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癒しの島・沖縄の深層

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おかどめ やすのり 1972年法政大学卒業後、『マスコミ評論』を創刊し編集長となる。1979年3月、月刊誌『噂の真相』を編集発行人として立ち上げて、スキャンダリズム雑誌として独自の地平を切り開いてメディア界で話題を呼ぶ。数々のスクープを世に問うが、2004年3月の25周年記念を機会に黒字のままに異例の休刊。その後、沖縄に居を移しフリーとなる。主な著書に『「噂の真相」25年戦記』(集英社新書)、『武器としてのスキャンダル』(ちくま文庫)ほか多数。HP「ポスト・噂の真相」

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オカドメノート No.052

米国との密約文書を公開せよ

 那覇市の県立博物館・美術館講堂で「沖縄返還密約を問い直すー知る権利と民主主義」というテーマのシンポジウムが開かれた。沖縄返還密約と言えば、それをスッパ抜いた元毎日新聞・西山太吉記者の存在が有名だ。沖縄返還にまつわる外交交渉の裏側で、日米両政府の間にさまざまな密約があったことをスクープした西山記者は、その過程で外務省の女性事務官と「情を通じて」機密文書を入手したとして逮捕・起訴され、有罪判決を受けた。国家スキャンダルクラスのスクープ記事は検察の巧妙な捜査手法とメディア操作によって、一転して男女のゴシップ話に仕立て上げられて「言論の自由」を主張したメディアと西山記者側の大敗北となった。西山記者は犯罪者の刻印を押され、毎日新聞を辞めて北九州の実家にもどり、長い間世間から忘れ去られたかのような隠遁人生を送らざるを得なかった。一方、密約交渉の総責任者だった当時の佐藤栄作総理は、後にノーベル平和賞を受賞する。二人の人生は天と地ほど違う運命を余儀なくされた。

 しかし、天は西山氏を見捨てなかった。この密約騒動以降、密約の真相解明は宙に浮いていたが、1998から2000年にかけて米国の公文書の中から「沖縄返還時の基地の原状回復費を日本側が400万ドル肩代わりする」という密約文書が発見されたのである。琉球大学の我部政明教授が公文書を発掘し、朝日新聞が大々的に報じたのである。その後、対米交渉の当事者だった当時の吉野文六アメリカ局長が琉球朝日放送の取材や北海道新聞記者の直撃取材に対し、密約交渉の事実を全面的に容認したことで、西山氏の当時のスクープ記事の真実性が証明されたのだ。

 当然、西山氏は日本政府の当時の否定発言などで名誉を傷つけられたとして、国を相手取り謝罪と損害賠償を求める訴訟を提起したが、国側は密約は存在しないとシラを切り通し、最高裁もそれに追従して上告を棄却した。行政と司法がグルになって国家の嘘、犯罪を隠蔽したのである。米国は公文書まで堂々と公開しているのに、この日本の国家体制は情報公開主義や民主主義と無縁な体質であり、対極ともいえる明治以来のお上丸出し官僚体質でしかないのだ。

 冒頭に書いたシンポジウムは、この国の隠蔽体質と密約文書の開示を再度求めて、学者やジャーナリストらが25名で国を提訴したことに関連して開かれたものだ。元共同通信社・編集主幹の原寿雄氏が基調講演を行い、沖縄大学の新崎名誉教授が司会を務め、我部政明琉大教授、弁護団の岡島実、小町谷育子弁護士らがパネルディスカッション。会場からも沖縄大学桜井学長や高良鉄美琉大教授らの質疑があった。返還密約をきっかけにした国家の情報開示を求める運動は、米軍基地を抱える沖縄にとっては常に巨大な壁として存在してきた諸悪の根源との戦い。この壁を突破していくことは、日本の防衛省や外務省の秘密主義や虚言の歴史に終止符を打つ意味でも大いに意義あることだ。

 もっとも、小沢民主党側は、辺野古新基地建設の反対,技術大学院大学計画見直し、泡瀬干潟埋め立て反対に続いて、「政権交代すれば、密約文書をすべて公開する」と宣言。この裁判の行方ともども、日米両政府の沖縄に対するやり放題の歴史にようやく風穴が空きそうな流れになってきた。

いくつもの証言や証拠に見ないふりを決め込んで、
あくまで「密約はなかった」と言い張る日本政府。
そんな主張、民間人なら許されないのでは?と思うのですが…
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