつて「沖縄のみなさんにこれ以上の負担をおかけするわけにはいかない。移設先は海外、最低でも県外へ」と繰り返しました。さらには「辺野古の海を埋め立てるのは、自然に対する冒涜だ」とまで“口走った”のです。つまり、鳩山首相が言い続けてきたことは、福島さんが「署名できない理由」として挙げたことと同じです。
 ということは、鳩山首相は実は「自分の意見と同じことを言ったから」という、まことに奇奇怪怪な理由で自分の内閣の閣僚を罷免してしまったわけです。こんな不可思議な閣僚罷免劇は見たことがない。
 ふつう、自分の内閣の閣僚を罷免するときの総理大臣の理由は「暴言妄言で、内閣の一員としてはふさわしくない」とか「総理大臣たる私の意見と考え方が違う意見を公表した」とか、さらには「汚職」や「異性問題で不祥事を起した」などによるのが大半です。かつての自民党内閣で罷免または辞任されたお歴々の顔を思い出してもらえれば、すぐに分かることでしょう。
 ところが今回は、まったく違う。首相自身の意見を忠実に守ろうとした大臣のクビを切った。どう考えてもおかしい。今回に関する限り、社民党のとった態度は正しいと私は思います。
 鳩山首相はアメリカに顔を向け、沖縄県民を裏切り、これまでの自らの想い(というものがあったと仮定して)をかなぐり捨てて、ついに辺野古へ舵を切りました。沖縄県民の怒りは当然です。
「鳩ではない、サギだ!」というプラカードを掲げて、名護市役所前で開かれた豪雨の中の抗議集会に立ち尽くす女性の姿がありました。鳩ではなくサギ。一瞬笑いかけましたが、しかし、とても笑えるような場面ではなかった……。

 かつて、沖縄県読谷村の元村長で、現在は社民党参院議員の山内徳信さん(75歳)にインタビューしたことがあります。2007年5月のことです。そのとき、山内さんは次のように仰っていました。(「マガジン9条」インタビュー「この人に聞きたい」所収)

「(いまは沖縄の動きは停滞しているように見えるが)少女暴行事件の際の『沖縄一揆』は、いまでもそのマグマを保ち続けていますよ。それは条件によってはいつでも爆発するんだと、そう思っておるわけです。
(中略)普天間飛行場を辺野古の沖に移そうなんてね、これは(環境問題からも)世界の行き方に反すると思いますね。嘉手納が極東最大の軍事基地というふうに言われておるんですが、いま日米が辺野古に造ろうとしているのは、まさに世界最強の発進攻撃基地ですよ。
(中略)辺野古の大浦湾というところは、横須賀よりも水深が深い。ここに基地が造られれば、原子力空母や原子力潜水艦もいつでも出入り自由になってしまう。すぐ右手に行けばもう太平洋でしょ。アメリカは欲しくて欲しくてたまらない基地なわけですよ。
(中略)これができてしまったら、沖縄は、じゃなくて、日本はこれからずーっとアメリカの軍事植民地になってしまう。植民地がどれほど悲惨でどれほど人権を無視されてきたか、それはもうアジアやアフリカを見ればよく分かりますよ。そういうことを考えると、沖縄にアメリカの最強の軍事基地を造らせて日本を縛り付けるわけにはいかない。そういうことが動き出せば、(沖縄の)マグマは噴出します。」

 さすがに沖縄県民の心根をよく知っています。山内さんがちょうど3年前に指摘していたことが、いままさに動き出そうとしている。地表近くまでせり上がって来ていた灼熱のマグマを、鳩山首相は刺激してしまったのです。怒りは収まりそうにありません。

 辺野古に杭は打てないでしょう。
 かつて、米軍立川基地(現在の東京都立川市の昭和記念公園)の拡張に反対する住民や農民たちが工事阻止に立ち上がったとき(砂川闘争、1957年)、彼らはこう叫びました。

<土地に杭は打たれても、心に杭は打たれない>

 このとき、確かに土地に測量の杭は打たれました。しかし、心をひるませなかった住民闘争によって、ついに基地拡張はできなかったのです。
 普天間飛行場の辺野古“移設”が日米で合意されたのは1996年のことでした。しかし14年経っても、辺野古の海には杭1本打たれませんでした。そして、これから何年経ったところで、辺野古の海に杭は打たれないでしょう。

 今年3月31日の党首討論で谷垣禎一自民党総裁の追及に、鳩山首相はこう応えました。
 「辺野古に決まりかけていたというけれど、13年間かかっても辺野古に杭1本打てなかったじゃありませんか」
 鳩山さん、今度はあなたが、その辺野古の海に杭を打とうとするのですか?

ラグビー散歩についても、少々…

 やっぱり散歩のことも書いておかなきゃ「タイトルに偽りあり」になってしまいますね。で、今回は散歩話はオマケです。
 少し前のことになりますが、5月22日、ネットで嬉しいお知らせが届きました。府中市の西にあるサントリー府中スポーツセンターで、「サントリーサンゴリアス」VS「サニックスブルース」のラグビー・プレシーズン・マッチが行われるというのです。
 当日、天気は上々のラグビー日和。さっそく、自転車に乗って『自転車にのって』(高田渡)を口ずさみながら出かけました。私の住まいからここへは、「二ケ村緑道」という散歩には最適の道が続いています。サイクリングとラグビー観戦が同時にできる。まさに至福であります。
 会場には60~70人ほどの熱心なファン。ま、あまり宣伝していたわけじゃないから、この程度ですな。しかし、ここまで足を運ぶのは根っからのラグビーファン。話す内容も感想も、けっこう解説者並みの詳しさです。私は聞き耳を立てます。しかも、サイドラインからわずか3メートルほどの芝生に腰を下しての観戦ですから堪えられません。
(アップ機能のない私の旧式携帯電話で撮った写真でさえ、こんなに近くできちんと写っていましたよ)

 ドスッ!グチャッ!ボデッ!と、生身の肉体が発する音は凄まじい迫力です。練習試合の場合、怪我を避けようとあまり激しくはぶつからないのが普通ですが、この日は両チームとも大ハッスル(古いねえ、この表現)、なんとシンビン(イエローカードで10分間の退場)まで出る当たりの強さ。いやはや、堪能しました。これが無料で楽しめたのですから、感謝です。
 試合結果ですか? サニックスがなんと9トライをあげ、57対40で勝利しました。うむ、今期のサニックス、かなり期待できそうです。
 (なお、この日は秩父宮ラグビー場で、ラグビーW杯アジア地区予選の日本対香港戦が行われましたが、そちらよりも、この練習試合のほうが面白かったような気がしますね、私には)

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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