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癒しの島・沖縄の深層

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おかどめ やすのり 1972年法政大学卒業後、『マスコミ評論』を創刊し編集長となる。1979年3月、月刊誌『噂の真相』を編集発行人として立ち上げて、スキャンダリズム雑誌として独自の地平を切り開いてメディア界で話題を呼ぶ。数々のスクープを世に問うが、2004年3月の25周年記念を機会に黒字のままに異例の休刊。その後、沖縄に居を移しフリーとなる。主な著書に『「噂の真相」25年戦記』(集英社新書)、『武器としてのスキャンダル』(ちくま文庫)ほか多数。HP「ポスト・噂の真相」

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オカドメノート No.045

沖縄で行なわれた
「ありがとう筑紫さん・お別れ会」に出席して

 沖縄では、筑紫哲也さんを偲ぶ会「ありがとう筑紫さん・お別れ会」が開かれた。那覇市民会館ホールには、筑紫さんの遺影を掲げた祭壇がしつらえて、参会者2500人(主催者発表)が折鶴で祈りをささげていた。通常は、菊の花やさかきが相場だが、この島は広島、長崎と並ぶ太平洋戦争における最大の被害者を出した県だから、折鶴こそが平和の祈りにふさわしいものなのかもしれない。

 筑紫さんを偲ぶ会は、「NEWS 23」の番組を送り続けた東京のTBS主催、筑紫さんの出身地である大分県主催に次いで、全国三箇所目の偲ぶ会となった。筆者も微力ながら、裏方としてこの偲ぶ会を根回しした一人なので、盛大な偲ぶ会が成功してホッとしている。筑紫さんは言うまでもなく、沖縄が本土復帰する前の1968年から2年間、朝日新聞特派員として沖縄を訪れて、本土復帰前の激動の時期を取材した。この時期の筑紫さんは33歳。沖縄在住のさまざまなジャーナリストの先輩たちに出会ったことで、後に「多事争論」に代表される揺ぎ無き報道人としての視点を確立したといわれている。筑紫さんは、その後本社に戻り、政治部、ワシントン、出版局で「朝日ジャーナル」編集長などを務めたが、差別され続けてきた沖縄に対する優しい眼差しだけは一貫して変わる事なく続いた。特に、「NEWS23」においては、沖縄戦の実質的敗戦日といわれる6月23日は、くしくも筑紫さんの誕生日ということもあって、毎年のように現地からの実況中継を続けた。また、事件や事故が起こるたびに、すぐさま沖縄に入り、ライブで放送を続けた。これだけ、沖縄問題を自分のことのように、本土に向けて発信し続けてきたジャーナリストは、他にいない。沖縄県民が、いつも沖縄のことを気にかけて本土向けに発言してくれた筑紫さんに「ありがとう」と感謝するのも、氏の人柄もあるのだろう。
 かつて、総理大臣まで務めた村山富市が、「沖縄に来た時は米軍基地の問題とか強く意識するけど、東京に戻るとすっかり忘れてしまうのだなー」という本音を洩らしたことがある。この手の人物は、実はけっこう多いのだ。沖縄にいれば、ファントム戦闘機の凄まじい爆音、金網に囲まれた広大な基地を見るたびに、米軍基地の存在を否が応でも意識せざるを得ない、にもかかわらずだ。筆者も、観光で来ている時はそうだったが、今や、基地の存在を見ても、戦闘機の爆音を聞いても、ここが極東最大の米軍基地であることは日常的に意識せざるを得ない。

 この偲ぶ会には、筑紫さんが「NEWS23」でエンディングテーマに使った、ネーネーズの『黄金の花』、大工哲弘、海勢頭豊、古謝美佐子,新良幸人氏ら、筑紫さんとゆかりのある人々が「うた供養」として追悼の曲を披露していた。会場には、筑紫さんの奥さん・房子さん、次女・ゆうなサンらも東京から詰め掛けていた。

 そして問題は、筑紫さんのような良質のジャーナリスト、地元の琉球新報、沖縄タイムスの優秀な基地問題担当記者たちが、これまで幾度となく米軍基地の問題点を語り続けてきたにもかかわらず、沖縄県民にプラスに作用するような局面はほとんど皆無だったという現実である。あからさまな米軍優位の日米地位協定が代表的だが、世界一危険な普天間基地も相変わらず閉鎖の動きはない。最近判決が下りた嘉手納基地での騒音公害訴訟では原告側が50数億円の損害賠償は勝ち取ったものの、原告側が要求した早朝深夜の飛行禁止は裁判所がいっさい認めていない。しかも、この住民側に支払われる賠償金は、米軍が支払うべきものなのに知らん振りしているから、日本側が代理で払うのだ。筑紫さんを持ってしても、あるいは、現地の優秀な記者たちによっても沖縄の米軍基地はいささかも変わらなかったと言う悲しき現実だけは、強く強く肝に銘じておきたいものだ。

沖縄県外ではそれほど大きく取り上げられない「慰霊の日」、
現地の様子を伝えていた筑紫さんの姿は、今も強く印象に残っています。
それでもなお、大きな変化が起こることはないままだったという現実。
さらなる「伝える」努力とともに、それを「受け取る」姿勢が必要なのでしょう。
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